第12話 親友ラエリウス

「おう、ルシウス!元気か?お前が誘ってくれたんだ、嬉しくてすぐにローマを出てきたよ。しかしあのように美しい客人がいるのに良かったのか?」


 ラエリウスは親友の部屋に入るなり獣化した親友にためらいなく抱きついた。彼は幼馴染みの発症後も変わらず友達でいる稀な人物のうちの一人だ。獣化してからというもの、ルシウスから彼を誘うことがなかったので、ラエリウスは純粋に喜んでいた。心底優しいのだ。

 しかし、ルシウスは自分が遊びに来いと誘ったくせに複雑な顔をしているのを見、ラエリウスは灰色の瞳を曇らせた。


 ルシウスはユリアとラエリウスが早朝の美しい浜辺で楽しそうに話しているのを部屋から見ていた。

 予想を大幅に超える酷い苦痛が彼を襲った。

 身体をバラバラにしそうな真っ黒な健常者への嫉妬と、これで醜い自分を直視しなくても済むかもしれないという真っ白の小さな安堵が彼の体内で混ざってよくわからない状態になっていた。


(彼女がラエリウスを好み、ラエリウスもユリアを好きになり、俺が彼女を手離せば…彼らはきっと幸せな結婚ができるだろう。問題はこんな体たらくの俺が耐えられるかだが…そこは彼女の為だ…)


 幼馴染のラエリウスは学者の家系で、正反対の優秀な軍人を排出するスキピオ家によく遊びに来ては可愛がられていた。末っ子でとても優しい気性の為、結婚も従軍もせずにただひたすら大学で勉強し、最近は新進気鋭の政治・哲学者として注目を集めている。

 心根が優しく芯が強いユリアにぴったりだと心底思う。自分のように戦場でたくさんの人をほふり去ってきた血なまぐさい手を持つ人間は彼女に似合わない。ましてや世間で忌み嫌われる獣人だ。彼女だってこの頭を見たら逃げ出すだろう。


 

 ユリアの幸せ


 それはルキウスが心底望んでいるものだった。しかし、彼女がそばにいることは彼の法外な幸せでもある。化け物であることを自覚しているので彼女の愛なぞ望んでいないしそんな資格もない。ただ、そばにいてくれて楽しい笑い声が聞こえるだけで心が温かくなるのだ。


 彼は今まで1ヶ月間に感じていた脆くて危うい幸せが崩れる瞬間がやっとやってきたことに安堵しながらも、心底自分の運命を呪った。発病さえしていなければ自分でもユリアを幸せに出来たかもしれないのだ。

 しかし現実、自分は獣人といわれる家畜以下の存在であった。



 幼馴染みと久しぶりに話していて、ユリアが本名ではなく『コーネリア』と名乗って挨拶したのを知り彼女の機転に感心した。そして彼女を必死で探しているであろう父親に見つけて欲しいなら周りに本名を名乗ればいいのに、真っ正直すぎるとも思う。

 

「あの娘は親戚筋の娘でここに預かっている。20歳ハタチなのだが未婚の為、家に居づらくてここに遊びに来ているのだ、良かったら話し相手になってやってくれ。優しく気立てのいい、その上頭のいい娘だ、おまえの気にいるだろう。俺はこのような化け物だからな、恐ろしがらせるといけないので獣人であることは黙っているのだ」

「そうか…あれほど美しいのに未婚とは、ご両親もさぞかし心配であろう…わかった、ここに居る間は気にしておく。それより、おまえはローマに戻らないのか?」


 ルシウスは獣の顔を酷く歪めて吐き出すように答えた。


「…あのように一族から辱めを受けてローマからはじき出されて、おめおめと帰られるものか…」


 ラエリウスは不本意にも獣人になってしまった幼馴染の苦悩を想った。


「そうさな、おまえが発病した時は皆驚いて、あまりの失望からおまえを拒絶したのだろう。おまえの存在が一族にとってもローマにとっても大きすぎたのだ。なんせカルタゴに何度も勝利したおまえは弟と共に若い英雄なのだ。

 あれから半年、カルタゴとの戦争も終わりローマの空気も変わった。おまえも知っているだろうが、カルタゴに捕らえられていたガイウス将軍が身代金の支払いを終えて年明けにローマに帰ったのだ。

 彼はいきなり元老院の議会で病気が発現した人間を差別することを禁じる法案を提起したよ。

『ローマ建国にかかわったロムルスとレムスは、川に捨てられたが、雌狼に拾われその乳で育てられたという。狼はわれらの祖先を助けたのだ、今我らが狼の様子をしたものをさげずんだら、神々はどう思われるか明白ではないだろうか?いつかこのローマに神の怒りが降りそそぐであろう』とな。そして、こうも言ったのだ。

『沈黙を中立だと思うな、それは現状維持を支持しているのだ!』

 さすがガイウス様だろ、議会が思いもよらない演説に大きくどよめいたそうだよ」


 ユリアの父は、まさかその獣化した人間が自分の娘を大金で買って軟禁しているなど思いもよらないだろう。それを知ったら、かの尊敬する将軍に自分は深く軽蔑されると思うとぞっとした。一族郎党、多くの友人にさえ拒否されたのだ、これ以上は誇りを傷付けたくなかった。


「そうか…」


(潮時、だな)


 ユリアの父の話を聞いてルシウスの腹は決まった。




 ラエリウスが別荘を訪れた日の朝食後、ユリアがアガサと庭木の手入れをしていると執事が現れた。

 ルシウスの部屋から良く見下ろせる広大な庭園が美しくあるようにと、ユリアは毎日のように庭師に聞きながら庭仕事を手伝うようになっていた。

 今はまだ寒いために咲いている花が少なくて寂しいが、春に美しく花が咲き誇るだろう。その庭園をルシウスと並んで歩くことが出来たら、などと夢見ていた。


「失礼いたします。ユリア様、ご主人様からご伝言でございます。『今日より逗留とうりゅうするラエリウスにはコーネリアという親戚筋の娘を預かっていると話してある。大切な友人だから粗相そそうのない様に話し相手になってくれ、俺は仕事が忙しいのでおまえに頼む。夕食後の散歩は当分中止だ』だそうです。もう一度申し上げますか?」


 執事の最後のやや小馬鹿にしたような質問をものともせず、ユリアは喜びに身体が震えた。海辺を歩く以外の仕事を任されたのだ。


「結構です、ありがとうございます。執事様、ご主人様には誠心誠意、務めさせて頂きます、とお伝えください」


「了解しました」と無表情の執事は少し心配そうに答えたが、ユリアは全く気が付かなかった。


(これは頑張らねば…!しかし父や兄以外の殿方とお話したこともないので、何を話したらいいのでしょうか?大切なご友人を退屈させるようなことがないようにしないと…)


 使命感に燃えていたが、肝心のルシウスとの散歩が無くなったことにはっと気が付いてショックを受けたのは昼食前だった。いつの間にか夜の散歩が彼女の毎日の最大の楽しみとなっていた。

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