うしりめ
まいん
うしりめ
ある日、ある場所で、ある若者が、一頭の牛の尻に目を描いた。
それはとても単純な好奇心と、かなりの遊び心による行動だった。若者は別に何をしたかったわけでもない。ただ普段ぼーっと牛で満ちた牧場を眺める若者は、何の変哲もない白・黒・茶の景色にちょっと飽きを感じることはあった。だからちょっと面白いことがしたかったのだ。人がのっぺりとした腹に顔を描くように、若者が牛ののっぺりとした尻に目を描くのは至極当然の流れだった。
若者の牧場には沢山の牛がいたので、一頭だけでは飽き足らず幾つか目を描いてみようと思った。ある牛には細長の目、ある牛にはくりっとした目、ある牛には鋭い目…そうして「尻目」を持つ牛は10頭ほどに膨れ上がった。若者はアニメーション文化にも少し通じていたので、他の牛には✕や○、<といった記号で「アニ目」を持たせてみたりもした。
そんなことをして遊んでいたある日、妙な違和感を若者は感じた。というのは、「アニ目」の牛は減っていくのに、「尻目」の牛たちは全パターンずっと残っているのだ。この牧場は度々ライオンに襲われ、牛は一匹、また一匹と数を減らすのが常であった。「アニ目」の牛が減ったのはライオンに食べられたからだろう。しかし「尻目」は不動なのである。「尻目」を持つとライオンに襲われなくなるのではないか?と若者は考えた。しばらく様子を見たが、やはり「尻目」は数が減らない。ライオンに襲われなくなるのは真実のようだった。
若者は自分の経験だけでは不安だったので、周囲の知り合いに連絡し同じ試みをしてもらった。結果は同じく、「尻目」は一向に減らなかった。若者は素人だけだと不安なので大学の研究機関にも連絡をした。研究者は最初笑ったが、実験をして真剣な目で若者にこう言った。「素晴らしい、『尻目』は本当にライオンを退けるようです。」
この研究結果は世界的に大きく報じられ、全国の牧場に「『尻目』を描くように」という通達が政府から届いた。全ての牧場で、全ての牛に、「尻目」が人の手で描かれるようになった。しかし「尻目」が描きにくい牛が一定数存在した。骨格が歪だったり、尻の形状が複雑だったりするものだ。そういう牛にはうまい「尻目」が描けないので、どうしてもへしゃげた「尻目」がつくことになった。ライオンの気持ちになれば分かるだろうが、下手な「尻目」より立派な「尻目」の方が怖い。結果、ライオンは下手な「尻目」の持ち主を積極的に狩るようになり、立派な「尻目」が生き残るようになった。立派な「尻目」を持つ立派な尻キャンバスの持ち主は、その立派な遺伝子を子孫に残す。牛は世代を経るごとに、集団中に立派な尻キャンバスを持つものばかりになっていき、人は立派な「尻目」を意気揚々と描いた。
気づけば人類は何十年と牛に「尻目」を描き続けていた。ライオンは立派な「尻目」に恐れをなした結果、餌の量が大幅に減って絶滅寸前になっていた。もうライオンは牛の牧場にすら寄り付かない-なぜなら襲う対象がいないからだ。その労力があれば別の標的を獲りに行く。だからもう「尻目」は本来の意味を失い、人々は「尻目」を描かなくていい-はずだった。それでも人々は「尻目」をせっせと描き続けた。なぜなら牛が、「尻目」を基準に交尾相手を選ぶようになっていたからだ。
これは至極当然の流れで、立派な「尻目」を持つほど敵に襲われにくく、餌を獲得するときも周囲を圧することができる。だから牛はより立派な「尻目」-正確に言えば、立派な「尻目」を描ける尻キャンバスの持ち主-を交尾相手として選ぶようになったのだ。「尻目」描きに素晴らしい環境を提供する牛は、異性にもうっとりとした素晴らしい夢見心地を与えるのだ。だから人は「尻目」を描き続けねばならなかった。
この「尻目」は牛の選別だけでなく人の選別も行った。というのは、うまい「尻目」が描けない人類は牛を継続させることができなかったからである。うまい「尻目」を描けるものが選ばれる世界になった。とはいえ牛の世話のうまい者がうまい「尻目」を描けるものと常にイコールではない。よって世の中には「尻目職人」と呼ばれる職業人が現れ、全国どこの牧場でもその腕を奮って上手い「尻目」を描くようになった。
そんな時代がしばらく続き、気づいた時には牛の尻以外の形や模様が同一種には思えないほどに多様化を成し遂げていた。牛にとっては素晴らしい尻キャンバスと、生き残る力さえあれば子孫を残せるのだ-顔の形や手足の形など、もはや些末な問題だった。機能されすれば何でも良いという制約の中で、突然変異が積み重なり、牛はどんどん前半だけ多様化した。「牛の絵を描いてみましょう」と言われた保育園児は、牛ののっぺりとした尻と目玉を中心に描き始めるようになった。専門家ですら、「牛という種はのっぺりとした尻を持つ点で見分けることができ-」と話し出す。牧場はまるで神様の実験箱のようだった。
そうしていつのまにか牛は、尻で「尻目」を感知できるようになっていた。これも突然変異がもたらした幸福な変化であった。それまで牛は逐一顔を相手の尻に向け、「尻目」を確認し、そして自分の向きを変えて今度は相手に「尻目」を見せるという行為を行わなければ、お互いの「尻目」を認識できなかった。突然変異によって尻にできた小さな複眼様の構造は、顔を向けずとも尻同士を突き合わせるだけで「尻目」をジャッジできたのだ。複眼様構造については研究が進められ、それが神経接続されて脊髄、脳まで届くこと、良い「尻目」を判別してある脳部位を特定パターンで興奮させることが明らかになった。牛はついにここまで来たのだ。これに伴い牛の顔の目は、口に運ぶものを判別するため、そして前進するときの参考にするために使うものに成り下がり、あまり価値のないものとなった。徐々に退化するのは当然のことだった。
「尻目」はついに、ディープラーニングを用いて「良い特徴」を抽出され、そのデータを基に機械的に描かれるものになり、「尻目職人」の仕事は消えた。牛の尻は機械で描かれるのによくフィットした物へとまた適応したが、それはまぁ微々たる変化だろう。
時代は進む。それとともに牛の姿は変わる。
ついに世界は培養肉の時代に突入した。
人々は培養肉を食べ、培養肉を作り、今までのように各地の牧場で牛を育てる必要はなくなった。ただ手間がかかるだけだ。
多くの人が牧場を不法投棄した-と言ってもそのまま手放すだけだったのだが、「尻目」描きメカも、「尻目」のついた牛も、自然に任せてそのまま放置してしまった。
放棄された最初の代はまだ「尻目」があったので、交尾して子供を産んだ。しかし子供には「尻目」がない-「尻目」がない分、子供たちは交尾ができず、牛はどんどん死んでいった。牛はこのまま絶滅するかと思われた-しかしそれで終わらないのが世の不思議というものである。
ある地区では、なんの神のいたずらかそれともただの突然変異か-急に模様としての「尻目」を持つ牛が現れた。たまたま「尻目」を持った者は交尾ができるので、子が残る。放棄された牧場跡で自然の「尻目」を持つ牛たちは生きながらえ、子を増やした。数年後彼らは発見され、新種として世間を驚かせるものとなる。
一方ある地区では、これも神のいたずらか-人類が放置した「尻目」描きメカを使いこなしはじめたのだ。たまたま触ったら、たまたま動いて、たまたま「尻目」が描けた-そんな偶然あってたまるかと思うかも知れないが、あったのである。そうして自分たちで機械を操り「尻目」を描く牛集団が現れた。この牛集団が将来どうなったかは-ご想像におまかせである。
うしりめ まいん @fumitaka
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