第20話 恋の自覚

「ユリア、オレの話を聞いてるのか?」


 カエサル家の自慢のペリステュリウム中庭に自分がおり、目の前にプブリウスの顔があるのに気が付いて彼女は赤くなって俯いた。反射で胸元のネックレスの水晶を握りしめようとしたがないので、手がさまよう。

 父と兄以外の男性が至近距離にいるのはどうも慣れないユリアだった。


(これは男の気を引くテクニックなのか?初心うぶに見せてこの女、実はやり手なのかもしれん…なんせ兄が夢中になってたしな)


 特定の恋人を作らない遊び人のプブリウスはユリアの裏心を疑っていた。もちろんそんなものはない。父ガイウスと同じく、単純明快なのがユリアだ。


 彼女は今頃ルシウスが何をしてるかとぼんやり夢想していた。プブリウスと会うとルシウスをどうしても思い出してしまう。血縁的にはいとこで、雰囲気が少し似ているせいだろう。



 ユリアが別荘を追い出されて1か月、父ガイウスは結婚の申し込みがあった男性の中からこれはと思う人物をユリアに次々と紹介した。戦場から帰って来て余裕があるガイウスは、望みのあるかないかわからないルシウスだけでなく他の男もユリアに見定めさせようというのだ。

 しかしどの男性もルシウスに比べると見劣りするのがわかるだけで、ユリアは心底がっかりしていた。

 結局なぜかルシウスの弟のプブリウスと、軍人貴族のデキムスという若い二人が残り、入れ替わりでカエサル家を訪れてはユリアを落とそうと熱心に口説いている。なんせ、彼らはいつ戦地に行かされるかわからないのだ。


 今会っているプブリウスは父の大のお気に入りだった。

 先のカルタゴとの戦争ではルシウスが抜けた軍隊を率いてローマの勝利に大きく貢献し英雄として尊敬されていた。彼らの祖父でさえカルタゴを滅ぼすことは出来なかったのだ。

 彼はガイウスに許されて何度も家に訪れていたが、明るく少し粗野で野心を隠さない正直な性格のプブリウスをユリアは嫌いではなかった。それになんといっても性格は似ていなくてもまとう空気がルシウスとどこか似ている。


 ちなみにもう一人の候補であるデキムスをユリアは歯牙にもかけていないのだが、彼は自信家で全く気が付いていなかった。懲りずに何度も訪れてはもう少しで落ちると言わんばかりにアメとムチをちらつかせながら結婚を迫ってくる。

 彼はねずみのように狡猾な男で、服が立派で猜疑心が強く見栄っ張りなのが伺えた。いつも目がきょろきょろして落ち着きがない。

 どうもユリアの好みではないようだった。


 しかし、ポンポニア以外は誰もが見ないふりをしていたが、自分を窮状から助けてくれたのは間違いなくルシウスだった。彼は身代金を用意し、危険極まりない廃墟になる寸前のカルタゴまで父を迎えに行ってくれた。その上全く恩に着せようともしない。その事実は重く、彼女の中で動かしようがなかった。



「申し訳ありません、ちょっと寝不足でして…」


 嘘ではない。


 ガイウスがいない間、ユリアは家を守る為に毎日心を砕いてアガサとパンピリウスとともに屋敷を走り回っていた。

 しかし、父が家に戻り、使用人が大勢戻ってきてくれたので暇で仕方ない。家政はもちろん果樹園・畑の手入れもさせてもらえず体力が有り余って眠れなかったのだ。

 何か彼女が家事をしようとすると、執事見習いとなったパンピリウスが目ざとく見つけて止めるのが日課だった。


「そうか…少し散歩でもするか?」


 ルシウスとの夜の散歩を思い出し、ユリアは思わずこくりと頷いた。



「やはりご兄弟ですね、ルシウス様とプブリウス様は似ていらっしゃいますわ」


 2人はカエサル家の明るく広い庭園を歩いている。

 30センチほど離れて隣を歩くプブリウスをふと見上げると思わず声にでた。ルシウスの左手にしがみつくように波辺を歩いたときの感触や安心感を思い出す。


「そうか?あまり嬉しくないぞ…オレといるのにそんなに嬉しそうに兄のことを言われるとな。あの獣人をそんなに気に入ってるのか?あいつはユリアを別荘から追い出したんだろ?」と眉間に皺を寄せて嫌そうな表情でプブリウスは答えた。


 彼はルシウスがユリアを大切に想った故に手放したのを知っていながらも、自分の利益の為に嘘をついた。その行為がますます兄へのコンプレックスを複雑に刺激しているのには気が付いていない。


 ユリアはどうも二人はあまり仲良くないようだとぼんやりわかっていた。


「申し訳ありません…しかし、ルシウス様も好んで獣人になったわけでは…」

「わかってる。オレはずっと兄と比べられてきたからな。もう兄の影で遠慮していなくていい。オレの時代が来たんだ」


 プブリウスは急に足を止め、彼女の小さな手を分厚い手で握りしめた。矢じりのように鋭い目は射抜くようにギラギラと輝き、ユリアをひるませる。こんな風に男性に見つめられたことがなかった。


「オレがスピキオ家の家督を継ぐ。だからユリアには絶対不自由はさせない。名を汚すような浮気もしないし、おまえに浮気させるようなこともしない。だからオレと結婚しないか?元老院での発言権も強いガイウス将軍の娘ならば父も納得するだろう」

「う…っ」


 何度目かのプロポーズでも彼と生活する姿が全く思い浮かばないユリアは、思わず口ごもった。すると、プブリウスは苛立たしそうに身を寄せ、ぐいっとユリアを引き寄せた。ユリアの足が宙に浮く。


「ひゃっ、プブリウス様っ」


 彼は黙って庭のあずまやに彼女を連れて行き、奥の角に彼女を座らせてから逃げ道を塞ぐように自分も座った。


「…ルシウスは獣人だぞ、苦労するのは目に見えている。ユリアだけでなく、子供もだ。おまえの父もオレの方がいいと思うだろう。だから…ルシウスはやめてオレに決めろ。おまえがオレに決めたら誰にも文句を言わせない」

 

『兄もな』という言葉を飲み込んでプブリウスが彼女の身体に身を寄せてくる。ユリアは両手で押すのだが、彼の分厚くて筋肉質な身体はまったく微動だにしない。


(何度お断りしてもお父様が賛成してるからってぐいぐいきますわね…わたくしがカエサル家の為に折れると思っているのでしょう。しかし、わたくしにはルシウス様への大きな恩があるのです…これを返すまではっ…!)


 プブリウスを嫌いではないユリアは、困り果てながらも重い口を開いた。毎日のように会っていたらどうにもルシウスに似た弟に愛着がわいていた。


「…では、プブリウス様の本気をわたくしに見せて下さいますか?」

「なにっ!どうやって見せるというのだ?もちろん望むところだ!」


 プブリウスは食い入るように彼女の提案を聞いた。その内容はどう考えても自分に有利であり、彼の実力を見くびっているユリアはもう自分のものだとさえ感じていた。




「あの、ラエリウス様…もし来週の仮面パーティーにルシウス様が来なかったら、わたくしはどうなるのでしょうか?知らない方の妻とか、絶対に無理なのですが…」


 パーティーの日が近づき、ユリアはそわそわしてラエリウスに相談した。長い金髪を散らして青い目に不安を揺らすその姿はどの角度から見ても文句のない美しさなのだが、なぜか彼女はルシウスのほうが神話的で美しいと強く頭から信じている。


「来るよ、絶対。でも、万が一来なかったら、それはそれで諦めがつくから他の人を選べていいじゃない?そうだ、プブリウスでいいじゃない。何度も求婚されてるんだろ?」と軽い調子でラエリウスが言った。プブリウスからどのようにユリアを落とせばいいか相談を受けていたのだ。


「あ、諦める、ですか?」


 プブリウスの求婚を何で知っているのかといぶかしみつつも、ユリアは不思議な違和感を感じていた。


「そう。ユリアちゃんは、ルシウスを好きなんでしょ?プブリウスは雰囲気が似てるし間違いなくローマイチいい男だと思うけどね、ちょっと君には野心家過ぎるかな。いや、反対にプラスマイナスゼロで丁度いいのか…?」とラエリウスは真面目に考え込んだ。


 ラエリウスはルシウスの親友だが、小さなころから知っているプブリウスも弟のように可愛がっている。彼の粗野な性格と強い上昇志向は兄へのコンプレックスであり、これから家督を継ぐことにより兄の苦労を知って成長し和らいでいくのだろうとラエリウスは分析していた。


 そして、プブリウスは兄への対抗心でユリアに近寄ったのだが、落ち着いており質素で賢く、鈍感で天然の彼女を人生の伴侶にしたいと考えていた。今まで遊んできた女性とではとうていスキピオ家を守っていけないとわかっているのだ。


「す、好きっ?ルシウス様を、す、好き…そんなよこしまな気持ちでは………ないと思うのですが。な、何故ですかっ?」


 彼女はルシウスを想う時に感じる強いを罪悪感から見ないふりしてきた。買われた奴隷同然の自分が、主人である彼に横恋慕などあり得ない話だ。それに何より彼には妻子がいる。


 プブリウスのことは無視なんだ、と彼女の直情に少し笑ってしまったラエリウスは言った。


「だって、ユリアちゃんってばルシウスの事ばかり聞きたがるし、話ししたがるし。あの別荘にいた間も、一番楽しかった時間はあいつと二人で散歩していた短い時間じゃない?どう、図星でしょ?ティトゥスにも一応確認で聞いたから間違いないと思うんだけど…」


 ユリアは真っ赤になりながら『好き』という概念を提示されて戸惑っていた。


「そ、そんなこと、考えたことがありませんでした。考えてはいけないと…」

「でもさ、もうお金も返したんだから義務はないし」


「ぐうっ…」


 確かにそうなのだ。

 ガイウスが利子共にラエリウスを通じて返金したので奉仕する必要はない。彼に対して残っているこれはなんだろう…考えると、ルシウスへの深い恩義と思慕だとすぐに思い当たった。

 自覚したらぶわっとユリアの体内から彼に対する愛しさが溢れて止まらなくなってきて、今すぐにでもあの海辺の別荘に会いに行きたくなっていた。身体が軽い。


「ラエリウス様…ありがとうございます。もやもやしていましたが、やっと自分の気持ちがはっきりしました。しかし奥様もお子様もいらっしゃるので、邪魔になるといけません。こっそり使用人となっておそばに居させてもらえるようにいたします!」


「いえいえ、お礼はいいよ。あとね、朗報。ルシウスは事実上破綻していた夫人と近々離婚する。夫人は金持ちとすぐに結婚するってさ。だから、安心してユリアちゃんはルシウスに飛び込んでいきな!でも使用人になるってのは止めたほうがいい、多分ルシウスに怒られて許してもらえないよ…」と言って灰色の瞳を揺らせて笑った。


「ラエリウス様、何をおっしゃいます!と、飛び込むなど、な、なんとはしたない…」


 ユリアは彼の腕の中に飛び込む自分を想像してタコのように手の指の先まで真っ赤になっている。そして、妻と別れると聞いて、小魚のように飛び跳ねたいほど嬉しくて仕方ない気持ちをぐっと抑えた。


(不謹慎であり大変申し訳ないことですわ…再婚される奥様はいいにしてもお子様がどのように感じているのか…なによりルシウス様を気持ちを考えると喜んではいけません。しかし…)


 ユリアは顔がニマニマと緩むのを抑え込むのに大変苦労した。

 そんな様子を見てラエリウスはクククとこらえきれずに笑っていた。どうもずれているこの娘は、まちがいなくルシウスにお似合いだった。

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