連撃爆弾発言

(よし、これで下準備はおしまい)


 台所に並ぶ桜の塩漬けや真ん丸のグリーンピースを見おろして最終確認を済ませる。


 憑き物落としから一夜。今朝の私は紗枝ちゃんに渡したレシピと同じ、桜の塩漬け混ぜご飯を作るべく具材と向き合っていた。


 まずは炊き立てご飯を準備して、桜の塩漬けとグリーンピース、それから細かく刻んで軽く焦げ目をつけたハムをよく混ぜ合わせる。混ぜご飯は、なんとこれだけで完成。


 次に温めておいた春キャベツとシラスのお味噌汁をお椀につぐ。


 そして焼き立てのベーコンと半熟卵焼きをお皿に移し、常備菜のナス南蛮と三色きんぴらを食卓に並べた。


 最後に三人分のコップを出して完成だ(飲み物はお茶とリンゴジュースを準備してあるので、好きなほうを選んでもらう)。


 達成感に浸りつつ顔を上げると、ダイニングの入り口からこちらを見つめる人影に気づいた。ふわりと毛先を巻いた美少女は、西御門邸のご息女をおいてほかにいない。


「…………」

「しずくちゃん、おはようございます」

「………………」


 今朝は目覚ましの大活躍によってか、時雨さんよりしずくちゃんのほうが早く起きてきたようだ。


 彼女は入り口から半分だけ身体をのぞかせて、ちらちらとこちらの様子を窺っている。その姿は、やっぱり借りてきた猫みたい。


 ややあって彼女の背後に姿を現した時雨さんは、すでに着物をかっちり着込んでいた。今日はきなり色の無地の着物に焦げ茶に白のストライプが入った帯を締めている。


 昨夜は彼も遅かったにもかかわらず、しゃっきりと背中を伸ばしたまましずくちゃんの隣を通過して、ゆうゆうとダイニングに入ってきた。「おはようございます」と朝の挨拶を口にしながら、静かにひいた椅子に腰かける。


「おはようございます、時雨さん。しずくちゃんもどうぞ」


 こちらが促せば、彼女は無言のままじりじりと近づいてくる。その間、間合いを図るように視線は私から一切逸らさない。


(警戒されてるなぁ……)


 内心苦笑しつつ、私も席について、朝食を始める。


「いただきます」


 この時ばかりは三人そろって手を合わせ、さっそく混ぜご飯を一口。


 桜の塩漬けとハムの塩気の塩梅が絶妙で絶品だ。ころころとしたグリーンピースの触感がいいアクセントになっていた。桜色にうっすら染まったご飯の彩りも、目を楽しませてくれる。


 続いて春キャベツのお味噌汁も一口。こちらは甘味たっぷりで、シャキシャキとしたキャベツの歯ごたえと、シラスのプリっとした触感がたまらない。


「……ねえ。昨日はふたりでどこに行ってたの」


 朝食を楽しんでいると、しずくちゃんからぽつりと尋ねられた。


 これには時雨さんが表情ひとつ変えずに答える。


「仕事を手伝ってもらったんです。冷蔵庫に山田さんにいただいたプリンが入っていますから、おやつにどうぞ。マーロウのプリンですよ。しずくも好きだったでしょう」

「はあぁっ? なんで?」

「おや、嫌いでしたか」

「プリンじゃなくて! 仕事ってなに? あたし、誘われてないんだけどっ?」

「おまえ、昨夜は友達と遊びに出ていたじゃありませんか。それに、しずくの淹れるお茶はなぜかいつも無色透明の上に味がないですから。お茶を淹れてもらうためにも寿葉さんが必要だったんです」

「着物素人のくせにっ」


 ビシッと私に向けられた指を、時雨さんがバシッと叩き落とす。


「いたっ」

「他人様に指をささない」

「お兄ちゃんのばかっ! どうしてこの人の味方ばっかり!」


 どうしよう。ものすごく気まずい。それもこれも、私がいることで余計な波風を立たせまくっている気がしてきたせいだ(というか、事実そうなのだろう)。


 けれど、時雨さんは深々とため息をついて、落ち着き払った瞳でしずくちゃんをじっと見据える。


「おまえも僕も家事はできない。だから、寿葉さんが来てくれたんですよ。自らできないことを棚にあげて他人様を中傷する前に、少しは考えて発言なさい」

「し、時雨さん、私は別に構いませんから」


 思春期の女の子にとって、知らない大人が家に滞在しているというのは気分のいいものではない。それがわかるだけに、私はしずくちゃんを怒る気にはなれない。


 けれども、時雨さんの教育方針は意外と厳しい(ついでに単語チョイスも尖りまくっている)。


「僕は間違ったことを言いましたか? そんなはずありません。むしろ、このまま甘やかしても増長するだけですから。それなら、早いうちに自分の立場をわからせるべきでしょう」

「っ……お兄ちゃんのばかばかばかっ! わああぁ!」


 時雨さんは迷いなく断言したものの、突然、身も世もなく号泣し始めたしずくちゃんには、さすがにぎょっとした顔を見せる。私も内心うろたえまくった。彼女は両手で顔を覆ってしくしくと泣き続ける。


「だって、あたしのお兄ちゃんなのに! 急に押しかけてきて盗るなんて絶対許せない!」

「ま、待って、しずくちゃん。私は時雨さんを盗るつもりはまったくないので……」

「うるさいうるさいっ、かまととぶったってあたしは絶対に結婚なんて認めないんだからぁー!」

「…………」


 ………………………………………………………………結婚?


 予想の斜め上を光速で飛び抜けた『結婚』なる単語に、私と時雨さんは顔を見合わせた。


 たった一言で、朝の食卓が凍りつく。窓辺に差し込む春の朝日すら、色をなくしたようだった。沈黙は、無限にも感じられた。


 私は背中を流れる汗を感じながら、すっと片手を挙げてみる。


「あ、あの……それは誤解です。ぜんぜん違います。事実無根です」

「でも、お母さん言ってたもん! お兄ちゃんの結婚相手のいい人がうちに来るってぇ!」

「……………………なるほど。そういうことでしたか」

「いやいやいや、納得しないでくださいっ」


 寝耳に水の話に呆然とする間もなく、乾いた笑みを浮かべる時雨さんの呟きが追い打ちをかけてくる。だけど、まさか、そんなはずがあるわけもなく。


「私、本当にただの家政婦って話しか聞いてません! 結婚なんてぜんぜん考えてませんよ。だってそれじゃあ私、押しかけ女房じゃないですか」

「はああっ? 信じられない! あなた、お兄ちゃんの嫁になりたくないわけ? なに様なの?」


 それならどうしろと?


 また斜め上を突き抜ける返事に、私は言葉に詰まる。しずくちゃんは耐え切れなくなったのか、ダイニングを飛び出した。


 バタバタと轟音を立てて彼女の部屋に飛び込んだ音が、一階の食卓に響き渡る。

私は時雨さんともう一度顔を見合わせた。


「……あの、ほんとのほんとに違いますからね」


 時雨さんが右を見る。次に左を見る。そして、なにかを考え込むようにまぶたを閉じて、頷いた。


「そうですねえ……。貴女が以前言ったとおり、人には誰でも秘密があるもの。弱みを握ったなど思ってませんよ。秘密は秘密のまま、そういうことにしておきましょう」


 それは、スーパーもとまちユニオンで時雨さんの怖がり気質について尋ねた時の私の台詞だ。どうやら根に持たれていたらしい。ほぼ同じ言葉を口にした時雨さんが、にっこりとわざとらしいほどのジャパニーズスマイルを浮かべた。


 だけど、時雨さんの秘密――すなわち実は怖がり属性問題と、押しかけ女房疑惑は同列にしてはいけない。されても困る。


「むしろ腑に落ちました。なぜこんな場所に貴女のような女性が家政婦に来たのか不思議でしたが」


 それなのに、時雨さんは腑に落ちてしまったらしい。慌てて弁明しようとした私にも、さらにつけ足すように「……ああ、僕は構いませんよ」などというから、私は猶の事憂慮した。


「構ってください」


 しずくちゃんに続いた時雨さんの『とんでも発言第二段』にも念入りに念を押して、頭を抱える。


 桜の模様は厄払いに一役買ってくれるという話だったけど、桜の塩漬けの効果はいかに?

 波乱に次ぐ波乱に私は唇を引き結ぶ。頭のなかでぐるぐると繰り返される疑問はたったひとつ。


 ――私、本当にこれからここでちゃんとやっていけるのかしら。

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