二日目の家政婦

 ——ピピピピピ。


 スマホの目覚ましは今日も今日とて無機質な機械音。


 私は目覚ましを解除して、むくりと起き上がった。


 しばし、そのままぼんやり。夜更かしをしたせいか、頭が重たい。


 うつらうつらと右に左に揺れた後、私はのそのそと布団をはいずり出た。朝の空気が足の甲に触れる。


 着替えを済ませて窓を開けると、まだ外は薄暗がりに包まれており、春暁のひやりと冷えた空気がなだれ込んできた。空気の入れ替えがてら、私は窓をそのままに部屋を出た。


(朝ごはん……朝ごはん……)


 階下に降りて、ダイニングの電気をつける。


 すると、昨日と変わっている点があった。


 テーブルの上に用意しておいた、時雨さんとしずくちゃんのお皿が片付いていたことだ。洗い終わったお皿が食器棚に仕舞われている。代わりにテーブルの上には一枚の紙。


「おいしかったです、ありがとう……」


 流れるように美しい筆跡。その口調からするに、おそらく時雨さんだ。

 気に入ってくれたことに、私はひとまず安堵した。


(もっと、ちゃんとしたものを作れたらよかったのだけれど)


 けれども、引き続き食材不足のため、今朝もコンビニずぼら飯の出番である。


 まずはお湯を沸かしている間に、レンジでご飯を温める。


 お湯より先に出来上がったご飯をグラタン皿に移し、コンソメ、塩コショウ、トマトジュースをかける。これらをよく混ぜ合わせた上にチーズをトッピングし、オーブンで焼くとお手軽トマトリゾットの完成だ。最後にドライパセリを散らすと彩りも美しくなる(今日はパセリがないため、彩り評価は次回に持ち越しだ)。


 次に、昨夜の残りのコンビニサラダをお皿に移していると、時雨さんがふらふらとダイニングに入ってきた。その顔はとても眠たげだ。


「おはようございます。寝不足ですか?」

「ええ、そうですよ。昨夜はひどい目にあいましたから」

「それは……」


 例のおじいさまのことかしら。


 まだ眠いのか、重たそうなまぶたと格闘しながら時雨さんがダイニングの椅子につく。彼はそのまま眉間に深いしわを寄せながら、新聞を眺め始めた。


 ややあって、しゅんしゅんとお湯が沸く。ピィーと音を立てて吹き上がった湯気に、私は火を止めた。


「ところで、お夜食は何時くらいに食べたんですか? もし、あまりお腹もすいてないなら朝食の量を減らしますけど……」

「たしか、二時くらいですね……。朝食は普通に食べられます」

「そうですか? 熱いから、気をつけてくださいね」


 やっぱり男の人だ。線が細いように見えるけれど、食が細いわけではないらしい。

 私は配膳の準備をしながら、話を続けた。


「しずくちゃんも食べてくれたみたいでよかったです」

「いえ、僕ですが」

「はい?」


 思わず振り向くと、時雨さんは新聞に視線を落としたまま口を開いた。ただ、その視線が泳いでいるところを見るに思うところはあるらしい。


「おいしかったので」

「……いえ、ありがとうございます。嬉しいです」


 そんなに喜んでもらえるのなら、やっぱりもっとちゃんと作ればよかった。そう思いながら、私は時雨さんの前にトマトリゾットとサラダを出した。


「飲み物はオレンジジュースとほうじ茶がありますけど、どっちがいいですか?」

「オレンジジュースを」


 少し意外だった。いつも抹茶を点てて飲んでいるようなイメージを勝手に抱いていたから。

 私はオレンジジュースをグラスに注いで、時雨さんに渡した。


 沸かしたお湯は魔法瓶に移しておく。後でお茶を飲む時に使うのだ。


「今日は来客の予定ありますか?」

「ありません。かわりに外出を。貴女は?」

「私はスーパーに行こうかと思ってました。食材と、お茶菓子とかも買っておきたかったので。あの、それで場所を教えてほしいんですけど」

「ああ。それなら出かけるついでに案内しますよ」


 意外や意外、再び。


 それが顔に出ていたのか、時雨さんは気だるそうにちらりと私を見た。


「買い出しするなら、荷物が多くなるし、運ぶのが手間でしょう?」


 たしかに、今後の生活に備えていろいろと食材や調味料を買い込もうと思っていた。調味料の類はかなりの重量なので、手伝ってもらえるのならとても助かるのだけれど(そもそも、スーパーの場所すらあやふやなのだし)。


「でも……、いいんですか?」

「この辺りのこと、知らないと不便なのでは? 代わりに、僕の用事にもつき合ってください」

「用事」

「少し人に会うだけです。それより、貴女。食事は?」


 まだだと言えば、時雨さんは相席するよう私に促した。


「でも、まだしずくちゃんが……」


 働きに来ている身で、家の人たちより先に食事をするのはなんだか忍びない。


 しかし、兄は妹のことをよくわかっているのか、あっさりと首を振った。


「しずくは毎朝寝坊して、ギリギリまで起きてきません。待つ必要はありませんよ」

「……起こしてきましょうか?」

「残念ながら、無駄骨になるでしょうね。寝汚さは一級品ですから。しかも凶暴で、しつこく起こすと枕で攻撃してくるおまけつきです。ですから朝食も大抵、間に合わない。食事は、たしかそのあたりにスープジャーがあるので、それに入れておけば、持っていくと思いますよ」

「そうですか? じゃあ……」


 私はスープジャーにリゾットを移し、スプーンをつけて時雨さんが貸してくれた桜色の手ぬぐいに包んだ。あまり時間が経つとふやけてしまうので、なるべく早く食べてもらえると嬉しいけれど、どうだろう。


「じゃあ、私もいただきますね」


 ありがたく時雨さんのお誘いを受けることにして、自分の分をテーブルに並べる。

 飲み物は、私もオレンジジュース。


 席について、リゾットに向かい合う。


 スプーンでお皿の縁についた焦げの部分からすくって、ふうふうと冷ます。それから、ぱくりと一口。トマトの酸味ととろとろのチーズのコクがじわりと口のなかに広がった。


 簡単だからこそ、時間がない時の定番料理だ。それでいて、時々無性に食べたくなる魔性の味だとも思う。


 私は一口目を味わった後、思い切って時雨さんに切り出した。


「あの、それで……。昨夜のおじいさんのことなんですけど……」

「……」


 ピシリ。時雨さんのすまし顔が凍りついた気がする。

 あ、この話題振られると思ってなかったんだ――と、私は察した。

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