模様と秘密
「——時雨さん、しずくちゃん。お疲れ様です。お茶の準備ができましたけど、休憩いかがですか」
「いらない」
襖越しに声をかけると、即答された。しずくちゃんの声だ。
私が彼女の兄である時雨さんの嫁の座を狙って、西御門邸に襲来したというフェイクニュースの発覚から、すでにひと月が過ぎようとしていた。
相変わらず、彼女は難攻不落のままである。
何度その気はないと説明しても、しずくちゃんは「うちにいたら、お兄ちゃんのことを好きになるに決まってるわ!」の一点張りで、暖簾に腕押し。
逃がしたペットの小鳥を捕まえて、就活に成功したらすぐに出ていくと伝えても、「ペットの小鳥ってなによぉ? そんなのいないんだけどっ。嘘ついて居座るつもりでしょ!」と言われてしまって、私は首を傾げた。
どうやら、しずくちゃんはあの小鳥を認識していなかったようなのだ。
時雨さんがこっそり飼っていたのかもしれない。これは改めて彼にも確認しようと思っていることだった。
いずれにせよ、小鳥と就職先という二兎追う私。どちらもまったく入手できる気配がないのは本当の本当に世知辛い。
肩を落とした時、作業場の扉がガラッと開いた。
目の前に立っていたのは時雨さんだ。彼は私を見おろして、にっこりとビジネスライクな笑みを見せた。
「寿葉さん、すみませんね。僕はいただきますから。しずく、おまえも少し休憩しなさい。着物を一度片付けて」
「はぁい……」
時雨さんの一声で、しずくちゃんは畳の上に広げられていた着物や帯をてきぱきと片付け始めた。
ちらりと見えた室内には、一枚でも美しい色合いの着物がずらりと並んでいる。さすがに壮観だ。牡丹や菊の模様から、無地の深紅や銀糸の帯。どれも美しいけれど、私が目を引かれたのは一本の帯だった。
デフォルメ調のイラストが散るなかに、斧らしき絵も見える。
「その帯、なんだか珍しいですね。斧の柄なんて、洋服でもなかなかないですよね」
「別に、珍しくもなんともないでしょ。着物なんて、洋服より派手な柄もいっぱいあるんだから。熨斗柄とかね」
「熨斗柄……?」
つんっとしつつ、しずくちゃんが教えてくれた。
とはいえ、熨斗柄の着物なんて見たことがないので想像もつかない。
かわりに、熨斗の張られた浴衣を着て、「今日のプレゼントはオ、レ」とウィンクしてくる大井さんを想像してしまった。気分が急降下する。新しく熨斗をつけなおして着払いで送り返したい。
(ああもう、忘れたいのに)
あのインパクトある事件がトラウマになったのか、すっかり記憶にこびりついているようだ。私は時間との勝負になると悟った。
「熨斗柄は縁起のいい柄ですよ。吉祥文様のひとつなんですが、人と人との絆や繋がりを示していて、その長さから長寿の象徴でもありますから」
「ああ、たしかにお祝いの品におつけしますよね」
それから、時雨さんはついでとばかりに言い足す。
「ええ。それはそうとしずく、おまえは勉強不足ですね」
「なんでよぉ?」
「この帯です」
時雨さんが手に取ったのは、斧の柄のちょっと風変わりな帯。すっと広げられた帯を私は覗き込んでみた。
そこには斧と花、さらに大根などをおろすおろし器にニュッと二本足が生えたような謎の文様がおりだされている。
「ここに描かれた柄がなにかわかりませんか」
「斧と、花と、……」
時雨さんの問いに、しずくちゃんが答えに窮する。
すると、時雨さんは私をちらりと見た。「代わりに答えなさい」と命じる先生の目に、私は大いにうろたえる。
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