003「クリストファー」
「ハローニシキ。この個体では、はじめまして!」
「え、ええ……。はじめまして」
ニシキはおずおずと、少年から差し出された手を握った。
クリストファー・アダムスは、
幼い頃から神童ともてはやされた彼は、十七歳の若さで工学科を卒業し、G●ogleに入社後、国連に設置された「氷期対策委員会」に所属。それから十年かけて、〈防寒区域生成装置〉—―通称Eggを完成させた。
Eggは、卵の殻のような透明ドームによって、作物と住居を守ることができる装置だった。もちろんシェルターの中でも平均気温は十度を切るが、Eggのおかげで零下の中を歩いたり、凍死を恐れながら眠ったりする必要はなくなったのだ。
だがこの偉大な発明には、一つだけ欠点が存在した。
それはセキュリティの都合上、発明者のクリストファーの生体認証ができなければ、基幹システムの改造ができないということだ。
Eggの発明当時、地球はまだ氷河期に突入したばかりで、平均気温が五度を下回ることはないだろうと予想されていた。その予想に基づいて設定温度が調整されたEggが、世界中に輸出され、人々はシェルターを形成したのだ。
だが、それから半世紀後。科学者たちの予想に反して、氷河期は深刻化し、各地の平均気温は摂氏五度を下回っていった。
人々はEggの防寒装置を改良し、出力を上げる必要に迫られたのだ。しかしなんとも困ったことに―—世界中に輸出されたどのEggも、基幹システムに手を加えるためには、クリストファーの生体認証が必要だった。
シェルターの危機を察知した九十五歳のクリストファーは、生前最後の発明を遺した。
それが、クリストファー自身のクローンを手軽に生み出すためのカプセル。クリストファーはそのカプセルを各地のシェルターに送り届け、オリジナルとしての生涯を閉じた。
……そのときから世界中のシェルターでは、クリストファーのクローンを「Egg管理の認証キー」として育てているのだった。
「ボクはこのシェルターの五代目クリストファー。クリスって呼んでね!」
「じゃあ……クリスくんで」
「うん! よろしくねニシキ!」
銀髪の少年は、緑色の眼をぴかぴかと光らせる。
ニシキはつい笑顔になってしまった。家族のいないニシキには、この人懐っこさが新鮮だったのだ。
「実はボク、市長さんから、是非あなたのライブを見に行くといいって言われて来たんだ! でも待ち切れなくて……」
「まさか、セキュリティをくぐってここまで来たんですか……」
クリストファーはコクリとうなずいた。
さすが、天才科学者……。と言いかけたニシキは、トーキーがせかせかと頭上を旋回していることに気づいた。
「そうだった。今からライブ前に、かき氷で一服しようと思ってたんです。よかったらクリスくんも来ませんか?」
「行くーーーーっ!!」
即答するクローン少年。
クリストファーは階段を駆け上がりながら、上機嫌で歌を歌い出した。左右の手すりに手を伸ばし、踊るように走ってゆく。
「れでごー。れでご~~」
「……その歌、何ですか?」
ニシキが訊くと、銀髪の少年はくるりと振り返る。
「これはね! ボクの遺伝子に刻まれた
「ほう……。各地に伝わる伝説ってことですか」
「そうなんだよ。市長さんの家の伝承によると、『とある城が築かれた経緯を語る歌』らしいよ!」
「由緒ある歌なんですね」
「うん、そうなの! こうやって、階段を上りながら歌うんだって!」
クリストファーは再び階段を駆け上がりながら、「れでごー。れでご~~」と歌い出す。
なかなか記憶媒体に残る歌だ。
ニシキもトーキーとともに階段を上ってゆく。
気づけばニシキは我知らず、その歌を口ずさんでしまっていた。
「レでゴー、レでゴー……」
しかしそれは、
ニシキは「はぁ」とため息をついた。
(……駄目だ。やっぱり、うまく歌えない)
―—〈不気味の谷〉という言葉がある。
ロボットやAIが人間に近づきすぎてしまうと、ある段階から不気味に感じられてしまうという現象だ。
ニシキには、音階や旋律を正確に把握して、人間の歌唱を模倣することができる。
しかしその模倣が
「ニシキ、気にしちゃダメだヨ」
トーキーが、小声でそう慰めてくる。
「うん……。ありがとうね、トーキー」
気の利く相棒だと思いつつ、ニシキはこともなげに笑みを返した。
元々ニシキは、アイドルになるため造られた〈虚構体〉ではない。楽曲をカバーできるだけでも、ずいぶんと努力しているほうなのかもしれない。
「思い出シテ。ニシキには、ニシキのやり方があるヨ」
「ああ」
〈不気味の谷〉が存在する以上、〈虚構体〉はアイドルになれないのか……答えは否である。
〈虚構体〉のニシキにも、違和感なく模倣可能な音楽はあるのだ。
それは機械の声が機械のまま、機械として魅力を放つことに特化した音楽。
合成音声ソフト・ボーカノイド―—通称ボカノの歌声だった。
「そうだね。ボクには、ボクのやり方がある」
ニシキは薄い笑みを浮かべる。
合成音声ソフトの模倣ならば、ニシキにも人の心を震わせることもできる。
氷の世界でも、輝ける。
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