好きは捨てられない

砂鳥はと子

好きは捨てられない

 土曜日の朝、秋晴れらしい爽やかな青空が広がっていた。

 出かける準備を終えた私は居間に顔を出した。

 「ママ、真里香さんのところに泊まりに行って来る!」

「また真里香ちゃんのところ!? そんなにしょっちゅう行ったら迷惑になるでしょ。芽衣と違って真里香ちゃんは大人なのよ」

「え〜大丈夫だよ。迷惑かけてないし、真里香さんもいいって言ったもん。お義父さん、いいですよね?」

「いいよ。いいよ。真里香も妹ができたって喜んでるから」  

「はい、問題なし! 行ってきまーす」

 まだ何か言いたそうな母を横目に私は家を飛び出した。

 住宅街を抜けて大通りに出る。歩いて五分ほどの郵便局の前で待っていると見慣れたスカイブルーの車が停車した。

 私は助手席に乗り込み、車は南に向かって走り出す。

 今日は二人で水族館に出かける。その後、夜は真里香さんの住むマンションに泊まることになっていた。

「私、水族館に行くの小学生の時の遠足以来です! 真里香さんは?」

「私は大学の時に友だちと行った以来かな。水族館久しぶりだから楽しみ」

「私もです!」

(今日で真里香さんとデートするの何回目だろう)

 真里香さんにとっては義妹との暇つぶし、もしくは義妹のおもりみたいなものだろうけど、私にとっては正真正銘デートだった。

 たとえ私が一方的にしか思っていなくても。



 一年前、私の母は真里香さんの父と再婚した。

 私には十歳年上の義理の姉ができた。

 真里香さんは美人で大人で最初に顔を合わせた時から私は彼女にとても惹かれた。

 普段は落ち着いた物腰で、そこがとてもかっこよくて、でも笑顔はとても人懐っこい。

 こんな素敵な人が自分の姉になるのかと、とてもわくわくした。

 姉ができたことが嬉しくて、私は元から姉妹だったんじゃないかというくらい真里香さんに懐いた。

 彼女からしたら十七歳の私なんて子供だし一緒にいてもつまらなのではないかと気を揉むこともあった。

 だけど真里香さんはいつも楽しそうに私の相手をしてくれて、今では家に泊まりに行くほどの仲になった。

 端から見たら年の離れた姉妹、世間的にも私たちは血が繋がってないとはいえ姉妹だけれど、私はいつしか真里香さんに想いを寄せるようになっていた。

 幼稚園の先生やピアノの先生、隣に住んでた大学生、よく行く本屋のお姉さん。

 私の片想い相手はいつも年上の女性だ。この恋愛遍歴を見れば真里香さんを好きになるのも必然ではないだろうか。

 相手が義理の姉だとしても、私は血は繋がってないのだらかセーフということにしていた。

 どうせ叶わない恋ならとことん想い出を作って楽しんでやろうと私の週末は真里香さんに会うことに費やされた。



 水族館の通路は青く暗い影に覆われていた。

 魚たちが遊泳する水槽が幻想的に浮かび上がる。

 水槽の光に照らされた真里香さんの横顔はいつまでも見つめていたいくらいに美しい。

(恋人同士なら手を繋げるのにな)

 周りには家族づれや仲睦まじいカップルの姿がある。

(腕を組むくらいならいいかな。仲の良い姉妹ならそれくらいありだよね)

 私は人が少なくなったすきに真里香さんの腕に自分の腕を絡める。

 少しでも嫌そうだったらすぐやめるつもりだった。

 真里香さんは特に振りほどくような素振りもなく魚たちを追っている。

「きれいですね」

「そうだね」

 真里香さんが私を見返す瞳があまりに優しいので色々と勘違いしたくなる。

「きれいですよ、真里香さんが」

「こら、からかうな」

 とデコピンされた。

「……ううっ、ひどい。本当の事なのに!」

「大人をからかうなんて困った妹ね」

 私なりに頑張ってアプローチしてもやっぱり私は妹でしかないのか。

(せめて私がイケメン男子高校生だったらちょっとは真里香さんをドキドキさせられたのかな)

 やるせない気持ちの私に見せつけるかのように体を寄せ合ったカップルが通り過ぎる。

(来世頑張るしか真里香さんと結ばれる方法はないのか…)



 水族館を楽しんだ後、私たちは近くのレストランに来ていた。

 お昼から少し外れた時間のせいかお客さんも少なく、海が見渡せるテラス席に座ることができた。

 テラスには私たちしかいないせいで貸し切りみたいなものだ。

 穏やかな潮風が心地よい。

「最近ずっと真里香さんと遊んでもらってますけど……、その……、真里香さんは彼氏さんに怒られたりしないですか? 私が独占しちゃって悪いなって」

 今まで怖くて聞けなかったことを口にしてみた。

 年齢的な事を考えれば真里香さんに彼氏がいてもおかしくない。婚約してる可能性すらある。

 私が知る限り真里香さんから彼氏の話はまだ聞いていない。

 たとえ想いが叶わなくても彼氏がいるかいないかでは気持ち的には違う。

「そんなこと気にしてたの? いないから気にしないで。せっかくできた可愛い妹とのデートは楽しいから大丈夫よ」

 ただの言い回しで深い意味なんてなくてもデートという言い方に思わず口の端がにやけそうになる。

 しかもフリーだ。心の中の私は嬉しさで小躍りしている。

「彼氏いないんですか? 意外だなぁ。真里香さん絶対モテそうなのに」

「芽衣ちゃんはすぐ持ち上げるんだから。私なんて全然モテないから。それに今まで彼氏がいたこともないしね」

「またまた〜」

 真里香さんレベルで彼氏がいないなら、私なんて一生彼氏なしではないか。私は彼氏より彼女の方がいいけども。

「本当に彼氏いたことないよ、私」

 思いの外、真剣なトーンで返されて私は困惑した。

「えっと……。恋愛に興味ないとか、恋愛感情が沸かないとか、ですか?」

「芽衣ちゃん、ちょっと耳を貸してくれる?」

 そう言うので顔を近づけたけど、至近距離すぎておそろしくドキドキしてきた。

「私、男の人と付き合ったことないの。女の人とはあるけどね。お父さんたちには内緒ね」

 「………」

 何だろうこれは。聞いてはいけないことを聞いてしまった、いや私が一番嬉しい展開になっているのではないか?

 それとも真里香さんが好きすぎるあまり何かを聞き違えたのだろうか。

「な、何でそんなだ、大事なことを私に……」

 とりあえず落ち着くためにコーラを飲んだら思いっきりむせてしまった。全然落ち着けない。

「ちょっと芽衣ちゃん大丈夫? いきなり変なこと言ったから驚かせちゃったよね…。でも何かね自分でも分からないけど芽衣ちゃんになら話してもいいかなって。ごめんね。気持ち悪いよね」

 もしかしたら真里香さんも何となく私と『同じ』だと察したのかもしれない。

「全っ然!全然気持ち悪くなんてないです! むしろ今の時代、恋愛は男女だけなんて古いですし、私もその辺の男なんかと付き合うくらいなら真里香さんと付き合いたいくらいだし! 真里香さんが打ち明けてくれてすごく嬉しいです」

 私は真里香さんの白い手にそっと自分の手を重ねた。

 このままマジで告白してしまおうか。

 真里香さんが女しか興味ないならこんなチャンスはない。

「芽衣ちゃん、ありがとう。あなたみたいな優しい『妹』ができてよかった。血は繋がってないけど芽衣ちゃんはずっと大切な『妹』だよ。もしお父さんたちが別れても私にとっては大事な大事な『妹』だから。困ったことがあったら何でも言ってね。『妹』のためなら頑張るから私!」

(真里香さん、妹、妹って言わないで……)

 嬉しいのか泣きたいのか分からなくなってきた。

 同性というハードルがすっ飛んだところで妹というハードルは撤去されていなかった。

「私だって真里香さんのことすごくすごく大事に想ってますから。誰が何と言おうと何が起ころうが私は真里香さんの味方です!」

 義理の姉妹が分かりあえたのだから、ドラマならいい感じにここで終わるのかもしれないけれどそうはいかない。

 どうすれば真里香さんとの仲を進展させられるだろうか。

「ところで真里香さん、彼氏がいないのは分かりましたけど、か、か、彼女はいるんですか?」

 彼氏がいなくても彼女がいては意味がない。

「一年前はいたよ。振られちゃったけどね。だから今は一人」

(よしっ!)

 私はテーブルの下で小さくガッツポーズをした。

 まずは脱、妹しなければならない。

 これからどうやってアプローチしていくか。私は黙々とサラダを食べながら考えていた。 



 あの後、二人で買い出しに行き夕飯を一緒に作って食べた。もし、真里香さんが彼女なら毎日こんな風に過ごせるのかと思うと妄想が止まらない。

 しかも真里香さんも女性が恋愛対象なら尚更に色んな楽しい未来を夢想してしまうのも仕方ないのではないだろうか。

 先にお風呂に入った私は居間で髪を乾かしながらテレビを見ていた。年の差結婚した芸能人カップルが集まってトークしているのをぼんやりと眺める。

『私、年下の男性ってどうしても恋愛対象として見れなくて〜』

 (うん、うん。分かる。私も年上の真里香さんみたいな人に惚れちゃうしな〜)

 真里香さんはどうなんだろうか。年下が恋愛対象じゃなかったら私がどんなに可愛かったとしても何も発展しない可能性がある。

(後でそれとなく聞いてみよう)

 と思ってたらタイミングよく真里香さんがお風呂から戻って来た。

「芽衣ちゃんがくれたバスソルト、あれすごくいい香りだね〜。おかげで長風呂しちゃった」

「あれ、バイト先の先輩に教えてもらったんですよ。真里香さんが気に入ってくれてよかったです」

 ちゃんと大人の女性に聞いて気に入ってくれそうなものを探してきた。

 お風呂上がりの真里香さんは目の毒だ。いや、目の保養だろうか。

 白い肌がうっすらと赤味を差し、ショートパンツから伸びた長い足が艶めかしい。

 あまりまじまじと見すぎて変に思われないように目を逸したいのに見てしまう。

(いつもこんな無防備なのは私が『妹』だからだよね)

 色んな意味でため息がこぼれ落ちそうだった。

 真里香さんは冷蔵庫から缶ジュースを持って来ると私の隣で美味しそうに飲んでいる。

 缶を持つ指先を見て、どんな風に好きな人に触れるんだろう、とかそんなことばかり考える。

「そう言えば真里香さん、一年前まで彼女いたって言ってましたけど、どんな人だったんですか?」

「気になるの?」

「そ、それは気になりますよ! 真里香さんみたいな素敵な人が惚れるくらいなら、きっと魅力的な女性なんだろうなって…。聞いちゃだめでしたか?」

「ううん。別にいいよ。『妹』とこんな話できるなんて嬉しいなぁ」

 無邪気に笑う姿にちょっと切なくなる。

 妹…。妹…。どう転んでも私は妹なんだ。

「私の元カノは十二歳年上のOLさんだったよ」

「と、年上…」

「うん。頼りがいあって包容力があって、でも時々ちょっと抜けてて。でもそこがまたチャーミングな人だった」

 真里香さんはすごく懐かしそうに語る。

「そうなんですね。真里香さんはその……、年上の人がタイプなんですか?」

 肯定されたらどうしようかと心臓がばくばくする。      

 どうあがいても私は年上にはなれないから。

「特に年上の人じゃなきゃダメってことはないよ。年下とも付き合ったことあるし」

 私は心の中で盛大に安堵した。

「けどしばらく年上は無理かもしれないなぁ」

「何でですか?」

「その付き合ったてた人に『一緒にいても安らげない』って言われちゃって。私、彼女に頼りきってたから…。また年上の人と付き合っても同じことになりそうだからさ……」

 とても悲しそうな横顔に胸が締め付けられる。

「わ、私は真里香さんといるとすごく安心できるし、でも困ってたら助けたいし頼られたいし。私高校生だから何もできないけど……。何か困ったり悩んでたら頼ってほしいです。私ができることなら何でもするので!」

「ありがとう、芽衣ちゃん」

 真里香さんに抱き寄せられて、私は初めて好きな人の腕の中にいる温かさを知った。

「妹がいるっていいね」

 胸の高鳴りと、甘い幸せと、どうしようもない切なさ。

(真里香さん、妹じゃ嫌だよ)

 私は泣きそうになるのを何とか堪えていた。



 夜も深まり、私は思い切って真里香さんにお願いしてみた。

 「あの、一緒に寝てもいいですか?」

 いつも泊まる時は私は和室に布団を引いて別々に寝ている。

 姉妹とはいえは元々は赤の他人なので、寝るスペースは分けた方がいいと思ってそうしてきた。

 でも今日はもっと近くにいたい。

「いいよ。じゃあ一緒に寝ようか。私のベッドあまり広くないから落ちないように気をつけてね」

「……は、はい」

 私は確かに一緒に寝たいと言った。

 それは横に布団を並べて寝るつもりだったので同じベッドの上は想定外だった。

(真里香さんがいいって言ってるんだからいいよね)

 自分から言い出しておいてあれだが少し罪悪感があった。私が真里香さんを好きということは知らないわけでこれでは騙してるような気がしたから。

 まだひんやりしてるベッドの中に二人揃って入る。

「芽衣ちゃん、もっとこっちに寄らないと落ちちゃうよ」

 引き寄せられてほとんど密着状態になった。

(どうしよう…。心臓の音が真里香さんに聞こえたら恥ずかしい)

 今日は真里香さんとの物理的距離がめちゃくちゃすぎてずっと脈が忙しない。

「私、あのっ、真里香さんのことやましい目で見ないので許してください」

 頭が混乱してよく分からないことを口走っていた。「もうどうしたの? 急に」

 真里香さんは楽しそうに笑っている。

 言うか言うまいか。私は迷ったけれど言うことした。自分のことを。

「あのですね真里香さん、女性が好きなんですよね?」

「うん」

「私も、女の人しか好きになったことがなくて…。あっ、本当ですよ! 真里香さんに気を使って合わせてるとかじゃなくて、私も……同じなんです」

 真里香さんが優しく私の頭を撫でてくれる。それだけで泣きそうだった。

「そっか。芽衣ちゃんもなんだ。こんな偶然あるんだね。でも何となくね、そんな気はしてたんだ。これからはお互いに相談したりできるね」

「そうですね」

 相談。それは恋の相談なわけで、私は真里香さんが他の人に恋してる話を平常心のまま聞ける自信はない。

 こんなに好きな人の側にいるのに、私は妹のまま。ずっと妹なのだろうかと思うと胸が痛かった。


 

 

 

 玄関の姿見の前で髪型と服装を改めてチェックする。我ながら完璧なコーデだ。

 この間電話した時にそれとなく真里香さんの好みを聞き出した。

 髪が長い女性が好きらしい。この日のためにツヤツヤのサラサラヘアーになるため手入れだって頑張った。

 洋服も秋らしい色合いにしつつ、女の子らしさを追求した。

 まず私がやらなければいけないことは「脱、妹」。

 そのためには真里香さんに"女性として可愛い"と思ってもらえないといけない。

 私だって真里香さんのことが好きなのだから、真里香さんも私を好きなる可能性はゼロではないはず。

(年下とも付き合ったことあるって言ってたし) 

 『今日の芽衣ちゃん可愛いね。可愛すぎて妹として見れなくなっちゃう』

 妄想の中の真里香さんに迫られてキスされそうなところでメールの着信音が鳴る。

 真里香さんがいつもの場所まで迎えに来てくれたので、私は急いでそこまで向かった。

 車に乗って開口一番、真里香さんは

「今日の芽衣ちゃんいつもよりおしゃれだね」

 と言ってくれた。これは好感触だ。

「すごく可愛い」

 子犬を撫でるみたいに頭を撫でられた。

「こんな可愛い『妹』、みんなに自慢したくなっちゃうな」

 嬉しくてこぼれた笑顔が引きつりそうになる。

 妹。妹。妹。

 妹という概念を今ほど憎々しく思ったことはない。

 よく考えたら私は真里香さんの『妹』になったからこそ出会えたわけで、姉妹にならなければ永遠に知らない人のままだった。

 だけど私は妹ではなく、いつか彼女として真里香さんの隣にいられるようになりたい。

(こんなに好きなのに……) 

 流れる景色を見ながらやり場のない想いを持て余していた。



 私たちの今日の目的地は海が見える大きな公園だった。公園とは言っても敷地は広大で、園内には博物館や洋館もあるらしい。

 展望台からは遠くに海と白い大きな橋を眺めることができた。

 土曜日ということもあり、そこそこ人出もある。

 デートスポットになってることもありカップルの姿もよく目に入った。

「今日の芽衣ちゃんは本当に可愛いね。いつもよりちょっと大人っぽいね」

「褒めてもらえてすごく嬉しいです! 真里香さんに可愛いって思ってもらえるように気合を入れてきましたから!」

 妹扱いにいつまでもくじけていては進展は皆無。

 こうなったらいかに私が真里香さんが好きなのか積極的にアピールしていくつもりだ。

「気合入れなくても芽衣ちゃんは十分可愛いのに」

「本当ですか? じゃあ私、真里香さんのか、彼女に立候補しちゃおうかな」

 ちょっと大胆すぎただろうか?

「いいね〜。私たちしょっちゅうデートしてるもんね」

 真里香さんはにこにこしてくれるけど冗談だとしか思ってなさそうだ。

「けっこう本気で真里香さんの彼女になってもいいかなーって…」

 なってもいいどころかお願いしたいくらいだけど。

「よし! 分かった! 芽衣ちゃんは今日から私の彼女ね!」

(全然本気にされてない……)

 真里香さんに後ろからぎゅっとハグされる。

 私の心拍数はどんどん上がるけど、真里香さんにとっては『妹』とのスキンシップにすぎない。

 きっと私みたいに好きなら逆にこんなことはしないのではないか。

 仲のいい姉妹のお遊びみたいにしか思われてないんだろうな。

 つくにつけないため息を飲み込むしかなかった。



 私たちは展望台から離れて洋館のある場所までやって来た。丁度、秋バラの盛りでピンクや赤や黄色、白のバラたちが満開になっている。

「真里香さーん、こっちにすごい可愛いバラ咲いてますよー!」

 白に近い淡いピンク色にフリルのような花びらを幾重にもまとった愛らしいバラがたくさん花を咲かせている。

「これはプチ・トリアノンだね」

「バラの名前ですか?」

「うん」

「これは何ですか?」

 隣に咲く赤いバラを指してみる。

「こっちはジークフリート。あそこの赤いバラはルージュ・ロワイヤル。あの黄色いバラはサンライト・ロマンティカ」

「真里香さん、バラに詳しいんですね! バラ好きなんですか?」

 知らなかった一面が見られて私は嬉しくなった。

「元カノが好きだったからね。いつの間にか私も分かるようになってたんだよね」

「……一年前に別れた人……ですか?」

「そう。年上のね。実はここ、その人に初めて連れて来てもらった場所なの。バラ見ると思い出すなぁ…」

 慈しむようにバラを眺める真里香さんには何が見えているのだろう。きっと大好きだった人との楽しかった想い出に違いない。

「あの……もし、もしその人がまた真里香さんとよりを戻したいと言われたらどうしますか?」

「どうかな? 多分言わないと思うし私にはもう過去の人だから」

 とさっぱりした表情だ。

「私と別れてすぐ恋人できたらしいからね〜」

 笑顔で軽いノリで返されても、すぐに他の人と付き合われたなんて辛いはず。

「真里香さんごめんなさい。辛いこと思い出させてしまって」

「何で芽衣ちゃんが謝るの? 芽衣ちゃんは何も悪くないから。辛気くさい話しちゃってごめんね。本当にあの人のことはふっきれてるから」

「………」

「本当だって! 芽衣ちゃんのおかげで失恋の痛みなんてどっか行っちゃったんだから」

「私のおかげで…?」

「この一年、芽衣ちゃんと色んなところに遊びに行ったでしょ? 楽しい思い出が一気に増えたから振られたことなんてどうでもよくなったんだよ。そうだ、せっかくだから一緒に写真撮らない? もっと芽衣ちゃんとの楽しい思い出増やしたい」

 私といることで失恋を忘れられたのがどこまで本当かは分からない。けれど私と一緒にいて楽しかったならこんなに嬉しいことはない。

「はい! 私あそこのバラのアーチの所で撮りたいです!」

 今日はいっぱい写真を撮ろう。真里香さんがバラを見たら私を思い出してもらえるように。



 あの後、私たちは近くの行ける観光スポットを巡りひたすら楽しんだ。いつの間にか日も沈み夕飯も外で済ませて、真里香さんのマンションに帰ってきた。

 私がお風呂から出ると真里香さんはソファにもたれて眠っている。

(起こした方がいいのかな。でも気持ち良さそうに眠ってるし…)

 息を止めてそっと真里香さんの寝顔を覗き込む。

 よく寝顔は子供の頃と変わらないと言うけれど、何となく分かる気がした。いつもよりあどけなく見える。

(……キスしたいな。………だめだめだめだめ! 寝込みを襲うなんて最低だからだめ)

 触れたい。大好きな人に触れたい。

 想いばかりが募っていく。

「……めい……ちゃ…ん」

「はっ、はいっ」

 やましいことばかり考えてた私は飛び上がるほどびっくりした。

「……………」

「…………寝言?」

 真里香さんは目を開ける様子もなく、まだまどろんでいる。

(夢の中の私ともどこかへ出かけてるのかな) 

「…すき……すきだよ……」

「あっ…!!」

 眠ってるとは思えないくらい強い力で私は引き寄せられて、抱き枕のように腕を回される。

(これはどうすれば……どうしたら……)

 真里香さんは夢の中で何に好きだと言っているのか。

(流れで言ったら私だよね…。でもきっと妹としての好きだから……。分かってる)

 私は真里香さんの肩を軽く揺する。

「起きてくださーい。お風呂空きましたよ〜。真里香さーん」

 しばらくすると真里香さんはゆっくりとまぶたを開けて焦点の合わない目で私を見上げている。

「起きてください。あと離してください。もう! 私は抱き枕じゃないですよ!!」

「……あっ、芽衣ちゃん、おはよう」

「おはようじゃなくてこんばんはです。夜です」

「あー……。ごめんね。寝落ちしてた…。私何で芽衣ちゃん抱きしめてるの? あれ寝ぼけてた?」

「そうですよ。寝ぼけてたんですよ。何か夢見てました? …………どんな夢だったんですか?」

 私はまるで何でもないように聞きながら少しそわそわしている。

「夢……うーん、確か芽衣ちゃんと………」

「私と?」

 真里香さんが腕を離したので名残惜しいけれど私も離れる。

「覚えてないや。どんな夢だったかなぁ。夢って起きると忘れちゃうね。お風呂で頭さっぱりさせてくるね」 

(期待するようなことなんて起こらないよね…)

 完全に目が醒めたらしい真里香さんは伸びをするとお風呂へ去ってしまった。





 二週間後の土曜日。今日は真里香さんが午前中は用事があったため、午後から会うことになっていた。

 ちょこっと買い物してぶらぶらしているうちにあっという間に空は暗くなった。

「夜景でも見てみる?」

 真里香さんの提案で海沿いの公園まで足を運んだ。 

 海はすっかり墨色になっているけれど、離れたところに並ぶ高層ビルの明かりが宝石のように輝いている。

「私、こういう夜景を生で見てみたかったんです!」

「芽衣ちゃんに見せられて私もすごく満足。この間、テレビ見て行ってみたいって言ってたからね」

「覚えててくれたんですか?」

「大事な芽衣ちゃんの言うことなんだから当然でしょ?」

 真里香さんの優しや気遣いが他の人のどんな優しさより嬉しい。

「あっ、あの真里香さん、手……。手を繋ぎたいんですけど……だめですか?」

 今なら手を繋ぐくらいできるんじゃないかという気がした。断られるだろうか。緊張で胸がどくどくと脈打っている。

「いいよ」

 真里香さんが私の手を取ってくれた。

 温かな眼差しで見つられて、私の中の期待感が大きくなっていく。私がただ期待したいだけで、自分にとって都合がいい答えが出るのではと確信したくて。

 今なら気持ちが伝わるような気がしてしまった。

「真里香さん、私……! 初めて会った時から真里香さんのことが…」

「それ以上は言っちゃダメだよ、芽衣ちゃん」

 私の口は真里香さんの人差し指で塞がれた。

 一番伝えたい言葉が出せない。

「芽衣ちゃんが何を言おうとしてるか分かるよ。でもそれは言ったらダメ」

「……なんで……なんでですか?」

「私たちは姉妹なんだから。そういう気持ちは持ったらいけないでしょ?」

「真里香さんは私のこと、嫌いですか?」

「嫌いだと思う? そんなわけないじゃない」

 私は優しく真里香さんに抱きしめられた。体が一つに溶け合ってしまいそうなくらいに心地よい感触に包まれる。

「私、真里香さんが好き!! 真里香さんのことが好きです! 他の誰よりも世界で一番あなたが好きです!!」

 言ったらだめだと言われても、私の気持ちはもう抑えられない。こんな風に抱きしめられてどうしたら言わずにいられるんだろう。ずっと想ってきたから。真里香さんのことを。真里香さんのことだけを。

 たとえ義理の姉妹だろうが家族だろうが関係ない。

 私にとって何よりも愛おしくて好きで好きで好きでたまらない大好きな人だから。

「私は真里香さんが好きです。伝わらないなら伝わるまで何度でも言います」

「言ったらだめって言ったじゃない……」

 すごく辛そうな声が返ってくる。

「私、芽衣ちゃんと出会えてよかったよ。あなたと出会った頃、彼女に振られて心のどこかがずっと寂しくて空っぽだった。そんな時にお父さんが再婚して妹ができるって知ってもどうせ一緒に暮らすわけじゃないからどうでもよかった」

「……真里香さん」

「だけど芽衣ちゃんと会って、私のこと慕ってくれて嬉しかった。いつもいつも芽衣ちゃんが私に全力で好意を向けてくれるのがいつの間にか私には癒やしになってた。だからね、私芽衣ちゃんのこと大事にしたいの。『妹』として」

「………私は嫌です。『妹』なんて嫌です。私が真里香さんを好きな気持ちは『恋』だから、妹は嫌です!!」

 このまま突き進んだら、もう妹ですらいられないかもしれない。けれどもう私の好きという気持ちは隠せない。

「芽衣ちゃん、お願いだからもうそれ以上『好き』だなんて言わないで……。あなたは大切な…妹だから」

「嫌です。嫌だ。私は真里香さんが好き!! 彼女になりたい『好き』なんです!」

 頭の中はぐちゃぐちゃだし泣きそうだけど、嫌われようがどうしようがこの好きという気持ちだけはどうしようもない。

「好きです、真里香さん…」

 静かに真里香さんの両手が私の頬を包む。唇が重なりそうなくらいに近づく。

「私はあなたの姉なの。だからね、好きだなんて言わないで。これ以上言われたら芽衣ちゃんのこと妹として見れなくなっちゃう……。芽衣ちゃんへの愛しい気持ちは恋愛感情じゃない、家族愛だって言い聞かせてきたことが……無駄になるじゃない」

「………じゃあ今すぐ無駄にしてください」

 私は自分より少し高い位置にある真里香さんの唇にキスをした。初めてするキス。やり方なんて分かんないけど、感情が赴くままにキスをする。

 真里香さんも私と同じ『好き』なのに、それを無視する理由なんてあるだろうか? いや、ない。

 姉妹? 家族? そんな事関係ない。私はこの人が大好きだからしょうがない。

 真里香さんのことがただ好きなのに、恋愛感情を持ったらいけない間柄だから気持ちを捨てるなんて私には無理だ。

「芽衣ちゃん、やっぱりいけない…私たち…」

「姉妹だからですか? 血は繋がってないから問題ないです」

「………お父さんやお義母さんだって……」

「二人は私たちが幸せならいいと思います。私は真里香さんと両想いだって分かったのに結ばれなかったら死ぬほど不幸です。不幸のまま生きるなんてそれこそ親不幸です」

「……芽衣ちゃんは強いね」

「強くなんてないです。わがままなだけです。なので真里香さんに今わがまま言ってもいいですか?」

「う、うん」

「キスしてほしいです」

 真里香さんに抱きよせられる。体中に甘い感覚が走り抜ける。

 ちゅっと音を立てておでこにキスをされた。

「な、何で口じゃないんですか!?」

「それは、仕方ないでしょ。芽衣ちゃんはまだ、十七歳だし……あんまりこういうことはしちゃいけない年頃なんだから」

「私の友だちで大人と付き合ってる子いますよ!?」

「お友だちと私たちはまた別の話で……」

 何とか妹というハードルも取り除いたのに今度は未成年というハードルが出現してしまったようだ。

「分かりました。真里香さんからのキスは当分お預けでいいです。代わりに私からキスしますね。それなら問題ないですよね」

 私はもう一度自分から真里香さんの唇に触れた。

「そういう問題じゃないんだけどなぁ…。もう本当に芽衣ちゃんは困った妹ね」

「妹じゃなくて彼女に訂正してください。彼女でいいんですよね、私たち」

 真里香さんに抱き寄せられて私も思いっきり腕を回した。

 きらめく夜景の下で私たちの影はしばらく重なったままだった。





 あれから半年近く過ぎた。

 季節は春になり、私たちは以前と変わらずよく遊びに出かけている。

 前と変わったことは私が一方的にデートだと思ってた行為が本物のデートになったことだ。

 数日前、五月某日。私は誕生日を迎えて十八歳になった。

 土曜日の今日は真里香さんの家にお泊りしている。

 家族四人で誕生日祝いもしたけど、今日は真里香さんから改めてお祝いしてもらった。

「真里香さん、私、十八歳になったんですけど」

「うん、それ何回も聞いてるから知ってるよ。さっきもケーキ食べてお祝いしたよね」

「はい! 十八歳ですよ! 十八!」

「誕生日が嬉しかったんだね」

「何でそんな鈍いんですか!!」

「あっ、ごめんね。プレゼントもう一つ欲しかった?」

「違います! 十八と言えばほら、もう大人の階段に登ってるようなものですよね」

「そうね」

「……もっとこう、真里香さんとより恋人らしくなりたいというか……」

 真里香さんがおいでおいでと手招きしたので私は隣に座った。

「芽衣ちゃんて何でこんな積極的なの?」

「そんなの真里香さんが大好きだからに決まってるじゃないですか」

「本当はあと二年待つつもりだったんだけど…」

「そんなに待たないでください!」

「まぁ、そこまで芽衣ちゃんが挑発するなら、覚悟はできてるんでしょうね?」

 流し目で見つめられて背中がゾクゾクする。

 こんな目をするなんて卑怯だ。

「できてますよ、もちろん」

 と言ったものの鼓動が早くなりすぎて目が回りそうだ。

 真里香さんに顎を掴まれて唇を塞がれる。

 それは私が今まで一方的にしていたキスとは違い、脳も、心も、魂も、唇も、身体も全てが熱くとろけるような幸せなキスだった。

(真里香さんからしてもらう初めてのキスだ)

 恋人同士だからって絶対何が何でもキスしなければいけないなんてことはないと思う。

 だけどこうして大好きな人と触れ合えるのは幸せで心がときめく。

「……私、真里香さんのこと絶対幸せにします。何もできないけど」

「何もできなくてもいいよ。芽衣ちゃんがいればね」


 私たちは義理の姉妹で、やっぱりこんな風に幸せになるのはいけないことなのかもしれない。

 だけど私は真里香さんの彼女でいることが一番の幸せで、真里香さんもそう思ってくれている。

 いつか家族じゃなくなることもあるかもしれない。

 それでも私たちは想い合う限り、一緒にいようと決めた。


 

 

 


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