VOL.8
『だったら無理じゃない?証拠がなければ私を逮捕なんか出来ないわ』
彼女の左手が引き出しの縁にかかった。
『逮捕?私はしがない探偵ですよ。逮捕権はありますが、いちいち
みなまで言わせなかった。
彼女が引き出しから取り出したのは、上下二連式の小型拳銃、レミントン・ダブルデリンジャーだった。
撃鉄を起こしながら、俺の額を狙おうとしたが、こちらの方が一瞬早く、腰から特殊警棒を引き抜くと、彼女の腕を思い切り打つ。
拳銃は彼女の手から落ち、リノリウムの床で乾いた音を立てた。
すぐさま、俺はそいつを足で踏みつける。
物音を聞きつけた看護師や、若い医師たちが、診察室に駆け込んできた。
俺は
警察に連絡してくれるように頼んだ。
『今すぐパトカーが来る。構わんね?』
俺が言うと、彼女は右手を抑え、恨みがましい目で俺を見上げた。
『好きにするといいわ。貴方に私の気持なんか、絶対に分からないでしょうよ!』
『分かりたくないな。分かろうとも思わん。俺は変態が嫌いなんだ。』
俺は努めて冷静な口調でそう告げた。
数分後、夏八木春江医師は警察によって逮捕され、そのままパトカーに乗せられた。
ICレコーダーから取り出したメモリーカードと、デリンジャーを渡し、
『仕事上、依頼人との絡みがあるので、喋れないことは喋れない』と前置きし
『後から出頭するよ』そう付け加えておいた。
勿論、出頭はしたさ。
『それは言えない』
『守秘義務がある』
で押し通す。
挙句は奴らお得意の『免許を停止してやる』と言うお決まりの殺し文句も出してきたが、
『今回は拳銃を使ってないぜ』
というと、流石にもそれ以上何も言わず、2時間ほどで釈放と相成った。
彼女の方はどうなるんだろう。
まあ、俺が喋ったことにはウソはない。
だからといって証拠があるわけじゃないからな。
向こうも拳銃の不法所持くらいが関の山だろう。
あれから一か月経った。
馴染みの弁護士から聞き出したところによると、俺の予想通り、夏八木春江医師は、拳銃の不法所持で起訴はされたが、前歴もなかったので、執行猶予の判決が下っただけだった。
ジャクソン氏病に感染した血液を他人に注射したことについては、もう年月も経ってしまっているし、本人の自供だけでは何ともしがたいということで、証拠不十分で処分保留になったそうだ。
霧野真弓はどうなったって?
彼女はあれから、出版した手記がベスト・セラーになり、病気であることをカミング・アウトして、講演やら、テレビ出演やらでひっぱりだこ、一躍、
”時の人”になってしまった。
今回の一件で、何かしらの得をした人間がいたとすれば、間違いなく彼女だろう。
女、いや、女優と言うものは、あのくらい図太い神経の持主でないとやってゆけないのだな。
俺はそんなことを思いながら、ネグラの外のベランダで、今日もひと眠りしている。
夏の太陽も少し斜めになりかかっていた。
終わり
*)この物語はフィクションです。登場する人物や出来事は全て作者の想像の産物であります。
特に『ジャクソン氏病』という性感染症は存在せず、実在する性感染症の患者様を差別・侮辱する意図はまったくございません。
黄色い悲劇 冷門 風之助 @yamato2673nippon
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