vs.往来の詐欺師
「もしも~し、キレーなお姉さん。ちょっと乗っていかない?」
私の顔を覗き込んだのは、短く切りそろえられた茶髪と日に焼けた肌が印象的な青年だった。彼の笑顔は、真夏の太陽みたいにキラキラしている。どことなくサーファーっぽい雰囲気を醸し出しているのは、ここが湘南だからだろうか。
「乗るって……」
「俥、俥!」
どうやら、人力車の車夫さんによる客引きらしい。
往来にはほかの車夫さんの姿もあり、着物姿の女の子たちに声をかけていた。
彼の背後の人力車も、紺色の股引き衣装も観光地気分を盛り上げてはくれるけれど、今日の私は観光に来たわけではないので残念ながらお断りする。
「いえ、結構で……」
「なんと今ならタダ! お姉さんの創世神話級の美しさが、疲労困憊で荒んだ俺の心を癒してくれたお礼に世界の果てまでだって連れてっちゃうよ!」
弾ける笑顔がとても眩しい。だけど、それと同時にとても胡散臭い。主にタダというところが。
「間に合ってます」
私は頭を下げて、早急に逃げ出すことにした。
キャリーを引いて足早に人込みに紛れた……はずだったのに、彼はなぜか私の横についてくる。いや、怖い。
「待って待って! それじゃあ、ちょっとだけ話をしよう。ちょっとだけ!」
「話……、ですか?」
「うん。……お姉さん、運命とか信じてる?」
詐欺だと確信した。それか、宗教勧誘。いずれにせよ、一般人が関わってはいけない類の人だ。
「信じてません」
私は怪しいにもほどがある彼から、足早に距離を取ろうと試みる。それにもかかわらず、彼はなかなかの辛抱強さを見せつけるように追いかけてきた。やっぱり、怖い。
「お姉さん、お急ぎなの? よかったら送ってくけど。荷物も持つよ!」
「ほ、本当に結構ですから、ついてこないでくださいっ!」
「うーん、残念。それじゃあよい一日を!」
必至になって訴えると、詐欺の被害者(予定)が哀れになったのか、彼はすんなりと引いてくれた。
気を緩めずに、私は立ち止まらないで必死に逃げ続ける。今のうちに距離を稼がなければと走り続け、いつの間にか見知らぬ街角に迷い込んでいた。
すっかり息は上がっている。私は何度か深呼吸を繰り返し、周辺の安全確認を済ませた。
(ここまで来たら……もう大丈夫?)
早くも観光地の洗礼を受けた気分だ。今日からこの街で生活していくのかと思うと、すでに不安しかない。
私は客引きをきっぱりと断れる強い心を持つことにして、地図アプリを起動しなおした。
いつの間にか小町通は抜けていたらしい。私はスマホをぐるぐると回して、周囲の地形と地図を確認しつつ、大通りを抜けて静かな路地をつき進む。
道を一本外れただけで、人の数もぐっと減り、喧騒が遠くなった。
ふわりと、風に乗って飛んできたのは桜の花びらだ。
どこか近くに木があるようだ。きっと満開なのだろう。はらはらと地面を転がる白い花弁に先導されながら、立派な門構えが立ち並ぶ古都をさまようこと数十分。私は、ようやく目当てのお屋敷を見つけた。
約束の時間はもうギリギリだ。なんとか間に合ったことに安堵しながら、私はその家を見上げた。
門の壁に取りつけられた表札には、達筆な『西御門』の文字。その隣には、同じく達筆な『鎌倉小町ろまんてぃゐく』の字が躍っていた。なにかしらのお店をやっているらしい。
古民家カフェでもやっているのかもしれない。そういえばここに来る道中も、いくつか自宅で開かれたカフェを通り過ぎてきたのだった。
自宅で趣味のカフェを開いて、大好きなコーヒーを入れてお客さんをもてなす生活を想像してから、私は門をそっと開いた。
高い門と漆喰の壁の向こうにそびえるのは、風格のある日本家屋だ。
どこからか、さらさらと水の流れる音が聞こえてくる。
(わ、池)
音の発生源は、広い庭の一角に位置するL字型の大きな池があった。玄関前に到達した池の上にはなんと橋がかけられている。
(自宅の庭に橋があるお家なんて初めて見た……)
池のなかには、錦鯉や三十センチ定規の代わりになりそうなくらい大きく丸々と太った金魚が泳いでいる。
なるほど、豪邸。さすがは地主さんの家。
三階建てらしい建物の屋根は、昼下がりの日が輝く黒い瓦葺。壁は白い漆喰。外壁のつけ柱の漆黒が屋根との統一感を出しつつ、全体の雰囲気をぴりっと引き締めている。
これからこのお家に突撃するのだと思うと、緊張感がみなぎってきた。私は気合を入れなおして、玄関に続く飛び石を渡る。それから、ついに辿り着いてしまった玄関のチャイムを恐る恐る鳴らした。
「…………?」
だけども、待てど暮らせど返事はない。それどころか、曇りガラスのはめ込まれた玄関の向こう——屋内に誰かがいる気配もなかった。
もしかして、留守なのではなかろうか。そんな疑問が胸をよぎる。私は念のため、腕時計が三時を示しているのを確認してみた。一応、指定された時間どおりのはずなのだけれど。
出直すか、否か。悩む私の耳は、ドアの向こうから幽かに響いた音を拾った。
コツ。コツコツ。コツ。
それは、足元から聞こえてくる。私はしゃがみ込んで、じっと玄関を見つめてみた。
曇りガラスにはなんの影も映らない。けれども、継続的で不規則な音なので、なにかが向こう側にいるのは間違いない。
たとえば、小動物とか。そこでふと想像してしまったのは、倒れている人が力を振り絞って指先で玄関を叩いて、必死に助けを求めている図だった。
なぜならその音が、爪でつついているような硬質な響きを帯びていたものだから。
(……ど、どうしよう)
一度、悪い想像をしてしまうと私はもう不安でたまらなくなった。立ち去るのも忍びなく、恐る恐るドアの向こうに声をかけてみる。
「あの、どなたかいらっしゃるんですか?」
やはり、返事はない。代わりに、コツコツと先ほどの音がまた二度聞こえた。
「大丈夫ですか? あの……、えと、開けますよ」
コツリ。
まるで応えるように、もう一度鳴った音がそれきり途絶えた。
しんと静まり返った玄関前で固まること一分。私は「ええい、ままよ」と引き戸に手をかけた。
開かなければそれまでと思っていた扉は、すんなりと動いてしまう。
「……えっ?」
幸い、そこに倒れている人の姿はなかった。
代わりに、一羽の青い小鳥が小首をかしげて私を見上げている。鮮やかな瑠璃色の羽を持つ鳥だ。その羽があまりにもきれいで、思わず見惚れてしまった直後、小鳥が羽ばたいた。
あっと思った時にはもう遅い。青空の彼方へと溶け込むように飛び去り消えた小鳥の影を、私は唖然として見送った。
あの鳥はいったいなんだったのか。コツコツと玄関を叩いていたのは、もしやあの小鳥のくちばしだったのだろうか。
あれこれ想像している間に、じわじわと焦燥と後悔に襲われる。
家のなかにいたのだ。野鳥ということはないだろう。それなら、ペットを私は逃がしてしまったのでは?
お詫び、捕獲、保証、日本野鳥の会。
頭のなかはすでに大混乱で、胃はきりきりと痛んでいる。とにかく、家主にきちんと事情を説明して謝らなければ。
「これはこれは、珍しいものを見ましたね。空き巣の現行犯ですか」
目下の課題を見出して顔を上げた私は、突然背後から声をかけられて危うく叫びかけた。
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