玄関前の面接

(女ですか、と聞かれましても)


 とはいえ、思いがけず、柔らかな響きの声だったのですぐには反応できなかった。耳に馴染むテノールの声音は、たとえるなら秋風のようだった。


 質問内容には似つかわしくないほどには穏やかだったので、そのギャップに正しく意味を解するのに時間を有したのだ。


 そんな風に――時に置き去りにされた蝉の鳴き声が入り混じる金風を思わせる声で、言葉どおりに失礼な疑問を口にした彼は、一言でいうのなら美しい人だった。


 黒く細い髪は、日に焼けていない白い額をヴェールのように隠している。


 前髪が作る影の下で長い睫毛に縁どられた、黒曜石を砕いて溶かし込んだような切れ長の瞳も。すっきりととおった鼻筋も。薄い唇も。彼を形作るすべてはあまりに整いすぎていて、いっそ作られた人形にも見えた。


 今時珍しく、紺色の着物を着流しにしているところも俗世離れしている雰囲気を感じた一因かもしれない。


 たっぷりと惜しげもなく注がれた訝しげなまなざしだけが、彼が人形ではなく、意志を持つ人間だということを物語っていた。

 それにしても、と私は思う。


(失礼ですが、って前置きしてホントに失礼なこと言う人初めて見たな……)


 生憎、私は正真正銘の女だ。それは、一目見ればわかってもらえると思う。服装も髪型もユニセックスと言い難い。


 私はためらいつつ、彼の問いに頷いた。


「そうです」

「そうでしたか。それはそれは……ずいぶんと、珍しいご趣味をお持ちのようですねえ。若い男のいる家に住み込みで家政婦をしようと思い立つなど。いや、僕には理解できませんよ。貴女の自由とはいえ……」


 「ハレンチなひとだ」と書いてある顔ににっこりと甘ったるい笑みを乗せた彼に、私は五秒ほど唇を引き結んだ。


「もう少しご自分を大切になさってはいかがです?」


 こちらを見おろす視線に反感を覚えるより先に困惑したのは、彼の心意が読み解けなかったせいだ。言葉通りの心配だったのか、それとも――。脳裏をよぎったのは、大井さんの顔だった。 


「……その質問はつまり、あなたが私を襲うかもしれないという前振りですか?」

「はっ?」


 想定外の質問だったのか、彼はぽかんとした。

 それからぼっと顔を赤くする。


「お、襲う? 僕が? 貴女を?」

「はあ」

「そんなわけないでしょうっ? 僕をその辺の低俗な人間と一緒にしないでください!」


 そうだろうな、と思った。彼の反応は純朴そのものだったから。

 ……大井さんや料亭の同僚たちの含みを持った目ではなかったから。


「それを聞いて安心しました」

「どういう意味ですか? そもそも僕にも相手を選ぶ権利があるんです。それを頭ごなしに野獣扱いされてはたまったものではありませんよ。なにを考えたらそんな疑いを抱くんですかね。まったく、なんて人だ……」

「すみません」


 ぶつぶつと早口で呟く彼の頬は、わずかに赤らんでいる。私は素直に謝った。


「それじゃ、心配してくださったんですね」

「貴女、思い上がりが過ぎるとよく言われませんか?」

「おかげさまで、一度も」


 とはいえ、たしかに母からも先方には私と歳の近い息子さんと娘さんがいると言われていたのだった。背に腹は代えられない、そんなつもりでここへ来たのも事実だ(次の仕事を見つけたら出ていくつもりだったので、深く考えていなかったのもある)。


 軽率だと注意されても仕方がない。


 お互い黙り込んでしまうと、ややあって彼のほうから咳ばらいをして、話を再開してくれた。


「まあ、いいでしょう。それよりも、どうしましょうね。母は携帯を置いて旅行に行ってしまいまして。旅行に行くときはいつもそうなんですよ。帰ってくるまで音信不通になるので、こちらから連絡が取れないものでして、確認もできません」

「……ちなみに、いつごろお戻りの予定なんでしょうか」

「さあ」


 ものすごくあいまいな返事に、私は戸惑う。


「僕はあの人ほど気ままな人間を知りません。なにせ、僕の脳内辞書で奔放と調べたら真っ先に例に上がるような人ですから」

「なるほど」

「ちなみに貴女は今、無謀の項目に載っています」

「改訂希望です」


 勝手に脳内辞書に掲載された私は、さっと手を上げて主張した。

 それはともかくとして、なにがなんだかわからないけれど、とにかく想定外の事態になっているらしい。


「……私、帰ったほうがいいでしょうか?」


 雇い主も行方不明の今、ここに居直るわけにもいかないだろう。私は恐る恐る尋ねてみた。


 今日の宿、どうしよう。実家に舞い戻ったら今度こそ追い出されるかしら、なんて思いながら。


「……ここで追い返した場合、どちらへ行くんです?」

「これから考えます」


 事情が事情だ。実家に帰っても許されないだろうか。それとも、当面は貯金を削る覚悟でカプセルホテルにでも泊まって、就職活動に勤しむべきか。


 鶯の鳴き声を聞きながら考え込む私に、時雨さんは深くため息をついた。


「仕方ありません。貴女が構わないというのなら、家政婦としての滞在を許可します。。僕も妹も、料理はからきしでして。洗濯機を使うとなぜか泡を吹き出して壊れるし、掃除機はすぐに首がもげて部品が行方不明になる。まったく、機械というのは軟で困ります。ちょうど、以前の家政婦が辞めたばかりですから」

「はあ……」


 料理が苦手なのはまだしも、洗濯機が泡を吹いて壊れるのは明らかに洗剤の入れすぎだし、掃除機の首は勝手にもげて行方不明にはならないはずだ。


「もとより、母が話をとおしてしまったのに、今更ひっくり返すのも本意ではありませんからね」


 いろいろとつっこみたいことはあったけれど、追い出されずに済みそうなのはありがたかった(なにしろ、今の私は無職なので)。


「それじゃあ、私からもお願いしていいですか? 私、近江寿葉といいます。ええと……西御門さん?」


 私は、表札に掲げられていた名前を口にした。


「西御門時雨。時雨で結構ですよ。うちは全員、西御門ですからややこしいでしょう? それでは、まずは客間に案内します。荷物は……、それで全部ですか?」

「はい、そうです」


 私は玄関前に放置してひっくり返っていたキャリーケースを持ち上げた。


 時雨さんは無言で私の手からキャリーケースを取り去ると、スタスタと奥へと歩き出す。


 私は玄関を閉めて、慌ててその後を追いかけた。

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