第28話 愛の亡者
ティトゥスはルシウスにベッドに運び降ろされ、ハッと大変なことに気が付いて酔いが一気に醒めた。
(もしルシウス様が部屋に戻ったならばプブリウス様がいないことに気が付くだろう。ボスの事だ、ユリア様の部屋に行ってないか調べ、そこにポンポニア様とプブリウス様があられもない恰好で…なんてことになったら…これは激烈にヤバいっス!酔い潰れてなんていられないっス!!)
「ル、ルシウス様っ!実は聞いて頂きたいことが…」
「なんだ、仕事の話か?」
急に勢い込んで言うティトゥスに面倒臭そうに答える姿からみるに、間違いなく仕事の話はNGだ。
「違います…えっと、付き合っている恋人の話です。仕事が軌道に乗ってきたので、来年あたりで所帯を持ちたいと…」と、今付き合っている娘との将来の話をもちかけた。
もちろんティトゥスだって所帯は持ちたいが予定は全くなかった。二人とも平民だが、恋人の実家は裕福ではなく、ティトゥスと結婚するのなら持参金が必要なので無理だと諦めている。
「なにっ!」
ティトゥスはびくっとした。あいまいな気持ちで付き合っていることがばれて怒られると思ったのだ。
しかし、ルシウスはティトゥスの言葉を頭から信じて相好を崩して喜んだ。やはり少しは酔っているようだ、獣人となってからこれほどうれしそうな顔をティトゥスに見せてくれたのは初めてだった。
「それはめでたいではないか!よし、近くに
(うへぇ、まだ飲むんスか?喜んでくれるのは嬉しいですが、もうお酒は勘弁してくださいよう…)
ティトゥスはもう眠いし飲めなかったが、このままでは身の破滅だと思い主人の申し出をありがたく受ける振りをした。まさに身から出た
「あの…ルシウス様?いらっしゃいませんの?」
ユリアは部屋を閉め出されたと嘘を付いてルシウスの部屋に潜り込み、お休みの口づけか、あわよくばそれ以上のことをしてもらおうとしていた。プブリウスがユリアたちの部屋にいるので、彼は部屋に一人のはずだ。要するにチャンスなのだ。
ノックをしても返事がなく、寝ているなら好都合と忍び込んだ。
この旅行ではまだキスさえもしてもらってない。ルシウスが恥ずかしがりだとしても、あまりに寂しい。二人は婚約しているのだ。
「まあいいですわ、きっとティトゥス様と場を変えて飲み直しているのでしょう。ティトゥス様の様子がおかしかったし、お仕事の話がありそうでしたものね。…ふう、わたくしも疲れたのでここで待たせてもらいましょう」
ユリアは二つあるベッドの一つに身を投げ出した。心地いい疲れが全身を浸した。
(小さなベッドですわね、ルシウス様たちは両手両足が出てしまいますわ。わたくしと結婚したら、とってもとっても大きなベッドが…欲しいですわ…誰もが驚くような大きな立派な…)
旅行疲れとお腹がくちいせいで、ユリアはすぐ眠りに落ちた。
「こ、これは…」
プブリウスは戦場の習慣でまだ暗い早朝に目が覚めると、裸の自分とポンポニアが一緒のベッドにいるのを発見して頭をくらくらさせた。同じく裸の彼女の乱れた赤髪を見てだんだんと昨夜の情事を思い出して青くなった。
「マジか…」
彼が呟くと、無邪気な顔でポンポニアが伸びをして目を開け、彼を見て叫んだ。
「きゃっ!なっ、なんでプブリウス様がここにっ?」
そして彼女は自分が何も身に着けていないことに気が付いて、急いで豊満な肢体にシーツを巻き付けた。
「なんでこんなことになったかオレにもわからないんだ。とにかく、夜が明ける前に部屋に戻るよ。兄にばれたら大変だ、殺されちまう。お互い内緒ってことでいいよな?」
「も、もちろんですっ」
裸のプブリウスが着替えるのを見て目をそらして顔まで赤くした彼女を横目で見、彼は意外に思った。
(なんだよ、人妻の割にやけに
「なんでこうなったかちょっと思い出せないんだけど…ああ、とりあえずこっそり部屋に戻る。困ったことがあったら相談してくれ、オレは逃げも隠れもしない」
「は、はい」
ポンポニアは彼が部屋をわたわた出ていくのを見送ってから、この惨事の心当たりに気が付いた。
これはティトゥスと自分が画策した媚薬のせいだ。ワインをユリアとルシウス二人に渡し、そのあと中庭で豚の丸焼きを食べた。そして戻ってきて自分の席にあるワインを飲んだのだ。
身体がポカポカしてきて熱くなり、誰かに寄りかからずにはいられない、誰かに身体中を触って欲しくてたまらなかったのを思い出して顔が赤くなる。
(すり替えられていた?!誰に?なんてことでしょう、信じられない!!)
彼女は性欲の薄いかなり年上の夫との間にはない、昨夜のお互いの足りない部分を補うような激しくもどこか優しい性交を思い出して顔を赤くした。
(あんなふうに強く求められるなんて…プブリウス様はもっと乱暴で駄々っ子みたいかと思っていたのに…とても素敵でしたわ。
でも困りましたわね、これから毎日会うというのにお顔が見られなさそうです。彼はこれからのローマの戦場を背負って立つ英雄なのです、汚名を着させるわけにはいきません。家督も継いだことですし、きっと可愛らしい女性をお父様が連れてくるでしょう。これはただ一回きりのアクシデント、ここは経験が多い人妻らしくあんなこと何でもない、みたいなふりをするしかないわね)
しかし、こちらも身から出た
「おはよ、ユリア。オレを待ってたのか?可愛いな」
ぐっすり寝ていたユリアが目が覚ますと、目の前にいたずらに笑うプブリウスがいた。今にもおおいかぶさって頬にキスされそうで彼女は布団を頭のてっぺんまでかぶった。
「ひゃっ、ち、違いますっ。ルシウス様におやすみの…あれ?もう朝ですかっ?!」
「へー、夜這いに来たの?意外と積極的だね、ユリア…」
ちょっと虐めたくなったプブリウスはユリアのそばに腰かけて彼女の退路を防いだ。昨夜の不慮の情事をユリアの記憶で上書きしたかった。ぼうっとしてると
(くそ、やたら肌が合う女だったな…)
シーツをはがすと、彼女は昨夜の食事の服のままだった。
「ど、どいてくださいませ…」
ルシウスを夜這いに来たと知られてしまい真っ赤になったユリアを、プブリウスがからかった。
「嫌だね…こんな可愛い子を放っておいて、婚約者殿は一晩なにをしているのか…もしや
「悪かった、ウソだ。ほら、部屋に戻れ」
「うっ…プブリウス様の意地悪っ!オタンコナスっ!」
涙目になったユリアが部屋から出て行くと、プブリウスは笑いながらも大きくため息をついた。
「なんだよ、オタンコナスって…子供か?しかし…」
どうしても考え込んでしまう。
ローマの法律では不義密通は重罪であり、女性は死刑、男性も家長の判断によっては罰を受ける。
彼はだんだん不安になってきた。自分の下半身のうかつさのせいでポンポニアが死刑?また昨夜のあの燃えるような赤髪と着やせする豊満な身体をうっとり思い出した。彼をしっかり受け止める好みの身体だった。
「後で謝らないとな…とにかく死刑にだけはさせるわけにはいかない」
プブリウスが昨夜入り損ねた風呂の用意をしていると、ルシウスがのっそりと部屋に入ってきた。
「お、遅かったな。オレは今から風呂にいくが、兄さんはどうだ?」
自分も先ほど帰ってきたばかりのプブリウスはなんとかポンポニアとの情事を隠すのに必死で、ルシウスの顔を見ることも出来ず、兄が世界の終わりのような表情をしていることに気が付かなかった。ポンポニアのことで頭がいっぱいで、さっき出て行ったユリアのことは全く念頭になかった。
「いや、やめておく…」
「そ。じゃあ、オレはひとっ
「…ああ」
(信じられぬ…ユリアがプブリウスのいる部屋から出てきた。それも、昨夜の服のまま…。いつの間に二人は深い関係に…?プブリウスのことだから無理にということはない。という事は、ユリアから…?)
ルシウスは自分が望んだ結果でありながらも、二人が昨夜したであろう情事を想像してユリアの匂いがするベッドにうずくまった。
もうすぐ目的地バイアエに着く馬車の中は昨日までとうって変わってシンと静まり返って、各々の思索にふけっていた。
ユリアはルシウスが自分という婚約者がありながらも、昨夜は一晩中飲み屋の女性と共にいたのかを知りたかった。
ルシウスは、ユリアがプブリウスと関係していると思い、この旅行の目論見が早々に成就したものの、死ぬほど、いや、消えてしまいたいほど辛い気持ちでいた。
プブリウスはポンポニアと関係を持ってしまったことを自分の中で処理しきれずにいた。彼女がまったく昨夜のことを気に留めていない様子なのも気になって仕方なかった。
ポンポニアはプブリウスからたまに向けられる熱い視線を感じつつ、一緒に策略を練ったティトゥスが自分たちの関係を知っているからどうやって口止めしようか考えていた。プブリウスには迷惑をかけるわけにはいかないのだ。
ティトゥスは自分のせいでポンポニアとプブリウスが不義密通してしまい、それをルシウスが知ったら間違いなく横か縦に真っ二つだと恐れおののいていた。絶対に知られるわけにはいかなかった。
それぞれの思惑を運ぶ馬車は予定通りの夕方にバイアエのカエサル家の別荘に着いた。
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