心の雪解け

一粒の角砂糖

不安

「私と付き合ってください。」


会社の同僚との帰り道。俺は彼女に告白をされた。誰もいない歩道橋の上、車の音だけが俺らのことを下から冷やかしていた。


「よろこんで。」


「ただ私ちょっと依存体質なんですけど……いいですか……?」


「大丈夫。その分まで愛してあげるよ。」


こんな返事をしたことで彼女が少し狂ってしまったのかもしれない。


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あれから一ヶ月。

互いに実家暮らしだったものだから、勢いで同棲している。両方の親は俺たちの関係をとても喜んでいて、なおかつ意気投合してるものだから、なるべく邪魔はしたくは無い。だが彼女が少し重いのだ。少しでもそれが自分に負担がないと言ったら嘘になる。

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「ただいま。」


「おかえりなさい。」


黒いロングヘア。大人しめな印象を与える整った顔。顔とは控えめに心をくすぐるようなボディラインと高い身長。彼女だ。


「服とカバン。預かるよ。お風呂湧いてるよ。」


「ああ、いつもありがとうな。」


「えへへ……こちらこそ。」


会話を挟みながら、何故か玄関で服を全て脱がされる。いつもの事なのだが扉があるとはいえ恥ずかしい。

風呂場に行くだけなのに服とカバンを持って彼女が微笑みながら着いてくる。これも毎度のことなのだがやはり少し怖い。背後から何かを吸った音の後に「いい匂い……。すき……。」と聞こえる気がするがこれも毎度毎度の話なのでさほど気にしていない。

朝洗濯に出したはずの俺の下着が、彼女のバックにグチョグチョで入っているのが見えた。が、半月前からなのでこれも気にするのはやめている。


「はい。タオルをどうぞ。」


風呂に入り終わって、扉を開けると彼女が居る。これもいつもの事。タオルを差し出してそのあともずっと見てくる。

1人が好きな訳じゃないがここまで来ると一人の時間も惜しくなるものだ。


「げ。」


スマホを片手にとるとパスワードを短期間に大量に打ち込まれたのか暫く起動出来ない状態になっていた。これも毎回のことなのだが25桁以上あるパスワードを開けようとする執念は恐ろしい。


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「ごちそうさまでした。」


俺は手を合わせる。

豚のしょうが焼き、きゅうりの漬物に味噌汁。キャベツのサラダに白米。

バランスのとれた食事だ。

それを食べ終えて、いつも通りに感謝をする。


「……美味しかった?」


恐る恐る、首を横から出すようにして聞いてきた。彼女の料理はとても美味しい。


「うん。美味かったよ。」


「……そっか。えへへ。嬉しいな。」


素直に可愛い仕草をする彼女。

人差し指で伸びきっている髪の毛をクルクルと恥ずかしそうに巻いている。

目が笑っていて、顔をとてもあからめる。

初めてのレシピだったのだろうか。ともかく、彼女はご機嫌で皿を片付けていった。


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「ねぇ、あなた。」


「ん?」


一通り2人の家事を終えて一息着きながら、開けれるようになったスマホを触りながらソファに腰をかけていた時の事だった。


「好き。」


「知ってるよ。」


俺より背の高い彼女がソファにゴロンと寝っ転がって甘えるようにして膝に頭を乗せてくる。

座っているところに合わせているからか、彼女の身長が高いからか分からないがソファの端から足の3分の1くらいが飛び出てしまっている。

とてもお淑やかで包容力のある彼女が甘えてくるのは、会社に勤めている時には信じられなかったがこれも今では普通のことだ。

頭を撫でてしばらく経つと鼻水をすする音が聞こえるのも慣れた。


「……ううう。……好き。」


ぎゅっと太ももの当たりが長い腕で締め付けられる感覚がする。太ももの片側がとても柔らかい感触を押し付けられている。


「毎日毎日会社に行かないで。」


「……それは無理だ。」


無理な要求は無理だ。

そんなことをしたら、真面目にお金が無くなる。願うことならこの子と一緒にいて上げたいのは山々だが、自分の精神も持たない。


「だって私君が外にいる間何があるか……怖いよ……。」


寝巻きのズボンを突き破って太ももに水滴が落ちた気がする。容姿に似合わず泣きながら甘える姿は俺だけしか見れない特別な物だ。


「あなたを憎んでる怖い人が近くにいたらとか、取られちゃうとか、危険って考えただけでも怖くて怖くてたまらないの。ずっとずっと私のそばにいてよ。」


憎んでる人や怖い人はともかく取られるという点についてはこの子のライバルが未だに会社にいるからそういう風に怖がっているんだろう。


「休みの日はずっと居てやってるじゃないか……大丈夫だよ。」


「休みだけじゃやだ。365日24時間ずっと一緒がいいもん……。」


こうなると話を聞かない。

昔にトラウマを抱えてしまっている彼女はこうしておれのことを心配してばかりいる。


「お前が昔酷いことされたのは知ってるけど俺はしないよ。」


「私……私だっていつも……体目当てでみんな私の事見て……みんな重いって悪口言うんだもん……。」


悲しそうに顔を上げてこっちを見る彼女。

泣きじゃくると精神年齢が下がってしまうのかいつもから一転して幼いような印象が伺える。

愛されて愛し返して捨てられて。愛されて愛し返して捨てられて。愛されて愛し返して捨てられて。そんなことを繰り返して彼女は人のことを手放すのが怖くなると共に疑心暗鬼になってしまったのだろう。


「どうして信じてくれないんだ。俺はお前が大切だと思ってるからこうして帰ってくるじゃないか。」


「信じてないわけじゃないの。好きすぎてなにも見えないの。君の全部が愛しくて。君がどこかに行くのが怖くて。私もう捨てられたくなくて……。」


彼女の異様な愛情も、執着も。

全部がきっとこの世の中の不条理によって生まれてしまったんだろう。

一緒にいないと安心できない。

そんな心になってしまった彼女を支えてあげられるのは俺しかいない。


「捨てないよ。約束する。」


何度目の約束だろう。

捨てないと言っているのに信じてくれないのも少し嫌気がさすのだが、不安な気持ちは分かる。

俺はただ彼女のこの体質を治してあげたい。いちばん辛いのは俺じゃないから。


「お前が寂しいのも俺のこと好きでいてくれてるのも知ってるよ。大丈夫。料理も最初から上手じゃなかったのも知ってるし。スーツとかもすぐ破けたとこ治ったりしてるのも全部やってくれてるのも知ってるし。お弁当もその日の朝に作り始めてくれるから忙しいのにリクエストさせてくれるし。栄養バランス考えたりしてるのも全部知ってる。」


「うううう……閉じ込めちゃいたい。食べちゃいたいくらい……好き。」


顔を真っ赤にして体の全体重をかけて抱きついてくる。顔一つ分身長が違うからか胸が顔に直に当たる。少し苦しいが当の本人が幸せそうだ。

発言が少し物騒なのだが両方ともやられている。指の皮を捲られて食べられたり、腕を舐められたり。それだけにとどまらず1回仕事に行こうとしたところを手錠で拘束されてそのまま部屋で抱きつかれてたり。

彼女に罪は無いんだろう。これが異常だとしてもそれぞれ愛の形なわけだ。


「俺はお前のこと好きだよ。でもさ。そういうことやめれたら素敵だと思う。」


「……私のこと嫌いなの?重い……の?」


「嫌いじゃない。お前のことは好き。だけどな。俺はお前のこと信じてるけどお前は俺の事心配しすぎなんだ。分かる?」


「……うん。」


「心配しなくても、俺はお前の元に帰ってくるし、こうしてずっと愛してる。お前が昔のことでこうなっちゃったのも知ってる。努力も可愛いところも知ってる。……それでも昔のやつらみたいに心配されるのか?」


「違うの。そうじゃないの。君は大大大大大大大好きなの。言葉じゃ足りないの。心配なのもそうだけど、私だけがいいの。仕事なんか嫌。私だけ。私だけで幸せになって。」


ジリジリと顔を近づけてくる。

それは怒りや不安じゃなくて悲しみとかそんなようなものを彼女から感じる。


「今はまだ待ってくれ。大丈夫。仕事してお金稼いで、遊んで暮らせるようになったら2人でずっといよう。お金が無くなったら大変だ。……2人で幸せになるために仕事してるんだよ。」


俺は彼女を抱きしめてそう言った。


「わかった……。でも休みの日はどっか一緒に行ったり、ずっっっと家でギューってしてよ。」


大粒の涙をポロポロと流しながら、抱き返される。俺の力より大きく強いからか体勢が崩れて横になる。彼女が大きいのもあるし俺が男なのもあるが転げ落ちてしまった。


「わかった。……とりあえずもう寝るか。明日は休みだしギューってして寝よう。」


「うん。いっぱい好き好きってするの。」


2人で洗面所に行って2人で歯磨きをする。

2人で同じベッドに入って、同じ布団で寝る。


彼女の心配や不安は解けただろうか。

無神経な人によってボロボロになってしまった彼女の心はこれから俺が治してあげられるのだろうか。


「すき。すき。すーき。大好き。すき。すき。大大大大大大大好き。すきすき。すきだよ。」


抱きしめられながらそう言われる。

今の彼女はとても幸せそうな顔をしている。

またきっと彼女は不安な気持ちになるかもしれない。怖いと思ってしまうかもしれない。けどこの気持ちを裏切ることは出来ない。少しずつ狂ってしまった彼女を元に戻してあげたい。いつか心から笑えるように。


「俺もだ。」

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心の雪解け 一粒の角砂糖 @kasyuluta

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