第30話 バイアエクエスト
「お嬢様、お食事の支度が出来ました」
ユリアが馬車で疲れた身体をベッドで休ませてうとうとしていると、夕食の準備が出来たと執事見習いのパンピリウスが呼びに来た。外はもう暗くなっていた。
「すぐに参ります」と返事し、彼女は隣の部屋のポンポニアを訪ねたが返答がない。そういえば散歩に出かけると言っていたのを思い出す。
(そうですわ、ルシウス様の売春疑惑で大いに動揺して忘れていましたが、昨夜ポンポニアはプブリウス様と…いえ、先ほど別荘に到着した時は確かティトゥス様を散歩に誘っておりましたわ。あらら、どういうことでしょう?だってポンポニアはプブリウス様ともティトゥス様とも恋人風な様子ではなかったですのに…まさかこの旅で急速に心が通じたのでしょうか…しかし人妻というのは大問題ですわ…)
ユリアが神妙に考えていると、隣の部屋からルシウスが出てきた。
千載一遇のチャンスだとユリアは腰までの豊かな金髪を揺らせて走り寄った。とりあえずは自分の大きな疑問から解決したい。
もし彼女が推測している通り、バルの女給に心も身体も奪われているのであればユリアが身を引くことも考えなければならないだろう。彼の身体を虜にするテクニックも何も持たない自分だ、彼の傷付いた心を癒せるとはとうてい思えなかった。
彼はなぜか酷く歪んだ顔でユリアを見た。くじけそうになりながらも、ユリアは胸の水晶を手先でまさぐって母の形見から勇気を得た。
「あのルシウス様…昨夜の
「わかっている、俺に遠慮せずプブリウスの元へいくがいいぞ。ユリアは弟を選んだのだろう?いや、違う、いいのだ、責めてはおらぬ。おまえが取ったのは正しい選択だ。これで俺も肩の荷が降りてほっとしているのだ」
慌てて一気にまくしたてたルシウスは、ユリアに何も言わせず彼女に背を向け足早に食堂に向かった。残されたユリアは訳も分からず立ち尽くしていた。
「ルシウス様…変な事を言って誤魔化すなど、やはり昨夜素敵な女性との出会いがあったのでしょうか…もうわたくしなどいらない、と?」
ユリアがポロポロと涙をこぼす。
一連の話をそばで聞いていた執事見習いのパンピリウスが焦っておろおろしていると、プブリウスが庭から戻ってきた。
「ど、どうしたのだ?」とプブリウスがユリアの涙を見て驚き、あわわとパンピリウスに尋ねたことで彼は却って冷静になり、プブリウスに簡潔に説明しながら脳内で分析した。
(どういうことだ、これは?ルシウス様はユリア様をお好きではないのか?いや、何日間か見てきたがそれはない。あの辛そうな様子は、もしや…私が彼を獣人を怖がったりあなどるのと同じで彼自身も獣人であることに引け目を感じて身を引こうとしているのか…?ということはやはりユリア様は愛されているのだろう…)
「ユリア、大丈夫だ。兄はああいう人だからきっと何か誤解してるのだ。ちゃんと説明すればわかってくれる。さ、元気を出せ」
プブリウスはユリアを元気付けようと柔らかな背を撫でた。
彼はこの旅行でユリアをあわよくば奪ってやろうなどという気持ちが一切無くなっているのにふと気が付いた。それはポンポニアへの気持ちの裏返しでもあった。
(おや…?トーナメントでプブリウス様はユリア様を得る為に戦っていたが、この様子ではもうユリア様を好きではないように見える。しかし、先ほどのルシウス様のお言葉だとプブリウス様をユリア様が選んだように聞こえたぞ…?これはなんだかおかしなことになっているな、ううむ…このバイアエクエスト、早く解かないとますますこじれるぞ)
泣くユリアと、彼女をなだめるプブリウスを前にパンピリウスは灰色の脳細胞を活性化させた。そして答え(仮)が出たが、もうすこし正確な情報が欲しいので、明日まで5人をよく観察してみることにした。プブリウスとポンポニアの関係は特に繊細な事案だ。
彼の趣味はクロスワードパズルと謎解きだった。
その夜の食事はなんとも変な雰囲気で過ぎていった。
ルシウスは自分の方をチラチラ見る向かいのユリアと目も合わさず、でも彼女の目が腫れているのをこっそり確認しては心を痛めていた。プブリウスとの仲を認めてもらえた喜びの涙だと考えていた。
ユリアはルシウスが自分を目も合わせてくれずしょんぼりしていた。隣のポンポニアと向かいのプブリウスが気を使って話しかけてくれるのに答えるので精いっぱいだ。
ポンポニアは二人がなぜかうまくいってないことにやきもきし過ぎて頭から煙が出そうだった。なんとか今夜こそ二人きりにさせたいのだが、と一生懸命考えては隣のティトゥスにこっそり相談した。
プブリウスは隣の兄がなぜか酷く落ち込んでいるのを感じつつも、ユリアに話しかける振りをしながらポンポニアを見ては美しさを確認していた。そして彼女が隣のティトゥスとたまに内緒話をするのを
ティトゥスはやる気満々のポンポニアをなだめようとこそこそ「止めておきましょうよ」と耳打ちしたが、彼女は全く聞く耳を持たず、「何かいい案を考えなさいよ!」と言わんばかりの艶然たる笑みでティトゥスを圧迫した。昨日の今日なのに、なんて女性だろう、と感心、もといあきれ返っていた。
しかしティトゥスが気になるのはルシウスだ。彼がおかしいのはいつもの事だが、今日は格別変だった。まるで春先にユリアを別荘から追い出したときのように生気がない。ポンポニアの協力も約束したが、彼女はユリアのことしか考えていない。そしてティトゥスはルシウスが一番大事だった。
「今夜ルシウス様の部屋でたらふく酒を飲ませます。で、ユリア様の部屋に誘導、ってのはどうです?」とポンポニアにこっそり提案すると、彼女は冷静に「では、頃合いを見計らって私とユリアが部屋に行きますね。そして、私たちが部屋を出ましょう。その方が確実ですわ」と計画を変更した。
完璧に見える彼女の知略に舌を巻いたティトゥスはニヤリと笑い、「了解です」と答えた。今度こそうまくいきそうだった。
そして、とりあえず獣頭のボスの話を聞いてあげる必要がありそうだと憔悴したルシウスを観察した。
「ルシウス様、入るッスよ!」
皆が自室で風呂を済ますと、ティトゥスは計画どおり動き出した。
「こ、こら!おまえらはいつもいきなり入ってくる。俺は今から寝るのだぞ」
「まあまあこんなに早くに寝ることもないでしょう…いいワインがあるっス」
ティトゥスが持参したワインを見せると反応した。
「ほう…では酒好きなプブリウスも誘って…いや、止めておこう」
ルシウスはプブリウスがユリアと一緒にいるかもと思い、弟を誘うのをためらった。しかし、ティトゥスは意味が分からずに切り込んだ。
「どうしたんスか、ルシウス様いつもの50倍くらい変ですよ。何かあったのでしょう?言って下さいっス」
ルシウスは迷ったが、ティトゥスには報告しておこうと決めたようだ。遅かれ早かれわかることだと思ったのだ。
「むう…実は、昨夜プブリウスとユリアが…一晩一緒にいたようなのだ。二人は恋人になったのだろう」
「へっ?!」
ティトゥスは顔面蒼白になった。
だってそんなわけないのだ。プブリウスはポンポニアと早朝までいたとポンポニア当人から聞いている。
「ユリア様に限ってそれは万に一つもないっス。ルシウス様の勘違いっスよ…」と遠回しに否定した。しかし頑固なルシウスには通用しなかった。部下からの慰めと判断したようだ。
「いや、俺は朝までおまえと飲んでバルで別れてから部屋に戻った時、ユリアがプブリウスの部屋から出てくるのを見てしまったんだ…部屋に入ると弟が申し訳なさそうに目を伏せていたから間違いないだろう」
(うっ…こ、これは…。プブリウス様は早朝までポンポニア様と一緒にいたから大丈夫ですよ、なんて絶対言えないっス!言ったら…ナポリ湾の魚の餌になるのは確定っス!)
「ち、違いますって。どう見てもルシウス様にベタ惚れのユリア様がそんなことするわけないじゃないっスか。きっとルシウス様に会いに来たのにいなくて、がっかりして出てくるところを見ちゃったんスよ…」
いつもふざけて彼らをからかってばかりのティトゥスが、顔色も悪くあわあわとユリアをかばうのでルシウスは余計に確信したようだ。いつものティトゥスなら『ルシウス様がうかうかしてるからっスよ』などと軽口を叩くだろう。
「いや、前日と同じ服装だったから間違いなく前夜からいたのだろう。俺はな、ティトゥス。…実はこの旅でユリアと弟が結ばれればいいと思っていた。しかし、実際目の前で二人が一緒にいる姿をみると、情けないが身体に力が入らなくなるのだ…ティトゥスよ、俺は明日にでも別荘に帰ろうかと思う。ここに居ては弱って死んでしまうかもしれぬからな…まだ身体に力が残っているうちに出て行くと決めた。せっかく楽しんでいる皆には悪いが…俺はもう限界なのだ!」
がっくりと肩を落とす主人をどう慰めていいかわからず、自分の保身とポンポニアの評判の為に彼は無言で主人のグラスにワインを注いだ。
(もうそろそろ酔いつぶれたところでしょう…私もくらくらしてきました。思ったより飲んでしまったわ)
「ユリア、ルシウス様は婚約者と旅行中に女性を買ったりなどされる方ではありませんよ。どうして信じてあげられませんか?」
「…しかし、いかにもわたくしを邪魔者のようにプブリウスの元へいけなどと…きっとわたくしをハズレくじだと感じて婚約を後悔なさっています。ですから…」
「ですから、ルシウス様はユリアのことを深く愛していらっしゃいますわ…」
ふたりは酔って無限ループの会話を続けていた。そのうちにお酒が回ってきてユリアの部屋で潰れてしまった。
アガサとパンピリウスは心配そうに見ながら二人の女性のお酒のお世話をしていたが、静かになった二人が寝たのを確認してそれぞれのベッドに寝かせようと準備を始めた。
パンピリウスは隣のポンポニアの部屋を整えてから、戻ってきて彼女を抱き上げて部屋を出た。
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