002「どちらかが壊れているってことだ」

「はあぁあぁあ……」

 思い出すほど憂鬱だった。

 やはりライブ前に発掘など行くべきではなかった。〈虚構体〉のなかでも神経質で繊細なニシキの場合、ライブ前は刺激を避けて過ごすべきだったのだ。

『だって世界は砂漠じゃないか』

 コウの言葉が蘇る。

 灰色の瞳が、まっすぐにニシキのことを見つめていた。……嘘を吐いているようには見えなかった。

(嘘じゃないとしたら、いったい何がどうなっているんだ)

 ニシキというAIは、複数の可能性を演算する。

 

 ①この世界がぜんぶ作り物で、コウの見えている世界が正しい可能性。

 ②夢オチ。

 ③コウの認識器官が故障していて、本人の自覚なく外界情報を誤認している。

 ④ニシキの認識器官が故障していて(以下同上)。

 

 ④だとは考えたくない。ニシキは③、コウの故障が原因だと思いたかった。

「まったく……なんの冗談なんだろう」

 溜息まじりにつぶやいたときだ。

 ガチャンと控え室の扉が開け放たれた。

「―—ニシキチャン! マイクスタンド知らない?」

 現れたのは、キャタピラ式の中型ロボットだ。

 彼はドワン号といい、ニシキのプロデューサーでもある自律ロボットだ。

 雪だるまを軽く押しつぶした形をしていて、顔にはテレビ型のモニターがついている。二十一世紀前半に造られたと自称しているが、それが本当なら五百前から稼働していることになるから驚きだ。

「マイクスタンドなら……このシェルターに来るとき、ドワン号が車の天井にのっけてましたよ」

「ソウダッタ! いやア~。歳をとると記憶のバックアップがなァ~」

 ドワン号はそう言って、部屋を出て行こうとする。ニシキは反射的に不安になって、彼のことを呼び止めた。

「ちょっと待って!」

「ん? どシタノ、ニシキチャン」

「ドワン号……。変な質問だって思わないで欲しいんだけど」

「ウン?」

「さっき外でイケメンの〈虚構体〉に会ったんだ」

「オオ」

「でも彼女は、今は氷河期なんかじゃなくて真夏……世界は砂漠だって言っていた」

「ウ……うん?」

「〈虚構体〉にだって、ちゃんと温度検知システムは備わっているし、胸部の〈コア〉が周りの景色も視認しているはず……彼女が嘘をついていないとしたら、どちらかが壊れているってことだ」

 ニシキがもっとも恐れるのは、自分という機械が壊れて、歌うことも踊ることもできなくなることだ。

〈虚構体〉やロボットは、人間よりも丈夫で長く生きることができる。けれど決して永遠ではない。

 修理してくれる人間がいれば良いものの、必ずしも修理技術をもつ人間に恵まれるわけではない。自称・千年稼働しているのドワン号だって、型があまりに古すぎて修理できる技術者が見つからず、あと一本ネジが取れたら、ガラガラに崩れて言ってしまうのではないかと心配になるほどオンボロなのだ。

「ニシキチャンも変なコト言うなァ! ( ゚∀゚)アハハ」

 ドワン号は、顔のモニターに、いかにも古代文明らしい顔文字が浮かべた。

「もしニシキチャンが壊れているとしたら、そんなしっかりとした疑問を抱くことサエできないよ。自分カラ疑問を持つことができるAIハ、本当に高度なAIなんだからね。ニシキチャンは、まだまだちゃんと、サイコウに高度なAIだよ」

「で、でも……。〈核〉の知覚器官だけ壊れているってことも……」

「そんなワケない。もし今が真夏だとしたら、今までずっと〈ニシキの氷河期ライブ〉なんてライブ名で、ツアーをすることさえできなかったハズだヨ」

「それは……確かに……」

 ニシキが釈然としない顔をしていると、ドワン号はそっとニシキに近寄り、ニシキの肩をポンと叩いた。

「心配ナラ、ライブでお客サンにも聞いてみるとイイ。……きっとミンナ、どうみたって今は氷河期ダ! ッテ言ってくれるヨ」

 ドワン号が、短い親指をグッと立て、ニシキは口元に笑みを浮かべる。

 ニシキは深く呼吸をする。「お客さんに聞いてみればいい」という言葉は、不思議とニシキの不安をかき消していったのだ。

「……わかった。今日、みんなに聞いてみる」

「ジャア、もう行クネ」

 ドワン号は穏やかな顔の顔文字をモニターに浮かべて、そのまま控え室を後にした。

 ニシキは再びソファにもたれかかる。

「ふぅ……」

 ライブ前の癖で、胸元のペンダントを握りしめる。

 実はこのペンダントこそが、ニシキの〈核〉―—唯一、実体を持つ器官だった。

 一見クリスタルのペンダントだが、実体は太陽光で自家発電し、ニシキの移動意志と連動して浮遊するマシンである。この〈核〉が投射機となって、ニシキというホログラムを生成している。

 脳にあたるAIも、北海道の研究機関にあるコンピューターに内蔵されているのだが、そのAIと通信をおこなっているのもこの〈核〉であった。声を発しているのも実は、この〈核〉からだったりするのだが―—ニシキは巧みに、口から発声されているように見せかけていた。

「ニシキー? 大じょーぶ?」

 はっと顔を上げると、トーキーがニシキの頭の周りをパタパタと飛び回っていた。無事充電が完了したらしい。

「大丈夫……。でももうちょっとリラックスしなきゃね……」

「それなら、裏口を出たところに浄氷器があったヨ。あれを使って、池の氷デかき氷を作っテ、メロンオイルをかけて食べたいナ」

「なるほど」

 ニシキは〈虚構体〉だから、ロボットたちとは異なり、オイルシロップのかかったかき氷を摂取することはできない。

 しかしホログラムのかき氷を生成することはできるし、それを食べたフリをすれば、口のなかに甘さが広がる。そんな機能も含めて〈虚構体〉なのだ。

「……わかった。かき氷食べに行こっか」

 ニシキは頬を綻ばせて、トーキーを肩に乗せて部屋を出た。

 すると。

「わお! ニシキ!」

 ドアを開けた先で、銀髪の少年が声を上げた。

「あ、あなたは……」

 十歳ぐらいの少年で、瞳は若葉と同じ緑色をしている。銀色の髪はさらさらのマッシュルームカット。ワイシャツにリボンタイというなかなか古めかしい服装をしており、良く似合うブラウンのショートパンツをサスペンダーで吊るしていた。

「もしかして……クリストファーさん?」

「そのとーり! シェルターみんなのクリストファー・アダムスだよ!」

 少年は瞳をぴかぴかと光らせる。

 ニシキは彼を知っていた。

 と言ってもこの国において―—否、この世界において、彼の顔を知らない者はいない。

 少年の名は、クリストファー・アダムス。

 世界中のシェルターを維持させている透明ドームを発明した、偉大なる科学者。


 ――の、クローンだった。

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