第13話 結婚
「へえ、コーネリアの父親は娘を結婚させなかったんだ。珍しいね」
ラエリウスとユリアはいつも通り朝食を一緒に食べてのんびりしてから、海辺を散策している。ルシウスの親友がこの海辺の別荘に来てから2週間が経ち、二人はずいぶん気安くなっていた。
別荘の主人の趣味で二人とも装飾的なトガを着用している。ユリアは長い金髪を一つにゆるくまとめていた。ちなみに庭いじりなどで作業着のときはトップでまとめてぐるぐると珠を作るのがお気に入りのスタイルだ。
「はい、母が早くに亡くなりましたし、結婚をお世話してくれる親戚もおらず、父と兄が長いカルタゴとの戦争に従軍しておりましたので。いつの間にか20歳になってしまいましたが、わたくしはいいのです。あまり結婚に魅力を感じておりませんでしたから」とユリアは笑って正直に答えた。
今になってわかったが、尊敬する父であっても人を見る目があるかないかは違う話だ。彼が雇うと決めた執事といい農場管理者といい、ぺらぺらと調子がいいだけでハズレくじも甚だしい。コミュ力があればいいというものではないのだ。父に結婚相手を決められなくて幸運だったと心底思う。
「ふうん…じゃあ僕らは二人とも肩身の狭い独身仲間だね」
ふいにラエリウスが口にした言葉がひっかかった。ユリアは言い間違いだと思った。いや、思いたかった。彼女は動揺を隠すように、顔を俯かせて聞いた。手が無意識にない水晶のネックレスを探す。
「…あの、ルシウス様もでは…?」
ああ、あいつを忘れてた、という言葉を期待していたのだが、全く違う答えが返ってきた。
「ああ、あいつは結婚してるよ。なんせ28歳だからね」
ユリアは頭をスリコギでガツンと殴られたような衝撃を受けた。彼が28歳なのにも驚いていたが、何より…
(そっか、そうですわよね…あのような立派な方に奥様がいらっしゃらないわけございませんもの…)
青くなって呆然としながら必死で胸元にない水晶のネックレスを探すユリアに、ラエリウスが真顔で優しく追い打ちをかけた。全く悪気などない様子が嘘ではないと告げていた。
「男の子も2人いるよ」
「…!そ、そうですか…存じ上げませんでした。あの、ちょっと驚いてしまって…座ってもよろしいですか?」
ユリアの顔色が青を通り越して白くなった。彼女は立っていられず、今はない胸元の水晶をぎゅっと痛いほど握りしめたいと思いながら、ラエリウスの誘導のままにふらふらと浜に打ち上げられた渇いた流木に座って深呼吸した。
しかし胸の痛みが全く治まらない。
(な…なんでしょう、この…身体を絞られるような…)
「ラエリウス様…申し訳ないのですが、わたくし調子が悪いので部屋に戻ってもよろしいですか?」
「ん?どうしたの?」
ラエリウスはのんきに質問した。ただお嬢様が歩き疲れたのかと思っていた。
「ここ、が痛くて…」とユリアはトガの上からも豊かな膨らみがわかる両乳の間を手で抑えた。そこでようやく超鈍感男子ラエリウスは、ユリアとルシウスが親戚などではないと思い至った。
(ということは、コーネリアはいったいルシウスのなんなのだ?恋人、というわけでもなさそうだし…)
「…そっか。じゃあ部屋まで届けるよ。失礼」
ラエリウスはこの2週間もの間ルシウスに申し訳ないことをしたのかも、と思いながら、少し迷ってユリアを抱き上げようとした。
しかしラエリウスがユリアに触れる瞬間、横から誰かがさっと丸太のように太い腕で彼女を抱き上げ彼女は驚きの声をあげた。
「軽いな、今時の女は。おい、女。もっと太らないと誰にも声をかけてもらえないぞ」
そう言って彼女を笑わせようとしたのは、ルシウスの一歳年下の弟であるプブリウスだった。褐色の肌に黒目黒髪、背が高く、体格はルシウスと同じで均整の取れた筋肉でがっちりとしている。牛一頭くらいは持ち上げられそうだ。
少し雰囲気が似ているが、性格は全く違う様だった。
「プ…プブリウスじゃないか!もうカルタゴから戻ってきたのか?よく無事で…!でもなんでこんなところに?」
ラエリウスは弟を見るように灰色の瞳を愛情で輝かせてプブリウスを見た。ますますローマの男らしくなっている。とっくにいろんな意味で抜かされているのにも関わらず弟のように可愛らしく感じてしまうのだ。
「ラエリウス、久しぶりだな。ローマでちやほやされるのにも飽きてな。どうせ政治利用だ。で、あいつは別荘に籠っているのか?…困った兄だ」
プブリウスはいつまでも子ども扱いするラエリウスにムッとして偉そうに言い放った。
ユリアは酷く混乱していた。先ほどのルシウスの妻子の話で胸が痛むのに加え、初めて会う彼の弟に子供のように横抱きされていることに恥ずかしさを覚え、Wパンチで真っ赤になっていた。
(そういえばあの時が最後かしら…母が亡くなったあの日…ベッドから出てこないわたくしを父がこんな風に抱き上げて下さいましたわ…父も悲しいはずなのに、笑わそうとしてくれましたわね…)
「あ、あの…降ろして頂けませんでしょうか…」
「お?真っ白だったのに、血色が良くなってきたな」
ユリアがおずおずと頼むと、プブリウスはユリアの顔を遠慮なく覗き込んで顔色を見た。そして、遠くから見ても思ったが、とても美しい娘であることを再確認した。
うねる美しい金髪は珍しく地毛のようだし、意思が強そうな口元、碧眼も異国風で宝石のように美しい。身体つきは華奢だが、出るところは出ている。
つまりユリアは合格点をもらった。
(あいつめ…こんなところに引っ込んでいると聞き可哀想に思って来たら、何度呼び出してもローマにも
プブリウスはひそかに怒りを燃やした。もちろん役得なので彼女を降ろすことはなかった。
「部屋はどこだ?」
プブリウスが玄関から上がってユリアに聞くと、屋敷に入ってすぐの正面の階段から落ちるように降りてきた男がユリアを腕から奪い取った。
ルシウスは彼女の感触を感じるどころではないくらい焦っていた。
「大丈夫か!気分が悪いのか?」
ユリアは昼間のルシウスを近くで見るのは初めてで、先ほどの混乱も忘れてがっちりした
事態を確信してにやにやしたラエリウスが代わりに、
「浜辺で気分を悪くしたんだ。しばらくゆっくり横にしてあげた方がいい」と答えた。ルシウスは返事もせずに踵を返してユリアの部屋に向かった。
プブリウスはけげんな顔をして遠ざかる兄の必死な後姿を見つめていた。
「あいつがあんな風に女性に執着してるとこなんて初めて見た…」とぼそりと隣で言う声がラエリウスにも聞こえた。
成り行きでルシウスに抱き抱えられながら、ユリアは部屋に運ばれた。彼の腕の中にすっぽり納まった彼女は、密かに深い安堵と身体の芯まで響く快感を味わっていた。このままぎゅっと彼に抱き着きたいくらいだ。
プブリウスに運ばれている時は緊張で身体をこわばらせていたのに、なぜか全く違って安心感がある。
そして、彼女は金で買われた者のくせに、主人に抱かれて言いようのないほどの快感を感じていることで強い背徳感に
(それに、奥様やお子までいらっしゃる方にこのようにしていただくのは…私が奴隷や娼婦ではないなら尚更許されない事ですわ…)
「ローマと環境が変わって気が張っていて、疲れが出たのだろう。医者を呼ぶか?」
ぶっきらぼうな言い方の底に深い優しさが
「ルシウス様っ…やはりわたくしをご主人様の奴隷にしていただけませんか?」
その必死で言う勢いにもビビったが、ユリアが今にも泣きそうでルシウスは後ずさった。そんな思いつめた様子の彼女は初めてだった。
「なっ、何を言って…」
「ラエリウス様からお聞きしました、ルシウス様には奥様とお子様がいらっしゃると。このように深くご親切にして頂くと世間にあらぬ疑いをかけられ、ルシウス様に災いが及ぶやもしれませぬ。しかし、わたくしが奴隷であれば…」
「ダメだっ!」と思わぬ大声をだしてしまい、ルシウスは自分の口を手で塞いだ。親友のラエリウスが悪意がないとはいえ彼女に真実を吹き込んだのに怒りつつ、彼女に要らぬ心労をかけてこのようになったことを後悔した。
「おまえを奴隷にはしない。俺はおまえを全く気に入っていないから、そのようなことを心配する必要もない。病気は迷惑だ、寝てろ」
ルシウスに強く言われたが、ユリアはどうしても納得できずにかねてからの疑問をぶつけた。手は自然と今はない水晶を探し求めていた。
「では、何故わたくしを買って下さったのですか?奴隷にする以外にあなた様に利点があるとは思えません。このように毎日幸せにして頂ける価値がわたくしにはないのです」
「うっ…」
(そっ、そんなわけはない!おまえがここにいるだけで俺の心が満たされて安定し、今まで感じたことのない幸福感を感じるのだ…!)
しかし、そう思っていることも言えずにルシウスが返答に困って黙り込むと、ユリアが追い打ちをかけるように畳みかけた。
「ルシウス様はわたくしに身代金の償いをさせて下さらないおつもりでしょうか…ちっぽけなわたくしにもプライドというものがあります。苦しさをおわかりいただけませんか?どうか…ルシウス様に少しでもお役に立つようにして頂けませんでしょうか…」
まだ青ざめているユリアはベッドに上半身を起こし、困惑して固まる彼の首に震える細い手を伸ばした。
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