5月のナイトドライブ
嶋丘てん
5月のナイトドライブ
白いワンピースを着てさっそうと車を降りたその女を最初に見たのは、Sドライブインの駐車場だった。あまり認めたくはないが、ぼくが彼女に巡り会えたのは、トイレに寄りたいと言ったマサキのお陰と言わざるを得ないだろう。もっとも、五月とはいえ、まだまだ肌寒い夜の国道を、ドライブしようと言い出したのはぼくだったから、彼女とは出会うべくして出会ったに違いない。そう、ぼくと彼女とは赤い糸で結ばれていたんだ。
「君、どっから来たん? ひとりなん? 一緒にドライブでもせぇへん?」
ぼくの言葉に彼女は、一も二もなくうなずいた。彼女の赤いカローラⅡに乗り込むと、ぼくたちは日の出を見るために車を飛ばす。
ふたりの会話の狭間を縫うように、ラジオのFM放送がジャズの音色を奏でていた。
少し驚いたのは、《走り屋》っぽくはとても見えない彼女の車が、意外にもミッション車だったことだ。ぼくは華麗なギアチェンジで、日本海へと続く幾つものヘアピンカーブを曲がって行く。
「運転うまいのね」
どうしてミッション車なのかを聞こうと思ていたとき、突然そう言われて、別にどうでもよくなってしまった。
小一時間ほど走っただろうか。Y川沿いを通る道が、少し単調になりだしたとき、ぼくは車を止めて一息入れることを提案した。彼女は運転を代わろうと言ったが、ぼくが疲れて休もうと言い出したのでないことをすぐに察した。
川面を流れる水音が闇の中に響き渡り、忙しなく鳴く蛙に交じって、時折、季節外れな虫の声も聞こえていた。開発の波もこの辺りまでは届いていないらしく、明かりひとつ見えない地上の闇とは対照的に空には、街では見られない程たくさんの星がムードを盛り上げてくれていた。
「おい、何ぼけっーとしてんねん。今どの辺か、はよナビしてくれよ」
ぼくの空想はマサキの言葉でかき消された。そう、そんなうまい話いったい何処にあろうものか。いいところを邪魔されたことに、多少腹を立てながらも、ぼくは地図を開いた。
「えーと、Sドライブインがここやから……今Y川沿いの国道二七号を……もうすぐW町の辺やな」
室内灯を消すと前を走る車に眼をやった。赤いカローラⅡは、見事なまでのコーナリングで、闇の道路を裂くように走って行く。
それにしてもマサキの運転は確かにうまいものだ。
免許を取ってからバイトをして、買った中古のシャレードが、手元に届いたのは、ほんの昨日のことだった。とりあえず何処かへドライブに行きたい。マサキを誘って繰り出したまではよかったが、運転が下手だの危ないのと、いろいろ理由をつけられて、ものの一時間もしないうちに運転を代わらされてからどれくらいの時間が経っただろうか。
この車はぼくのじゃないのか? ナビゲーターをしながらぼくは何度も自問してみた。あぁ、だいたいどうしてこんなばかなことをやってるんだろう。これじゃあまるで変質者と変わらないんじゃないだろうか。しばらく考えたすえ、ぼくは幾つかの疑問を解決する最もよい案を思いついた。
「なあ、もうええ加減に帰らへんか」
かなり前を走るカローラⅡのテールランプを見ながら、ぼくはあきれた口調でマサキに言った。
「何言うてんねん。めちゃくちゃかわいい女が、ひとりでカロⅡ乗ってるんやろ。こんなん引っかけへん手ぇはないで」
「せやけど、もう遅いやん」
「なんや、まだまだこれからやんか。ドライブ行こう、言うたんはノブオやろ」
「そらまあ、そうやけどな」
ぼくはマサキをドライブなんかに誘ったことを少し後悔した。マサキがトイレに行きたいなんて言って、Sドライブインに寄ったことを後悔した。いや本当は、かわいい女がいるって言うことを教えたことを後悔していたのかもしれない。
すれ違う車はほとんど無かった。運転しているのがマサキでなかったら、女の車なんてとっくに見失って真っ暗な道を寂しく走る羽目になっていただろう。ぼくはマサキに教えたことを後悔しながらも、ある面では彼を信頼していた。
「なぁ、オレさっきから気になってたんやけど、アンテナの先に付いてんの、何やろ」
マサキは前方から目を離さずに言った。コーナーの陰に見え隠れするカローラⅡのアンテナには、確かに何かがたなびいていた。
「あのねぇちゃん、走り屋やろか」
マサキの言う通り、いまどきアンテナの先にひらひら何かを付けているのは、走り屋ぐらいだろう。それにしても何を付けているのだろう。ぼくは目を凝らした。
「ハンカチ…か?」
「そうみたいやな……いまどき…ダサダサやなぁ」
横に座っていると、マサキのやる気が急になくなったのがわかった。
「まだ…後付けるか。もう帰らへん?」
ぼくはさりげなくではあるが、大きな期待をよせて聞いた。このまま追いかけ回していたら、ほかの仲間に何かされるかもしれない。確かにマサキもそう思っているはずだった。そのことは、今までしきりに話していた彼が、急に黙り込んでしまったことからも察することができた。
「いいや、どんな顔か見たいしな。ノブオだけええ思いしてずるいで」
これで帰れるだろうと安心しきっていたぼくに、マサキの言葉は無情に響いた。そうだ、いつだってこいつはやせ我慢するんだ。自分だってもう帰りたいくせに、ここで臆病風に吹かれたと思われたくないからって。
「でも、もうすぐ朝になるでぇ。それにあの車、福井ナンバーやろ。たぶん福井まで帰るとこやねんで」
いまならまだマサキの気を変えられるかもしれない。ぼくはいろいろと理由を言って何とか諦めさそうとした。
「もうええからナビしてくれよ」
マサキはぼくの言うことなどまったく聞いていないかのように冷たく言った。こうなってはもう彼の言う通りにするほかなかった。ぼくは有無を言わせぬ彼の行動に半ばあきれながら地図を開いた。
マサキの頑固さは今に始まったことじゃない。こいつとは小学校以来の付き合いになるが、たしか小学校の給食の牛乳を一度も飲んだことはなかったはずだ。どんなに遅くまで残されても、まったく手を付けなかったので最後には先生の方があきれて飲ませなくなった、なんてこともあった。中学のときは、運動会の立て看板の仕事をだれにも触らせないで、ひとりで遅くまで残ってやっていた。ぼくらが手伝おうとすると、ものすごいけんまくで怒っていたっけ。
高三の文化祭なんて受験勉強で忙しくて、誰も真剣にやってなんかいなかったのに、ひとりばかみたいに張り切っていた。頑固というよりは我がままな奴だった。
よくよくかんがえるとマサキは本当に変わっている。ぼくはふと自分が滑稽になってしまった。こんな我がままな男に、よく付き合っているものだ。もっともそこがマサキの良いところでもあるのだが。
マサキの突然の驚き声にぼくは目を見張った。彼は急ブレーキをかけて止まる羽目になった。ぼくは大きく前のめりになりながらも、いったい何が起こったのかを確かめた。
シャレードのフロントガラスには、今までカローラⅡにたなびいていたハンカチが落ちていた。ほどけてしまったのだろうか。
ぼくが一息入れている間に、マサキは車を降りた。
「あぁびっくりした。これがノブオの運転やったら大事故になってたやろな」
マサキは少し鼻にかけた言い方をしながらハンカチを拾った。大きなお世話だと言ってやろうかとも思ったが、確かにその通りだなと思って口を控えると、ぼくも外へ出た。
「カロⅡ見失ってしもたし、もう諦めて帰るしかないな」
どうやらこれで帰れそうだった。ただ、マサキは何も言わず、黙ってハンカチをしげしげと眺めていた。
近くまで寄って行って、マサキが手に持っているのが、ハンカチなんかじゃないことを知った。
こいのぼり。
ミニチュアサイズのヒゴイだ。さっきからひらひらとはためいていたのは、紛れもなくこれに違いなかった。
「ノブオ、何がかわいい女や。こんなん付けてる女は、子連れかうれしがりのアーパーぐらいやぞ」
あきれた調子でマサキは言い、こいのぼりを手渡された。彼は相当ばかばかしくなったようで、肩を落として車に乗り込むと、早く乗るようぼくをせかした。
子どもの日。ぼくは年々薄れて行く季節感の中で、とっくに忘れてしまっていた感覚を、ミニチュアのこいのぼりを眺めながらふと感じた。Sドライブインで見かけたあの女が、かわいかったのかどうかなんて、もうどうでもいいような気がした。
「コンビニでちまき買って食おうぜ」
半ばあきれた様子のマサキにそう提案し、ぼくはナビゲーターを続けた。
あと二キロも走れば、海の日の出が見られそうだった。
5月のナイトドライブ 嶋丘てん @CQcumber
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