第15話 手を伸ばすと届きそうなのに…
(
ラエリウスと夕食をとりながらも、昼の失敗が何度もユリアの頭をよぎった。主人に伸ばした手は振り払われ、ユリアの希望は置き去りにされてしまった。
ルシウスの弟にも運んでもらったお礼を言いたかったのに、寝てる間に屋敷からいなくなっていた。
「…ねえ…コーネリア!大丈夫?」
「…っ、申し訳ございません!ぼんやりしておりました、何でしたでしょうか?」
ラエリウスに耳元で呼ばれて飛び上がった。自分の返事がないのでぐるりとそばまできて声をかけたと知り、恥ずかしさで顔が真っ赤になった。
「まだ調子悪いのかい?食が進んでないようだし…」
見ると手元の食事はほぼ残っている。ユリアは全く食欲がなかった。よく考えてみたら兄が亡くなった時でもご飯だけは食べていた。気を強く持たなければと気合を入れるように答えた。
「大丈夫です、すぐに食べます!」
「無理しないようにね…」と言いながら、ラエリウスは彼女の向かいの自分の席に戻った。
(しかしラエリウス様は不思議な人です。あまり男性っぽくないというか…このような男性が周りにいなかったから戸惑ってしいますわ。そういえばルシウス様は父や兄と同じ匂いがする…だから近くにいてとても安心するのかもしれません…)
「ラエリウス様は、何のお仕事をしていらっしゃるのかお聞きしていいですか?」
ユリアは今更ながら彼の仕事も聞いていないことに気が付いた。ずっとルシウスの事ばかり聞いていたのだ。ラエリウスは、やっと聞いてくれたと言わんばかりにニヤニヤして答えた。
「ああ、大学で政治と哲学を学んでいるんだ」
「まあ!それは素晴らしいですわ!!私の父は政治家でして…いえ、大学とはどのような場所なのでしょう?ギリシアから来た哲学者様などが教鞭をとられるのでしょうか?」
ラエリウスは彼女の父が政治家と聞いて一瞬眉をひそめたが、気を取り直してローマの大学の話をした。ユリアは初めて聞く話ばかりで、青い目を輝かせた。
「眠れませんわね…」
深夜に眠れないユリアはベッドからごそごそと起き出した。昼間にいつもより長く寝たので体力が余っている。その上、ルシウスの妻子の話を思い出してまた動揺していた。
(身体を動かしたい…)
彼女は壁に掛けてある
深夜の海辺は思った以上に寒い。歩きながら今日入った情報を整理し、自分のすべきことを考えた。
(…ルシウス様に妻子がいても、性的奉仕を断られても、わたくしはルシウス様に大金で買われた身なのです。彼の思惑がどこにあろうとも、わたくしの気持ちなど関係ありません。一番のわたくしの望みは側仕えにしてもらいご主人様をお世話することですが、もし彼の親族に不義を疑われたならば彼に不名誉が及ぶ前に…)
考えがまとまると、ユリアは少し落ち着いた。
「なぜあれほど動揺したのでしょう…わたくしは馬鹿ですね。これだからいつまでもご主人様に気に入ってもらえないのだわ…」
真っ黒な海を前にしてボソリと言ったら、後ろから急に声をかけられたので心臓が飛び出るかと思った。
「おい、ユリア。こんな夜中に何をしている?無用心だ、ここいらには海賊も出るのだぞ!」
珍しくトガでなく
「ルシウス様…わたくしが起こしてしまったのですね?申し訳ございません、眠れなくて散歩に参りました。その格好では寒いですわ、大事なお身体に
ユリアが肩を落として屋敷に帰ろうとしたのて、彼は思わず、
「じ、実は俺も眠れないのだ。散歩に付き合ってくれないか」と引き留めた。もう2週間も彼女を間近に見ていないので、もう少しだけそばに居たい気持ちを止められなかった。彼はしまったとすぐに後悔したがもう遅い。
「まぁ!わたくしもです。では明日からも以前のように夜の散歩、致しましょうね。約束です!!」
ユリアはうってかわって飛び上がらんばかりに顔を輝かせて嬉しそうに返事をした。昼にたくさん寝ておいて良かったとさえ思っている。
彼女がふわりと彼の太い左腕にしがみついた。
ラエリウスとユリアを結びつけるという自分の立てた計画は全くうまくいかず、しかし天にも昇る気持ちで彼女の様子をちらちらと盗み見た。彼は自分の身勝手さが不甲斐なくて仕方ないが、幸福感で頭がおかしくなりそうだ。
「くそっ、離したくなくなるではないかっ…」
「…?…あの、何かおっしゃいましたか?海の音でよく聞こえませんでした」
「何でもない」
「ラエリウス様とは古いお友達なのですね。もし良かったらルシウス様の小さな頃のお話などお伺いしても宜しいですか?」
「ふんっ、つまらないぞ」
「それはわたくしが決めますわ」
するとルシウスはびっくりしたようで立ち止まった。
「ははっ…それはそうだな」
ユリアは初めてルシウスの笑い声を聞いて脚の力が抜け、立っていられなくなり砂浜にぺたりと座り込んだ。それはまっすぐに彼女の心臓を貫いたのだ。
「ど、どうした?!大丈夫か?」とルシウスがおろおろしている。
「あ、いえ、あの…」
「なんだ?」と言いながらルシウスはユリアをひょいとひっぱって立たせたが、彼女は身体が震えて立っていられず彼にしがみついてもたれかかった。
「ルシウス様の笑ったお声が…その…
「大丈夫か、まだ本調子ではないな。やはり帰るぞ」
ユリアは自分の声は小さすぎて波の音にかき消されたのだろう、と思ってほっとした。結婚までしている立派な成人男性に向かってあまりに間の抜けたことを言ってしまったと後悔していたのだ。
しかし彼の耳にはばっちり恥ずかし気な彼女の息遣いまで聞こえており、ルシウスは嬉しさと恥ずかしさで憤死するかと思いながら彼女を抱えるように早足で屋敷に戻った。この時ほど獣化して聴覚が鋭くなっていることを良かったと思ったことはなかった。
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