第4話 氷央(ひお)

 トラ子とガマ吉を連れた円は、繁華街を見渡す。

「というわけで、繁華街にやってきました! 妖怪さんを見つけよう大作戦!」

 トラ子が円を見上げ、心配する。

「随分、ザックリだよ」


 円が申し訳なさそうに、照れくさそうにする。

「若い子の行くところとか、分からなくて」

「先生も、若者にちがいないだよ!?」


 すると、ガマ吉が突然、叫ぶ。

「氷央!」

 ガマ吉が、声を上げたので、円が焦る。

「ウソ! いたの!? もう!?」


 ガマ吉が激しく、頷く。


 

 氷央が満面の笑顔で可憐に振り返る。


 そして、円とトラ子を目にすると、あからさまにガッカリして、そのまま前を向いて歩いていく。


 ガマ吉が、もう一度叫ぶ。


「氷央!」


 氷央が目を細めて、トラ子の肩にのるガマ口の財布を凝視する。


「うそッ!? 傀儡かいらいッ!?」


 ズカズカと、トラ子達の方へ歩いていき、ぐっとガマ吉に顔をよせる。


「あんた生きてたの!? 随分、可愛くなっちゃったのねー。そんなに弱体化しちゃって」 


 そして、今度は円と、トラ子に目をやる。



「とうが立った子連のお兄さんに声をかけられても一つも嬉しくないと思って、シカトしちゃった!」

「この人、失礼じゃない!?」

「円先生が、珍しく慌てているだよ!」

「そりゃ、こんなキレイな人にそんなこと言われたら、傷付くよ!」

「あら、嬉しい」


 氷央はそういうと、円の結び目から、少し溢れた髪を、そっと耳にかける。


「え! どうしよう! すごいドキドキする!」

「円先生! しっかりするだよ! 食べられちゃうだよ!」

「はっ! そうだった!」

「おい、氷央! 先生に手出すな! 若い男ばっかりが寝込んでるって聞いて。やっぱりお前か!」


 氷央が不満そうに答える。

「え? 何よ?」


「平蔵くんと、吉兵衛くんと、八助くんと、小五郎くんを、知ってますか?」

「あら? その子達……。うふっ。みんな好きよ? みんな、とっても可愛いの!」


 トラ子が氷央の指先に気付く。氷央の小指にはたくさんの赤い糸が巻き付いている。


「すごい、すごい糸の量だよ!」


 円が氷央の指先を見るが、そこには何もない。

「え? そうなの? 見えない!」

「先生には見えないだか……。小指にたくさんの糸が巻き付いてるだ! 浮気者だよ」


 ガマ吉が氷央に意見する。

「お前、大ぴらにやりすぎだぞ」

「しょうがないじゃない、あの時に弱体化しちゃったんだから。あんたと一緒よ。あんたみたいな反則レベルの能力と、こっちは事情が違うの」

「お前だって、十分強いだろ」

「だって……、また、利用されるかもしれないじゃない……。その時のために力はいくらあってもいい…」

 ガマ吉が深刻な顔をする。

「……」


 少し氷央が悲しい顔をしたあと、ケロッと明るく話す。

「それにね、東京は可愛い子がいっぱいいるんだもの! 大都会は違うわ〜」

「この子達が寝込んでしまっていて、糸を切ってあげて欲しいのですが」

「えー……。だって、とっても美味しいんだもの」

「そこをなんとか」

「じゃあ、お兄さんを食べていいかしら?」


 氷央が円をうっとり見上げ、円の顔に白い綺麗な手を伸ばす。円がつい、氷央にみとれてしまう。


 そんな円の袖を、トラ子が強くひっぱる。

「円先生! しっかり!!」

「はっ! また危ないところだった!」


「ていうか、ガマ吉、仲良しだか?」

「仲良しっていうか、なんていうか…」


 氷央がトラ子の質問に答える。

「雇い主が一緒になることが多くてね。傀儡が小さい時は、よく面倒みてあげたのよー。小さい時は、可愛かったわー」

「お姉さん、ガマ吉より年上だか!? ガマ吉はとっても長生きだよ」


 氷央がトラ子の頬をギュッとつねる。


「女性にそういうことを、いっちゃだめよ?」

「きほつけるたよ」


 氷央が何かに気づき、トラ子の顔を、じっと見つめる。


「この子……。そう……、よく似ているわ」


 そして、トラ子に微笑む。




「この子に免じて、さっきいった子達の糸は切ってあげる」

 円が氷央の態度の変化に驚きつつも、喜びの声をあげる。

「え!? 本当に!? ありがとうございます!!!」


 トラ子は氷央の言葉に疑問を持つ。

「オラに免じて?」

 

 氷央は悲しそうな顔をして、そっとトラ子の頭を撫でる。

「……。お世話になったのよ。ちょっと傀儡……じゃなくて、ガマ吉? 貸してくれる?」

 トラ子が氷央に頷く。

「分かっただよ」

 

 ガマ吉が氷央の肩に跳び移る。

 氷央はトラ子に聞こえないように、背を向け小さな声で、ガマ吉に話しかける。



「あんた、あの子から力を貰うどころか、自分の力を使い続けてるの?」



 ガマ吉が小さく頷く。






「もらった力が残ってる……。あの人からもらった力が。それが終えたら、もう……俺は……もう、いいんだ」







「そう……。あんたが、そうしたいなら、そうね……」






 トラ子の方に氷央が戻り、ガマ吉がトラ子の肩に戻る。


「お話、終わっただか?」


 氷央が笑顔でトラ子に頷く。

 

「じゃあね! 子連れのお兄さん二人には興味ないの!」


 くるりと、後ろを向き、氷央が去っていく。


 その背中にガマ吉が叫ぶ。


「おい! 邏卒が俺達に警戒してる! 気を付けろよ!」


 ちょっと、振り向いた氷央がニヤっと笑う。


「まあ、いつものことじゃない?」


 背を向けたまま手を振って、氷央は行ってしまう。


「見た目と違って、随分、あけっぴろげというか、豪快なお姉さんだっただよ」

「鬼女で名前は氷央。昔から見た目で誘惑して、若い男を好んで食うんだ」

「す、すごいだな。今のオラが聞いても良かったやつだ?」

「あ! しまった! トラ子には早かったか?」


「そうか、そうか」

 円が思い出したようにトラ子の耳を塞ぐ。

「もう、遅いだよ!」


 ガマ吉が氷央の説明を続ける。

「鬼女で豪傑。力だけでなく、戦略や知略もお手の物だ。氷央が味方した国は負け知らずと言われている」


 氷央の力を聞いて、円は当然に心配になってくる。

「え……、すごい……、すごすぎない!? 相談者の子は切ってもらったとして、他の子はどうしよう……」

「でも、とことん惚れっぽくて、結構良い奴だから、死ぬまで食ったりしない……かな。他の奴らも、そのうち回復すると思うんだが……」


 ガマ吉が思案する。

「ただ、氷央が余程の窮地にたたなきゃ……な」

「余程の窮地だか……」

「窮地にたてば……、死ぬ程食べる?」



「そういうことも……、あるかもしれない……」

「でも、めちゃくちゃ強いんでしよ?」


「ああ」

「じゃあ大丈夫かな?」


「まあ、確かに氷央が窮地に陥るとなると、歴史的大事件のレベル……」

「歴史的大事件か……じゃあ、大丈夫じゃない? 他の子はいいか!」


 円が手をポンッと叩く。


「で、相談者の子達は助かったわけだから、薬ですって渡したおいたお塩が効いたってことで、成功報酬をもらおう!」


 トラ子は戸惑う。

「……こ、これでいいだか!?」

「一連の流れを説明しても、混乱しちゃうじゃない?」

 ガマ吉も、円の対応に不安が隠せない。

「いや……、その部分もそうだけど、そこだけではなく……」


 二人の心配は円には届かないようで、円はどこまでも、ほがらかだ。

「大丈夫、大丈夫! じゃあ、お家に帰ろうか。今日のお夕飯は何する? 成功報酬も入るし!」

「隣の奥さんに聞いたレシピ! カレーライス! 作ってみたいし、食べてみたいだよ!」

「じゃあ、そうしよう!」

「やっただよ!」


 なんやかんや、トラ子とガマ吉も、ほがらかな円につられて、上機嫌で「あははは」と、笑いながら帰っていく。



ーーー


 遺体が見つかったとの連絡が入り、紅子が現場に向かう。

 また長屋の一角。


 先に到着していた静が紅子に敬礼する。そして、事前に手に入れた情報を伝える。

「19歳、男性だそうです。以前のご遺体の状態と似ていますね」


 19歳とは思えない、干からびた老人のような遺体。普通の死に方ではない。以前も似たような遺体を目にしているため、静も妖怪絡みだろうと、察しがつく。


 今度は紅子が手に入れている情報を静に伝える。

「最近、若い男が奇病にかかってる。医者が診てもどこも悪くない。加えて、共通の容姿の女との接触がある」

「このご遺体とも、関連が?」


 紅子が頷く。


「その女を調べてみる必要があるだろう。糸がどうとか、うわ言をいう奴もいる。その女が妖怪だとしたら」

「糸を通じて、人の心を食べる……でしたね」

「ああ、そうだ」


 静は一つ気がかりなことがある。そんなこと、あるはずがないと、そう思いつつも気がかりなことが。


「あの……、その女性の容姿って」

「年齢は二十歳前後、容姿が整っている。髪は長く、花飾りを頭に付けているそうだ」


 静は氷央がいつも、花飾りを付けていたことを思い出す。


「花飾り……。あの……えっと……」

「なんだ? はっきりしろ」

「いえ…! 何でもないです」


 紅子は、静の曇った顔をみて、もう一度、静に問いかける。


「静? 何かあったか?」


 紅子に何か悟られてしまってはいないかと、静は慌てて答える。

「あ、いや、本当に何でもないです。大丈夫です」

 

 『その女性の名前は?』その質問をすることができなかった。


 20歳前後で美しい容姿、花飾りを付けた女性なんて東京には、いくらだっている。


 そんなこと、あるはずない。そう、思っていても、静は聞くことが出来なかった。


ーーー



 デートを繰り返し、静は氷央ひおのことを少し知るようになってきた。


 氷央は、華奢で可憐たが、身体能力が、かなり高いらしい。


 野球をしている子供のボールが豪速球で、静の顔面に飛び込んできたのを、素手でキャッチする。

 そして、選手顔負けの完璧なまでのフォームで投げ返す。ボールは大きな弧を描き、子供達の方へコントロール良く飛んでいく。


 静が人力車に轢かれそうになった時も、なんと片手で人力車のお兄さんと、静を守った。


 人力車のお兄さんに、氷央が目配せしたことに、やきもきしたが、それよりも氷央の腕力に驚かずにはいられない。


 静は兄のことや、仕事の事を話したりするが、氷央は話さない。話したがらない。


 彼女の背景を静は、何も知らない。

 

 静が知っていることは、彼女が「氷央ひお」という名前なことだけ。


 静は氷央の綺麗な髪に、とてもよく似合っている花飾りに目をやる。




 静は、ガマ吉の存在を知っている。




 最近、管轄内で起きている事件のことも、知っている。



 

 妖怪によって、老人のような屍になった遺体のことも……知っている。



 氷央の身体能力が一般女性と比べて高すぎやしないかと少し考える。

 しかし、静の上官は紅子だ。そういう女性もいるだろうと、考えるのはやめる。


 静には、もう氷央なしの世界は考えられないのだ。


 氷央は可憐で美しく、身体能力が高いだけでなく、頭も良い。今や静の一番の理解者だ。

 静が少し顔を曇らせていると、仕事で何かあったのか? とすぐ聞いてくれる。


 昨日も紅子に、厳しく叱られたばかりだ。



 橋の上で流れる川を見ながら氷央はいう。

「でも……居場所があるっていいじゃない」

 

 静がため息をつく。

「居場所っていえるのかな……」


 川を見ていた氷央が静の方へ振り返る。


「そうよ、居場所よ。嫌いだったら、その紅子って人も静のことそんなに構わないわ。……静のこと好きだったりして?」


 氷央が、イタズラっ子のように、ニヤッと笑う。キレイな顔立ちの氷央が、そうすると、また一段と愛らしい。


 氷央に見とれてしまっていた静は、時間差で氷央の言葉を理解する。ハッとして、静が全力で否定する。


「それは、絶対にないないッ! ないよッ! だったら嫌だし! 怖いし! 氷央ちゃん一筋だし!」


 そんな静に、少しあっけにとられ、そして氷央は微笑む。

 氷央は、また橋の下の川に目を落とす。


「やっぱり、そこは静の居場所よ。私には、居場所なんて、あったことがないわ……」


 あまり見たことのない、氷央の浮かない顔に、静が戸惑う。

「え……」


 少し橋に体を乗り出し、氷央が体を反らす。カラッと明るい、いつもの氷央の表情だ。

 

「でも、ないものねだりかしらね……。一人は一人で、気楽だし!」

  

 しかし、静は、その言葉に氷央のよりいっそうの孤独を感じる。


 氷央は細く美しい右手を、静の顔に伸ばす。


「そんな悲しい顔しないで…」

 

 小さな子供をさとすように、氷央は静の頬をなでる。


 そして、呟く。




「静……。お願いがあるの」 




 氷央のいうことならば、何だって叶えたい、叶えてみせると静は思う。

 

 静は氷央に笑顔を返す。



「何?」




 その言葉は、氷央の潤う美しい唇から発せられる。







「糸を、繋いで欲しいの」











 

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