第3話 高校2年、7月/合唱コンクールと恋愛ソング

 高校2年、7月。

 合唱コンクール。


 つかさはクラスの指揮者をつとめた。

 だれもが詞を望んでいたし、詞も自ら立候補した。

 詞はとても張り切っていた。


 けれども、クラスは受賞を逃してしまった。

 教室のあちこちですすり泣く声が聞こえてくる。


 こういう時、私は集団のなかの異端児になってしまう。

 感情に乏しいのか、なぜか不思議と涙が出てこない。

 お通夜みたいな教室で、みんなと一緒に泣くことを求められていながら、泣くに泣けず途方にくれてしまう。

 だから学校行事は苦手だ。


 放課後、だれもいない廊下で、私は詞に呼び止められた。


あおい、どうしてちゃんと歌わなかったの?」

「えっ?」


 私はとまどった。

 詞は涙にぬれた目を吊り上げ、頬をふくらませて私に迫ってくる。


「ちゃんと歌ったよ」

「うそ。私はいつもバンドで葵の声を聞いている。バンドの時は、葵の生の鼓動が伝わってくる。今日はぜんぜん伝わってこなかった」

「バンドで歌うのと合唱コンで歌うのはちがうよ。みんなと合わせないとだし」

「合わせた結果、葵の声が死んじゃったら意味ないじゃん! 私は葵の声が好き!」

「唐突に告白されても」

「私、来年ぜったいリベンジする。だから、来年はちゃんと歌って」


 詞は言いたいことだけ言うと、ぷんすか怒って去っていった。


「……完全な言いがかりじゃん」


 てか、来年も詞と同じクラスになれるとは限らないし。

 ただ、この事件以来、私は「歌う」とはどういうことかを考えるようになった。





 8月、夏休み。


 陽炎がゆらめくほどに暑い憎らしい教室で、私は詞に言った。私たちはバンドの練習に来ていた。


「私、あれから考えたんだけど」

「うん」

「合唱コンクールってさ、ソプラノ、メゾ、アルトの3パートに強制的に割りふられるじゃん。あれ、私に合っていないのかも」

「じゃあ、どうするの?」

「来年同じクラスになって、詞が指揮者になったらさ。ソプラノ、メゾ、アルト、葵の4パートに分けてくれない?」


 詞はきょとんとし、それからおなかを抱えて笑い出した。


「アハハハッ! 葵パートなんて聞いたことないよ」

「私も聞いたことない。てか、初めて言った」

「ひー、苦しー」

「もう笑いすぎ」


 私はこれでも真剣に考えたのだ。

 人に合わせたら、私の声は死んでしまうらしい。

 だったら、いっそ合わせなければよいのでは?

 私は、私のパートを、私らしく歌うのだ。


「なんてわがままな。それじゃ独唱だよ」

「あっ」

「ばかなこと考えてないで、真剣にやって。私は勝ちたいの」


 けっきょく、詞に叱られた。

 「歌う」ってむずかしい。




 大きな入道雲が浮かぶ炎天下を、二人で歩く。

 私は夏色の空を見上げた。


「詞ってさ、夏の青空みたいだよね」

「どうして?」


 キラキラとまぶしくて、突き抜けていて、生のエネルギーに満ち満ちていて、みんなが憧れる。

 そういうの、夏の青空っぽくない?

 青春のきらめきを感じさせる詞には、夏の青空はぴったりだ。


 ……と思ったけれど、言うのをやめた。


「なんとなく」


 詞は私の横顔をのぞき、ふむ、と同じ青空を見上げた。


「自分では、お天気雨みたいだと思ってるけど」

「どうして?」

「なんとなく」

「真似すんな」


 まもなく駅に着き、それぞれ異なるホームへと別れていく。

 どうして詞がお天気雨なのか、それきり聞くのを忘れてしまった。






 9月、待ちに待った文化祭がついにやってきた。


 この頃までには、詞が作詞を担当し、私が作曲するスタイルがすっかり定着していた。

 詞は演奏が未熟なことに引け目を感じているのか、代わりにと歌詞を書きまくってきた。

 それも、読んでいるこちらが恥ずかしくなるような恋愛ソングばかりだった。


 でも、悔しいけれど、世を憂うような暗い私の歌詞よりも、恋心をストレートに描いた詞の歌詞のほうが、断然みんなにウケていた。

 私はひそかに落ちこんだ。


 文化祭は大盛況だった。


 校庭のすみに設置された野外ステージで、私は声のかぎり歌った。

 詞は必死にベースを演奏した。双葉のドラムも、美憂のキーボードもすごかった。

 パフォーマンスを終えた時の大歓声は、最高に気持ちよかった。


 詞が充実した笑顔を輝かせ、私に声をかけてきた。


「私さ、人生の価値って、どれだけ人を笑顔にしたかで決まると思うんだよね」

「へー」

「もうちょっと食いついて。で、私を笑顔にしてくれたのは、まちがいなく葵のおかげだから」

「だから?」

「つまり、葵の人生に価値はあったわけだ。よかったね、葵」

「なにその上から目線」


 私は笑った。

 夕日が照らす校庭で、詞もまたはにかんだ笑みを浮かべる。


「ありがとう、葵。私に青春させてくれて」

「こっちこそ」


 礼を言うべきは、私のほうだ。


 学校はあいかわらずあまり好きじゃない。

 でも、詞と過ごす時間は好きだ。




   ○



【詞の手紙③】


 葵への想いは一度では伝わらない。

 そう悟った私は、葵への恋の歌を何度も何度も書きました。


 おかげで、私の秘めた想いはクラスの子たちに知れわたってしまいました。

 ただ一人、葵をのぞいて。


 みんなは面白がって、葵に気づかせようと、私の歌詞をしきりに推してくれました。

 けれども、葵は少しも気づかず、むしろ自分の歌詞がみんなにウケないことに落ちこんでいました。


 葵はいつも私の恋愛ソングをむずがゆそうに読んでくれましたね。

 ぽっと頬を赤らめながら遠慮がちに歌詞を目で追う、葵のウブな横顔がたまらなくかわいくて。

 私はあえて葵が恥ずかしがるような歌詞を書いては読ませ、反応を楽しんでいました。


 私の歌詞に葵が曲をつけてくれたのは、尊いの極みでした。

 私にとって、この世でいちばん甘美な調べでした。


 文化祭の時、葵のとなりでベースを刻みながら、私はずっとときめいていました。

 演奏を終え、私が感謝を告げると、葵は晴れやかに笑ってくれましたね。

 ああ、私の人生にも価値があった、と幸せな気持ちに満たされました。


 あの瞬間は一生忘れません。





( 次回 :「高校2年、12月/告白とつないだ手」 )


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