ほころび

 太陽が西の地平に落ちていく。町は燃えるように赤く染まり、黄昏の光が庭の草木を染め上げていた。


「自分にはかかわりのない話だと見て見ぬふりもできるのに、なぜ貴女はわざわざ関わろうとするんですか」


 彼には到底理解できなかったのだろう。なにせ、私にだって説明できるほどの理由はなかったのだから。


「……すみません。自分で思っていたよりも、私っておせっかいだったのかも」

「謝ってほしいわけじゃありません。ただ、わからないんです」


 時雨さんは端正な顔をゆがめる。言葉どおり、彼には理解できないのだ。この人はきっと、憑き物を好ましくは思っていないから。


「ただの同情みたいなものかもしれません。私は別に、憑き物に迷惑をこうむったわけでもありませんし」

「こうむってますよ、僕は現在進行形で。やつらは勝手にやってきては不法滞在していくんです。貴女のように家事をしてくれるわけでも、家賃を支払ってくれるわけでもありません。にもかかわらず、いたずらに驚かされて――愉快にはなりませんね。おかげで随分と苦労させられました」


 そりゃあたしかに怖がりの人からしたら、仕事とはいえ怪奇グッズが続々自宅に届く上に心霊現象が多発するのは避けたい事態だろうとは思うけど。


「貴女は同情だと言うので僕も言っておきますが、焼くのは悪いことじゃないんですよ。そうすることで、すべての妄執から解き放ってやれますから」


 夕焼けが街を焼いた後、訪れるのは静かな夜だ。窓ガラスの向こうの庭面にわもはまだほの明るい。ダイニングの灯りを拾っているのだろう。金魚の尾びれが池のなかで揺らめくたび、水面に光の粒が連なり踊る。


 私はさんざん時雨さんの言葉を頭のなかで繰り返した後、ささやかな抵抗でもするように言い返した。


「でも……、時雨さん、すぐに焼かなかったじゃないですか」


 それを猶予と呼ぶべきかはわからないけど、ほんの少しの情が憑き物にあったのではないか。幸村さんを呼ぶまでの間に解決できることを、心のどこかで願っていたのではないか。それは、淡い期待だった。


「とんだ買いかぶりです。ただ焼けばいいというわけでもないのが厄介なので、僕は手をこまねいていただけですよ。炎で想いを焼ききれないと、振袖火事の二の舞になりかねないので」

「振袖火事……って、たしか、江戸時代の火事でしたっけ? 焼いていた着物が、吹いてきた風に飛ばされてしまって、火が街に広がったっていう」


 たしか、日本史の授業で小ネタとして習った覚えがある。


 在りし日の記憶を手繰りながら尋ねると、時雨さんは「そうですよ」と頷いてくれた。


 振袖火事とは別名、明暦の大火と呼ばれる江戸時代に起きた大火事だ。

 史実はともかく、逸話として語られる発端はこうだ。


 ある時、とある少女がとある寺の小坊主に一目ぼれをした。

 彼女は小坊主の着ていた着物と同じ柄の振袖を作らせ、彼を忍ぶよすがとしていた。だが、思いは募るばかり。彼女はついに恋煩いをこじらせて亡くなってしまう。


 彼女の死後、遺品である振袖は別の娘たちの手を転々とする。しかし、その全員が少女と同じ年齢であたら若い命を散らす――。


 因縁を感じた寺の住職は、振袖を供養することにした。


 しかし、この振袖を火に投げ入れたとたん、一陣の風が起こったのである。


 風は炎をまとった振袖を空高く吹き上げた。たちまち火の粉は街を覆い、ついには江戸市中を焼き尽くす……という話だ。


「まさか、このとおりのことが起こるとは思いませんが。やり方を間違えれば、かえって災禍を広げることになりかねないのは事実です。僕が応対するのは人ならざるものたちだ。幸村を使うのは、あれがこの道の専門家だからに過ぎません。僕は霊能者でもなんでもないのでね」

「……そう、ですか」

「僕の答えはご期待に沿えませんでしたか? 大変心苦しいですが、どうぞ今後は僕に夢を見るのはおよしください」


 時雨さんは見るからに愛想笑いとわかる微笑を浮かべ、窓の外に目をやった。


「夢、なんて。……ただ、私は時雨さんのこと、そんなに悪い人なんて思えません。むしろ、優しい人だと思ってますよ」

「……はっ?」


 時雨さんが目を瞠る。


「だって、ここに来た日だって最初は私を追い返すつもりだったでしょう? でも、私が帰る場所がないって知ったら、滞在する許可をくれましたし」

「違います、それは母が貴女と契約済だと聞いたからであって。同情で知りもしない女性を家に招くような浮薄な男じゃないんです、僕は!」

「それは知ってます。どちらかというと、時雨さんは純情って感じですし」

「言うにことかいて、純情!」


 誉めたつもりが、納得がいかなかったらしい。時雨さんはそれから、自分の人間性についてたっぷりとプレゼンしてくれた。


 ——固定電話が鳴り響いたのは、ちょうどその時のことだった。

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