第22話 チャンスと決意

(ルシウス様が参加していない!やはりわたくしになぞ興味がないのですね、なんでうぬぼれて…本当にバカですわ!)


 ユリアはこわばった笑顔を張り付けながら大きな歓声に包まれ盛り上がってきた剣闘トーナメントを観戦していたが、正直ルシウスが出ていないから全く興味がなかった。

 2回戦が終わって10人ほどになった競技者を目前にしたが、どれも同じ人に見えたし、家柄と金が目当てとしか感じられない男たちが自分に向ける仮面の奥の目が恐ろしかった。

 唯一、プブリウスだけは彼女自身にも少しは興味がありそうだが、野心家の彼だ、もし彼女がカエサル家の跡継ぎ娘でなかったならばどうだったかは考えるまでもない。ユリアもバカではないのだ。

 3、4回戦も楽に勝ち上がってきたプブリウスは、ユリアと目が合うとにかっと笑い、疲労を感じさせない足取りで彼女の前に立ち、彼女の前にひざまずいて柔らかい手をとりキスした。いかにもこの白狐はトラである自分のものだと言わんばかりのパフォーマンスに会場が湧く。


 ユリアは面の中でオロオロしながらも仕方ないので父親に頑張ってもらおうと期待を込めてガイウスを見た。するとガイウスはユリアの様子をずっと見ていたようで、目が合うと口を開いた。


「ユリア…私はカルタゴで捕まってほとほと思ったのだ。おまえをちゃんと結婚させておけばよかったとな。この中にはおまえの想い人である獣人はいないのだろう?しかし、勝者におまえを預けようと私は思っている。父には期待するな」


 結局は父が勝つのだと安堵していたユリアは背筋がぞわっとした。


「そ、そんな!お父様、お話が違います!!わたくしはあの方でないと結婚など…」

「ダメだ。この中にいない、という事は、あの男はおまえを手に入れたいと思っていないということだ。おまえは賢い娘だ、本当はわかっているのだろう?」


 父親に痛いところを突かれてユリアは口ごもった。


「うっ…お父様…わかってはいます。いますけれども、しかし…」


(そんなつもりでは…もうっ、ルシウス様をおびき寄せるなど、ラエリウス様の作戦は大失敗ではないですか!責任取ってラエリウス様にこのトーナメントの勝者と戦って絶対に優勝してもらいますからねっ!!どこにいらっしゃるのですかっ?!)


 悔し涙が出そうだったが、ユリアはここで泣くのも嫌でぐっと歯を喰いしばってラエリウスを探した。しかし彼女は背が低く、大男ばかりが目立つ人だらけの会場では見渡せない。なんなら高い木にでも登って探そうかと思ったが、主催者の奇抜な行為として明日のローマっ子の恰好の話題になること間違いない。


「…っ、困りましたわ」


 隣で焦ってキョロキョロしながら何度もため息をつく娘を見て、ガイウスがにやにやしている。そんな困った娘の姿も愛らしいと親馬鹿にも思っていた。




「おい、プブリウスとデキムスが勝ち残ってるぞ!いいのかよ、ルシウス?」


 ラエリウスは自分が立てた作戦が暗礁に乗り上げて心配で居ても立っても居られない様子だが、ルシウスは落ち着いていた。

 観察していたが、卑怯者のデキムスは毎回金で自分の対戦相手を買収しては勝っているようだ。反対に弟のプブリウスは危なげなく剣の力で勝ち上がってきた。身体には傷ひとつ負っていない。

 このままではプブリウスが優勝であろう。若いプブリウス相手ではさすがのガイウスも分が悪い。いつも一緒に戦ってきたのだ、背中を安心して預けられる弟の強さはわかっていた。


(プブリウスの方が力では上だろう。しかし、ガイウス様は歴戦の猛者だ。弟はここまで戦ってきた疲労もあるし、なんとか勝てるかもしれない…)


 しかし、ルシウスの希望的展望は一瞬で崩れ去った。

 闘技場にガイウスとデキムス、そしてプブリウスが入ると、ガイウスが手を挙げて歓声を止めた。


「聞け。私はカルタゴで捕虜となるほど老いた身だ、ここで醜い戦いをさらすのはよそうと思う。よって、この試合で勝利したものがこの家と娘を得るとするが、異議があるものはおらぬか?」


「なにっ!そ、そんな…」


 わあっと会場が沸くような歓声が起こる中、ルシウスは思わず大声で叫んだ。


(野心家のプブリウスはまだしも、よりにもよってあの卑怯者のデキムス…しかし彼女がどちらとも幸せになれるとは思えないぞ!いや、違うっ…)


 ルシウスは逸る心に静かに耳を傾けた。戦場でも動揺しない手が震えている。


(自分はどちらにもユリアを渡したくないのだ。俺の身体の細胞のすべてが彼女を望んでいる…)


 すると、ガイウスがおもむろに腰に付けた長剣を振りかぶってグンと投げた。一瞬のことにユリアはもちろん観客はどよめいた。剣は20mも先のルシウスが隠れている建物の太い柱に音を立てて深く突き刺さった。砕けた柱の小さなかけらが景気よく飛び散り、悲鳴が上がる。

 若くないとはいえ圧倒的な将軍の力を見せつけられて会場はシンとなった。デキムスは老兵と侮っていたのかびびって腰が抜けそうになっている。


「その剣を取って戦え!愛するローマのために戦った祖父の名をけがすな!!」


 会場に響き渡るガイウスの戦場の咆哮ほうこうを聴き、ルシウスは祖国の為に知将ハンニバルと幾度も戦った祖父、大スキピオを思い目が覚めた。身体の奥深くから闘争心が湧き上がる。ガイウスが自分にチャンスを与えたのだとはっきり感じていた。

 彼は柱から軽々と深く刺さった剣を抜いた。久しぶりに手に取るグラディウス《長剣》のずっしりとした安心感が身を包み、無意識にガイウスを上回る声で叫んでいた。


「ガイウス殿に代わり俺が戦う!ユリアは渡さぬ!!」

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