第1話 金髪少女は夏と語りき

001「ミグチ・コウ」


 ライブ前に案内された控え室は、シェルター内とはいえ摂氏十度を切っていた。

 トーキーは、壁際のコンセントで充電中。

 ニシキは合成樹脂製のソファに座り、控室をぐるりと見まわす

 ここはとある廃墟の一階だ。ライブ会場である工場地帯の近くにあって、もともとは出版社だったと聞く。

 塗装の剥がれかけた壁には、いつのものか分からないカレンダーが張られており、部屋の隅には壊れたホットドリンクメーカーが佇んでいる。

 廃墟となってからは誰かの住処だったのかもしれない。よく見るとジャケットやマフラーが脱ぎ捨てられたままになっているのが見つかった。

(そうだ……。何も不安に思うことはない)

 この部屋の小物を見ても分かる。

 今は確かに、氷河期なのだ。



「—―だって世界は五百年前から、ずっと砂漠だったじゃないか」

 数時間前。その言葉に文字通りショートを起こしたニシキは、塔から真っ逆さまに落下した。

 ぼす、という音が響くこともなく―—ホログラムであるニシキのボディは、雪の上にあっけなく追突した。

「にっ、ニシキーッ」

 トーキーがパタパタと羽根を羽ばたかせて、ニシキのもとに近づいてゆく。

 その様子を見ていた金髪の少女は、躊躇うこともなくひょいと背中から飛び降りて、ニシキの元へ降り立った。

「う、うう……」

 ニシキはうめき声とともに起き上がる。見上げた瞳に映るのは、トーキーと金髪の少女だった。

「よかった。さすがに君も、〈虚構体〉だね」

 少女は、ニシキに手を差し伸べる。

 彼女の容貌は、〈虚構体〉でなければ不可能なほど研ぎ澄まされた均整がとれていた。灰色の瞳は精巧すぎるほどの虹彩が爛々と光をたくわえ、細い眉はどこか男性的な角度でつり上がっている。すっと通った鼻筋を中心に、その顔は完璧な左右対称だった。

(無駄の無さが美しさにつながるタイプだな……)

 フリルを纏ったニシキとは正反対のモデルだった。オレンジのジャケットを羽織っており、すらりとした背恰好とよく似合っている。シャツのなかにペンダントをしまっているみたいで、銀色の細い鎖が首筋にかかっていた。

「……あなたは、何なんですか」

 ニシキは差し伸べられた手を取り立ち上がった。

「アタシはミグチ・コウという。君と同じ〈虚構体〉だよ」

「ミグチ・コウ」

 ニシキはその名を反芻した。不思議と懐かしい響きの名前だ。

「どうしてこの遺跡の上に?」

「それを言うなら、君だってそうだ」

 コウはいなすように首を傾けた。

「ならさっきの言葉はどういう意味ですか」

「さっきの言葉?」

「『世界は砂漠だ』って、言っていたじゃないですか」

「ああ」

 コウが拍子抜けした声を上げるので、ニシキは背筋が冷えるのを感じた。

「言葉通りの意味だよ。君が何を見ているのか分からないけれど、地球は五百年前から砂漠化している、、、、、、、、、、、、、、、、はずだ」

「はい……?」

 ニシキは改めて周りを見渡した。

 地球が砂漠化。

 そんな訳はない。

 どこからどう見ても、いまの世界は氷河期だ。どこまでも雪、雪、雪が広がっているばかり。人々が白い息を吐きながら生活するさまをニシキはこの目で見たことがあるし、コウだってジャケットを身に纏っているではないか。

「ニシキ、ニシキ」

 肩にいたトーキーの声で、ニシキは現実に引き戻される。

「今日は、ライブ。夜からだヨ」

 そうだった。新曲の発掘は一旦あきらめて、そろそろ〈ミナトク・シェルター〉に戻らなければならない。ライブのリハーサルをしなければ。

「ボク……そろそろ街に戻らなきゃ……」

 ニシキは適当にお辞儀をして、コウをその場に残して去った。

 コウの言葉の真相が気になっていない訳ではない。けれど、どうしてだか悪い予感がして―—これ以上コウの前にいたら、何もかもが揺らいでしまう気がしていたのだ。

「かまわない」

 コウがぼそりと独り言つ。ニシキは聞かなかったフリをして、ミナトク・シェルターへと急いだ。

「君とはすぐに、また会えるよ」

 凍てつく風のなか。足跡を付けることもなく、西へ西へと歩いていくニシキは、背中でそんな声を聞いた気がした。


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