第32話 人を結ぶ危機
「そうだったのですね」
(やはり、私が推理したので大体合っている。すべて知っているはずのティトゥス様がルシウス様に本当のことを話せない理由がわかったのでこれですべて解けたぞ!)
パンピリウスは少し長くなった襟足部分の金髪の巻き毛を満足そうにひとさし指に巻いた。碧い目が謎の最後のピースが揃った達成感で輝いている。
「ではルシウス様かユリア様を危険な目にあわせるのはいかがでしょう。きっとどちらも相手を守ろうと必死に行動なさると思います。そこで、好きあっていることを確認するのではないでしょうか?きっとお二人は口で言っても無駄な気がしますし…要するに好き同士なわけですから、行動で実感して頂ければいいのではないかと」
パンピリウスの提案で、窮地にあるティトゥスの目が輝いた。
「おお、さすが執事見習いっス!いいとこ突くっスね…それだと私も魚のえさにならなくて済みそうだしポンポニア様の名誉も守れるっス。ではさっそくどうするかを考えて実行に…」
その時、ゴゴゴとと地面が鳴り、大きく視界が揺れた。いや、揺れているのは自分だった。地面が上に付き上げられ、立っていられない衝撃の中、ティトゥスは反射でルシウスを探しに建物に向かった。
最初の大きな縦揺れは収まり、今は断続的に横に揺れている。なんとか走っているが頭がぐらぐらする。しかし、一番大事な人の無事を確かめるのにティトゥスは必死だった。
「ルシウス様!どこにいらっしゃるんスか?ルシウス様っ!!」
大声を上げて建物に入ろうとしたら、ルシウスが丁度飛び出してきた。揺れる建物内で声を上げて探していたのだろう、肩で息をして顔色が悪い。
「ティトゥス!ユリアはどこだ?どこにいる?!」
「ルシウス様、ご無事で…」
「バカ者、俺などどうでもいい!ユリアはどこだっ?!」
地面が揺れるどころか割れそうな勢いでルシウスが怒鳴るのを見、ティトゥスは彼の心配の理由を悟ってはっとした。
「海辺です。ポンポニア様とプブリウス様は二人で散歩に行かれたので、ユリア様はきっとアガサ達といます」
「何っ?!大波が来るかもしれぬ、すぐに案内しろっ」
ティトゥスは上まで駆け上がってきてすぐにまた浜まで駆け降りることになったが、疲れを感じる余裕もなかった。ルシウスが雷のような勢いで前を走っている。まだ断続的に揺れが続いていたが、彼の鍛えられた身体はものともしない。
途中で海岸のユリアの元に向かうパンピリウスに出会ったが、彼はユリアと同じく運動は苦手のようで遅そうだ。
「カエサル家の執事よ、おまえは別荘に戻れ!大波が来るかもしれぬ。別荘の者たちの安否を確認するのだ。ユリアは俺に任せろっ」
ルシウスに怒鳴られて、パンピリウスは雷に打たれたかのように背筋を伸ばし、来た道をまた上っていった。
(さすが我が上司、『戦場の雷鳴』の異名は伊達じゃないっス。しかし、これに懲りて人を陥れるような真似は二度とせぬと神に誓うっス。私はルシウス様に実直に付いて行くだけっス…)
「どっちだ?」
「あ、こっちっス。あの砂浜に…」
二人が一気に山道を駆け降りると、スキピオ家の従業員とユリアが見えた。なぜか逃げるのをためらって集まっている。
「高台に今すぐ逃げろっ!別荘に戻るのだ。貴重品は持って大きな荷物は置いていけ、大波が来るやもしれぬ。ユリア、こちらに!」
ユリアはルシウスの姿を見てびくっと身体を震わせた。他のものは主人の言うことを聞いて素直に別荘に戻る道を走っていく。アガサはルシウスが来たので安心して恋人と手を繋いで逃げた。
何にせよ獣頭の主人の言うことで間違ったことは今まで一度もないとスキピオ家の従業員は知っている。
「ティトゥスは皆を頼む。ユリアっ!早く来るのだ!!」
ルシウスが大股で近づいてユリアの手をぐいと掴んだが、彼女は迷っていた。
「で、でも、ポンポニアとプブリウス様が…」
「なにっ!奴はユリアを放っておいてどこにいるのだ!探しにも来ぬとは…しかし、2人が一緒なら大丈夫だ。プブリウスはバカではない、高台にすでに逃げているはずだ。さ、行くぞ」
「は、はいっ…!」
運動神経の鈍いユリアがもたもたと砂に足を取られながら歩くと、ルシウスはすぐさま軽々と彼女を横抱きにして皆を追った。
「は、走れますので大丈夫でございます…ルシウス様は早くお逃げになって下さい」
「バカ者、おまえを放っておけるわけないだろう。波とは怖いものだ、どこまで逃げても逃げ過ぎではない」
「きゃっ、あれ見てっ」と前方の使用人の誰かの悲鳴が上がる。海の沖合を皆が立ち止まって見た。はるか向こうから巨大な波がこちらに向かっていた。湾を囲む山の半分ほどもある見たことのない高さの波に皆が呆然としていると、ルシウスの怒号が落ちた。
「見ていないで走れ!」
呪文から解き放たれたようにはっとなった皆は、道を駆け上った。
「波とは海が深いほど速く伝わるのだ。沖合いでは雷のような速さだが、水深が浅くなって陸地に近づくほど遅くなる。すると減速した波の前方部に後方部が追いついて波がより高くなる。しかし減速したと言っても、人が走って逃げ切れるものではない、大波を見てから逃げては遅いのだ。海岸付近で地面の揺れを感じたら、すぐに逃げろ。わかったか?」
彼の力強い腕の中でぽやんとなったユリアは、地震の教訓など全く頭に入っていなかった。ルシウスがわざわざ別荘から浜辺まで探しに来てくれた上に、彼の熱を帯びたまなざしにユリアは勇気を得て質問した。
「は、はい…あの、このような時に何ですが、どうしても今お聞きしたいのです。ルシウス様にはどなたか好きな方が出来たのですよね?なのでわたくしをプブリウス様に押し付けようと…いえ、ルシウス様を責めているわけではなく、ただの確認ですので、お気を悪くなさらないで下さいませ…」
最後の方はしりすぼみに小さくなったユリアの声に、ルシウスは驚き過ぎで思わず腕の中の彼女を落っことしそうになった。
「ばっ、バカな!何を言っている、プブリウスとうまくいっているのであろう?そうだ、なぜあいつは大事なユリアを放ってポンポニアと…」
顔をゆがませるルシウスを不思議そうにユリアが覗き込んだ。
「…あっ、あの、うまく、とは、あの…」
「いいのだ、隠さなくてもいい。好きあっているのであろう?」
「ポンポニアとプブリウス様がですか?ひゃっ、これは内緒でしたわ!」
「…ん?誰だと?」
ルシウスは思わず腕の中のユリアを真正面から見てしまい、あまりにもきょとんとしたユリアが可愛らしくて頭が爆発しそうですぐに目を逸らした。
「まあ、ルシウス様はそんなふうにわたくしを思っていたのですか?かなり、非常に心外ですっ!ローマでわたくしに『俺とともに生きてくれぬか』と言ったのは嘘だったのですかっ?」
ルシウス一行は外の庭園で簡単にスープとパン、サラダのランチをしていた。
別荘内は揺れのせいでてんやわんやになっている。今は使用人が整えている最中なので、彼らは皆の邪魔しないよう外でランチを取っているという訳だ。パンピリウスとマルクスが5人の給仕をしている。
ユリアに初めて怒られたルシウスは大きな身体を小さく丸めた。
「嘘ではない。す、すまぬ…勘違いをしたのだ」
「まあまあ、皆無事でしたし、良かったではないですか」と執事のマルクスがユリアに挑むように助け舟を出した。可愛いルシウスが怒られるなど、彼にとっては見過ごせないことだった。
ルシウスがユリアと別れ、別荘に帰れると思っていたので心中がっかりしていた。この天然素材印おとぼけ娘がルシウスの隣にいる権利をまんまと回復しているのを見て密かに歯噛みする。主人だって弟に取られたとあればユリアの事を嫌いになるだろうと考えていたのだ。
注意深い彼はワインから今までの経緯をまるっと知っていた上で、ユリアを手を汚さず駆逐するいい機会だと黙っていた。
「う…マルクス様がそうおっしゃるなら…でも、ルシウス様はやはり酷いです!」
そう言いながらも、彼女の小さな手はぎゅっとルシウスの大きな手を握りしめた。ルシウスは壊れそうなその手を柔らかく握りしめ返しながら、そのぬくもりに久しぶりに触れて生きた心地がやっとしていた。
「ユリアは怖いな、やはり当分は結婚しないでおくとしよう」とプブリウスが言ったので、ポンポニアは「まあ」と複雑な表情で小さく笑った。
大きな揺れがあってすぐ、彼はポンポニアを抱いて高台に避難した。ポンポニアはその時の彼の力強さと表情を思い出すだけで身体の芯まで熱くなるので、極力思い出さないようにしていた。
結局波の高さは砂浜に到達した際には3メートルと沖合で見た時に比べると湾の形のおかげで格段に小さくなっていた。しかし、海辺に近い場所で低い位置にあったものはあらかた波に持っていかれてしまった。
ここいらの人は昔から地震が多い為、波の怖さを知っているのですぐに山に逃げ込んでいた。
「ルシウス様たちはよくご存じでしたわね。わたくし地震の波というものを存じ上げませんでした」とユリアが聞くと、
「カルタゴとの戦争で地中海の海辺にいることも多かったからな…」とルシウスが答え、プブリウスも頷いた。そして、すこし赤くなりながら、
「しかし兄さん、なんでオレとユリアがうまくいってるだなんて誤解…もうオレはユリアを妹だと思ってる。押し付けようとしても無理だからな、言っとくが」とちらりとポンポニアを見て宣言した。
(どうみても彼女の為に言ってるよ…ポンポニア様はどこかほっとしているようにも見えるし。まあ、二人共大人だから節度ある付き合いをするだろう。ユリア様が泣くようなことがなければ私はいいや。しかし、やはりユリア様はこの獣人をとてもお好きなのだな。このような笑顔、カエサル家では見せたことがないもの…)
カエサル家の執事見習いのパンピリウスは少し切ない気持ちでルシウスとユリアを眺めていた。結局クエストの解決は自然になされたが、彼は満足していた。
なぜなら、彼が考えていた危険とはルシウスを落馬させるとかルシウスを怪我させるようなことばかりで、後々ティトゥスのようにユリアにばれたら肝を冷やすようなことにもなりかねないものばかりだった。
(良かった、やはり自然の摂理で落ち着くものだな。人間の小細工など、あの地震に比べられるものではないよ)
パンピリウスとティトゥスが密かにほっとしていると、
「しかし、ユリアの朝食での『では、お気をつけてお帰り下さいませ』には肝が冷え切ったぞ。女性とは怖いものだな、プブリウスよ?」とルシウスがずっとつなぎっぱなしの手の照れ隠しで言った。
「そうだった、あれでユリアが怖いと知ったよ。にこりと笑った時には食事を放り出して逃げようかと思ったぞ」とプブリウスがからかうと、
「そうね、少し怖かったわね」とポンポニアまでニヤニヤして言った。
「そ、そんな…ポンポニアまで!…ルシウス様にお会いするのはこれで最後になるかもと思いまして、最高の笑顔をと…」と恥ずかしそうにユリアが反論したが、ティトゥスにも封じられた。
「いやいや、あの笑顔は場を氷室の中くらいにしたっスよ、ユリア様」
魚の
(例えばアクシデントをわざとおこして二人を部屋に閉じ込めるとか…などと考えていそうだな、この
パンピリウスは平然とした顔で優雅にお茶のおかわりを入れながら、もうそろそろ別荘が片付いた頃合いかなと考えていた。
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