第25話 ユリアのお願い

「大勢で旅行なぞ初めてでございます。楽しゅうございますね!」


 ユリアが満面の笑みで4人に向かって言う。胸には限りなく透明な水晶の首飾りが本来の持ち主の元で落ち着いている。

 豪華な4頭立て馬車にはポンポニアとプブリウス、ルシウス、ティトゥスが乗っていた。後ろには3台もの馬車と2台の荷馬車が続く。中にはマルクスやアガサ、パンピリウスなど両家の使用人と荷物がたんまり積まれている。


(まるで引越しだな)


 見知った仲なので獣頭を出したままのルシウスはこっそりため息をついた。


 早朝の馬車はローマのセルウィウス城壁の16の大門のうちの一つ、カペーナ門をくぐり城壁の外へ出た。景色が変わり否応なく旅気分が盛り上がる。馬車のサスペンションがまだ未発達の為、整備された石畳でゆっくり走ってもかなり揺れるが、ユリアとポンポニアは嬉しくて仕方ない様子で少女のようにはしゃいでいる。

 ラティーナ街道を通って目的地に向かう。3泊4日の移動で、目的地では1週間ほど過ごす予定だ。

 道中のスタティオネスで疲れた馬を交換しマンシオネス宿泊施設で泊まる。今回は大勢なので一番大きな施設を貸し切りにした。施設の方も大勢の使用人を連れて旅行する貴族のもてなしに慣れているので安心だ。


「いやー、こっちに乗っちゃって良かったんスかね?」とニヤニヤしながらティトゥスが言う。明らかにこの馬車の空気を楽しんでいる。


「仕方ないだろ、人数調整だ」とぶっきらぼうにルシウスが言うと、


「いや、かなり面白いからいいですケドね」と仮にも雇用主ボスをからかうように言ったので、ルシウスがぎろりとにらんだ。


 親友のラエリウスが来られないので、ルシウスはティトゥスに旅行に付いて来るよう頼んだ。

 最初は仕事があるので、と断わろうとしたティトゥスだが、この際仕事はきっぱり諦めて2週間仕事を休みにした。また抜け殻のようにルシウスがなると、一番困るのは一緒に仕事をしているティトゥスたちなのだ。

 そう、この旅行のティトゥスの目的はルシウスとユリアをくっつけて、自分の仕事が円滑に進むようにすることだった。二人が余りにももじもじしてくっつかないのを見てからかうのも面白いが、何かとルシウスがユリアの事で一喜一憂してポンコツになり仕事に影響が出ることが多く、もう勘弁だと腰を上げたのだ。

 ルシウスに慣れているティトゥスは彼の睨みなどへいちゃらな様子で皆の話題に溶け込んで話す。彼は明るくて機転が利くので話も面白く、アッという間にムードメーカー的存在となっていた。


 ルシウスはまたため息をつき、隣の楽し気なユリアを盗み見て心の栄養補給をしてから外を眺めた。道中の安全を確保するためである。いつもの商隊では自分が馬車を操作していることが多いので周りを警戒できる。しかし、中に乗っていては周囲が見えずどうも不安だった。

 街道が整備されても、山賊などが出没して金目の物を奪われたり、命まで奪うこともある。ローマがどんどん領地を拡張するため、征服された国の民や兵士が徒党を組んで山賊となるのも珍しくない。

 それに、この一団はどう見ても商隊ではない。旅をする人は基本富裕層で金持ちである。彼らは金目の物を持っているのでどうしても狙われる。


(なんでこんなことになったのか…)




 事の成り行きはこうだ。


 ユリアが海辺の別荘で散歩している時、珍しくお願いがあると言うのでルシウスは心臓を破裂させそうなくらいに緊張して聞いた。その内容は彼が常に杞憂しているような自分の元を離れていくようなものではなかったが、彼には思ってもみなかったことだった。


「ヘロドトスの『歴史』に書かれているギザのピラミッドを見てみたいのです!バビロンの空中庭園にも!」とユリアはいともルシウスならば簡単なことのようにリクエストした。

 あまりの内容に飛び上がったルシウスは「だめだ、そんな危ない場所におまえを連れて行けるものか!」とすぐさま却下した。明らかに最近彼女が熱心に読んでいる『どうしても訪れたい~世界の七不思議』という本に影響されているのがわかって心中苦笑いする。幼い子供のようで愛しさが増すが、ダメなものはダメだ。


 カルタゴが陥落した今、混乱に乗じて有象無象うぞうむぞうの輩が跋扈ばっこしている。特に地中海で最強と言われたカルタゴの海軍兵士が海賊となっているので海は危険だった。ギザのピラミッドとなると、船旅は避けられない。

 またバビロン方面も、マケドニアが併合され属州となったばかりなので兵士崩れの山賊が多い。ローマが基幹道路を誰でも一人旅ができるよう安全に管理しようとしているが、地域によっては危険だ。もちろん、ルシウスとティトゥスたちの仕事は山賊や海賊がいるからこそ繁盛するのだが。

 そしてユリアは尊敬するルシウスならばなんでもできると思っているフシがある。ただの人間の自分をあまりに神格化されると困るのだ。カルタゴに囚われた父親を助け出した事を一途に感謝する、そんなユリアを愛しく思うが、反対にそれがなかったら彼女は自分のことなど歯牙にもかけていないのではないかと思う。

 実際トーナメント前にはプブリウスという普通のローマの女性ならば目も眩むほどの益荒男ますらおからのプロポーズされたが何度も拒んでいたと聞くにつれ、余計にそのように思うのだ。

 弟のプブリウスは以前の女性にだらしなくて無責任でやけくそな雰囲気がなくなり、いつの間にかスキピオ将軍という名に相応しい落ち着いた立派なローマの男になっていた。ルシウスは自分が獣人になってやっと周りが見えるようになったことを皮肉に思う。

 もしプブリウスが、いや、誰であろうともユリアを他の男が手に入れたらと思うと辛くていてもたってもいられず、どこまでも全速力で走ってそのまま力尽きて倒れて死んでしまいたい気持ちになる。

 そんな自分を抑えながら、この旅行でユリアがプブリウスをより知って自分よりそちらを選んだならば、彼女を自由にしようと思い弟を誘った。

 どう考えても弟の方が地位も名誉もあり、彼女を幸せにする資格があるように思える。ユリアがプブリウスを選ぶのが当然なのだ。


 危ないのと、まだ結婚もしていないのに、というルシウスの説得で、ユリアは一応ギザのピラミッドは諦めたように見えた。父や世間の手前それはもっともだと彼女だってわかっている。でもどうしても行きたいらしく、プウと頬を膨らます可愛いユリアをなだめ、結局はカエサル家の別荘のあるカンパーニア地方の温泉地・バイアエに1週間滞在することに落ち着いた。

 ナポリ湾を望む景勝地バイアエには温泉付きの豪華なパトリキ貴族や富豪の別荘がたくさんある。

 質素倹約を強いるローマにいると出来ないような自堕落な生活をしに貴族はこぞってバイアエに来た。暴飲暴食や海辺でのどんちゃん騒ぎ…をどれだけ外しても誰の目にも戒められることのない生活をしに来ているといってもいい。

 そして、海の幸が豊富であることも魅力だった。生け簀で養殖できないカキを、温泉に入りながら一日で100個も食べた強者もいると聞く。

 そんな貴族たちの気分を象徴するように、バイアエで神殿見かけることはなかった。せっかくはめを外しに来たのに、自分たちを縛るものをわざわざ目にしたくなかったのだ。

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