運命の出会い、かもしれない

 飛び上がって振り返った先に、ひとりの男が立っていた。


 若い人だ。すらりと伸びた長身と、その身に纏う紺色の生地に鼠色の草花模様が映える着物が目を引く。


 切りそろえられた黒髪を風が遊ぶ。知的な輝きを閉じ込めた黒い瞳には、今、私の姿が映り込んでいた。

 探るような瞳にいくばくかの気まずさを覚えて、私は目を逸らす。


「い、いえ、空き巣というわけでは……。すみません」


 勝手に玄関を開けてしまった手前、私はすかさず頭を下げた。じりじりと申し訳なさが湧き上がってくる。


 彼はやや眉根を潜め、小首をかしげる。


「では、仕事の依頼ですか? 約束の時間にはだいぶ早いですが」

「え? あ、いえ、依頼というか、私、住み込みの家政婦の件で来たんです。今日の三時にお邪魔するという約束をしていたんですけど……」

「家政婦?」

「はい。西御門優子さんにお話をいただいて」


 私は恐る恐る、母から聞いていた名前を出した。

 それから、さらなる罪悪感に苛まれながら、勝手に扉を開けてしまった理由について切り出す。


「それで……、早々に申し訳ないんですが。私、さっき玄関を開けた時に小鳥を逃がしてしまって……。本当にごめんなさい。あの子、ここのペットですよね?」

「小鳥?」

「はい、青い小鳥です。小さくて、可愛い……」


 彼は感情を読み取りづらい、落ち着き払った顔で首を傾げる。


 ブロロロ……、と外の通りを原付バイクが走り去った音が聞こえた。


 静かな家だ。


 お互いに黙り込んでしまうと、池の水音が聞こえてくる。雀の鳴き声。風音。観光客らしい若い女の子たちのはしゃぐ気配が遠ざかっていく。


 それからようやく、彼ははっとして、弾かれたように廊下を駆け出した。


 F1レーサーも舌を巻きそうな速さでコーナーを曲がって——、どこかの一室に飛び込むなり、すぐに丸太でも背負い投げしたようなひどい音が響き渡った。


 とっさに私も玄関先で飛び上がった。


 首をすくめて立ち尽くしていると、彼はふらふらと壁に激突を繰り返しながら戻ってきた。その面持ちは朦朧としている。


「……くそっ、やられた……っ!」

「あ、あの……。ごめんなさい。私、探します。チラシを作って配ったり……。やっぱり、大事な鳥なんですよね?」


 本当に申し訳ないことをしてしまった。可愛がっていたペットが突然手元からいなくなるなんて、想像もしたくないくらい辛い出来事に違いないのに。


 やはり、勝手に玄関を開けたりせずに、大人しく待つべきだったのだ。今更後悔しても遅いけれど、私はしんみりと肩を落として落ち込んだ。


「……ああ、いえ。結構ですよ。あれは気位が高くて我儘でしたから、うちでも手に負えないのはわかっていたので。戻ってこないのなら、それまでの縁だったということでしょう」

「そう、ですか……?」


 それならよかった、と安堵できるようなものではない。


 私は相変わらず落ち着かないまま、恐る恐る彼の顔を窺った。


 氷細工のように冷たく整った顔には怒りは浮かんでいないように見えたけれど、かといって許されているとも思えず、息苦しさを覚える。


 さらに続けて問いかけられた問いに、私ははたと当惑した。


「それで、家政婦というのは?」


 なぜか、寝耳に水というような顔をされている。


 話が通っていなかったのか、行き違っていたのか、それとも?


 そもそも、家人だと思わしきこの人の正体も私はなにも知らないのだ。どこから説明すべきかと私は頭を悩ませる。


「ええと……、優子さんから私の母にお話しをいただいたようでして……。住み込みの家政婦を募集していらっしゃるって。それでお話を受けさせてもらったので、さっそく今日からお仕事をしに来たんです」

「住み込み?」


 彼は訝し気なまなざしを惜しげもなくたっぷりと私に浴びせかけた。沈黙すること、三分。

 いっそもったいぶった調子の質問が投げかけられる。


「失礼ですが、貴女は女性で?」

「…………」


 失礼ですが、と前置きをして本当に失礼な質問をする人は初めて見た。

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