自称百合を極めしチー牛顔子供部屋おじさん、意識だけの存在となって百合の間に挟まる男を断罪する

藤屋順一

百合の間に挟まる男は絶対に許されない

自分の存在を消したい。ずっとそう思ってきた。


キラ仕様のどっきりマンシールがびっしり貼られた柱に囲まれ、小学校へ入学したときに買い与えられた学習机が鎮座する子供部屋の隅のベッドに寝そべり、四方の壁に貼られたポスターに描かれた何人もの美少女に見守られながら、今日も俺は平日の昼間からタブレットに指を滑らせてSNSをチェックし、電子書籍アプリを起動し、小説投稿サイトを巡回し、ソシャゲの日課をこなし、新たな百合を探し出して鑑賞する。

そうやって最高の百合に出会った時の歓び、興奮、高揚感は言葉にしがたく、思わず「んほぉぉ!」だとか「ぶひぃぃぃ!」などと歓喜の叫び声を上げてしまうのである。


百合というのはその花の佇まいと同様に、美しく、純潔で、尊くなければならない。

これは絶対の掟だ。


美少女同士の友情、絆、淡く儚い恋心が高い純度で結晶し花開く姿こそが百合なのである。従って、そこに性的なものを求められたり、劣情を煽ったり、まして男の影がちらついたりしたりなどは決して許されるものではない。それはレズものであり、ただのエロだ。


ためらいがちに指を絡めて繋がれる二人の手に、白く細い首筋に添えられる指先に、今にも触れてしまいそうな小さくみずみずしい唇に……


百合を鑑賞していると俺ほどまでに百合道を極めたものであっても突如ムラムラとしたものが湧き上がってくることがあるが、そういうときは心を落ち着けて百合鑑賞を中断してレズものを開き、ティッシュを二、三枚手に取って致した後、賢者タイムのうちに後悔と罪悪感に苛まれながら、再び百合鑑賞に戻るのが正しい作法だ。


いや、正しい作法だと思っていたのだ。あの日まで……


ある日、電子の海に最高の百合を発見したときのことだ、そのあまりの美しさに「ぶひぃい!」と叫びながら心の奥底に湧き上がってくるどす黒いものに気づき、慌ててタブレットの画面を切り替えていつもお世話になっているエロ動画で致した後、賢者タイムに入って突如悟った。


観測者の存在が及ぼす観測対象への影響、すなわち『シュレーディンガーの百合』についてだ。


前述のとおり、百合とは純潔でなければならない、それと同時に少女の間に性的な愛のつながりを求めあう関係が必須になる。

百合とは純潔でありながら性的でもある、相反する二つの要素が高い次元で重なり合い共存する存在でありるということだ。


もしも他人が百合を見て、その関係を純潔なものと捉えればそれは友情の延長線上にあり、性的なものと捉えればただのエロとなる。つまり、誰かが固く封印された扉を開き、そこに秘められた百合を観測した瞬間にその均衡が一気に崩れ去り、それは百合ではなくなってしまう。

猫の場合は観測することで生か死かの二値の情報を確定することに意味を持つものであるが、百合の場合は二値が重なり合っている状態こそに意味を持ち、観測することによってどちらかを確定させてしまってはならないのだ。


俺は愕然とした。


高いレベルで百合を極めた俺でさえ、常にその相反する二つを共存させた状態で観測できているとは言い難く、百合を百合として見られていない可能性が微粒子レベルで存在していた。

高いレベルで百合を極めた俺でさえ、だ。


そして気づいた。


自分の存在を無にしなければ、自分の存在を完全に消してしまわなければ真の百合には辿り着けないのだと。

それからの俺は電子の海に百合を求めて彷徨う、ヒトの形をしたヒトならざるモノ『百合的ゾンビ』と化したのである。


極上の百合を見ても、それは俺が見ることによって百合ではなくなってしまているのではないか、そんな恐怖を胸に秘め罪悪感と絶望感に苛まれながら、自分の存在を消してしまいたいと、祈りにも似た願望を抱いて百合鑑賞を続けていた日のことだ、腹が減った俺はチーズ牛丼を食いに行くついでにネットマネーを購入しようと母から金をせびり、牛丼屋へ向かっていた。


その時だった。


道路を横切る野良猫にトラックが猛スピードで迫っているではないか。


悠々と車道を歩く野良猫、アクセルを緩めることなく走るトラック。

迷っている暇はなかった。これは千載一遇のチャンスだ。


俺は飛び出した。野良猫を救うために。トラックにひかれて死ぬために。

確信なんてなかった。恐怖がなかったと言えば嘘になる。

手に触れた野良猫のもふもふ感、直後の衝撃、俺の意識はそこで途切れた。


目を開くとそこは真っ白な部屋だった。

床も、壁も、天井も、真っ白で継ぎ目なく広さもわからない。もしかしたら部屋ですらないのかもしれない。ただただ真っ白な場所に俺は立っていた。

それを認識した瞬間、光の泡のようなものが宙に集まり、形を作り、はじけた。


「おめでとうございます。貴方は死にました」


声とともに光の中に現れたのは古代ギリシャみたいな衣装をまとった女神だった。


俺は歓喜した。賭けに勝ったのだ。


しかし、この上ない喜びに震えているとき、ある不安が頭をよぎった。

俺のパソコンは、HDDに収集した他人に見られてはならないアレコレはどうしようかと、誰しもが思い悩むことだ。

死んだ今になって考えることでもないかも知れないが、生前からの懸念事項だった。


その後、俺の意向を無視してチート能力だとか異世界転生だとかをやたら推してくる駄女神としょうもない問答を繰り返した末に、俺は最高の条件を引き出して今に至るのである。


すなわち、どこにでもいてどこにもいない、自身の行動が現実世界に何の影響も及ぼさない五感と意識だけの存在だ。それだけではない。影響を及ぼさないのは現実世界だけで電子の世界には自由に介入できる。

これは、もはや神にも近い存在といっても過言ではないだろう。

思う存分に百合を愛し、百合を守ることができる百合の神。百合神、それが今の俺だ。


真っ白な部屋から現実世界へと戻った俺は、かつて俺だった血まみれで道路に横たわる中年男の身体を見下ろし、ポケットの中のスマホに意識をやった。


その瞬間。視界に見慣れたスマホの画面が浮かび上がり、意識するだけでその操作ができた。しかも容量も通信速度も、課金額までもが無制限……!

素晴らしい。俺は駄女神に感謝した。

それから、かつての俺の棲み処である子供部屋に意識を飛ばし、タブレットやPCのデータをすべて意識下のスマホに集約し、現実世界のデータをすべて消去した。

そうして俺は、憂うことなく新たな神生じんせいをスタートさせたのである。


さて、というわけで俺は近所にある聖白百合女学園にやってきた。

聖白百合学園はお察しのとおりミッション系の名門お嬢様学校で、人間の頃の俺なら半径1キロメートルに近づくだけで事案になるような、そんな聖域である。


だが、今の俺にはそんなことは関係ない。なぜなら実体を持たない存在だからだ。

俺が何を見聞きし、何を考え、どう振る舞おうが、現実世界には一切影響を及ぼさない。

思う存分に美しい百合を愛でようと決して汚すことはない。『シュレーディンガーの百合』のことわりを超越した理想の観測者となった俺はその使命と責任と義務を果たすべくここに居るのだ。


では、その固く閉ざされた魅惑の花園に意識を飛ばすとしよう。


……


んほおおぉぉぉぉっ!

なんと美しいっ……! こんな楽園がこの世にあったとはっ!


がさつなクラスメイトの寝癖を直してあげる世話焼き委員長。尊い!

不意打ちで後ろから胸を揉む貧乳ちゃんの挨拶。尊い!

昼食のお弁当をお互いに「あーん」して食べさせ合う光景。尊い!

肩を寄せ合って一つのイヤホンをシェアする二人。尊い!

運動部の先輩にドキドキしながらお気に入りの柔軟剤で洗濯したタオルを渡す後輩ちゃん。尊い!

顔を真っ赤にしながら友達から生理用品を借りる小動物系女子。尊い!

幼馴染に急接近する女の子に嫉妬しちゃう三角関係。尊い!

同性への恋心を認められなくてつい冷たくあたっちゃうすれ違い。尊い!


あぁ……

あの、ネットのキッズ共にこどおじだとかチー牛などと煽られながら百合を求め無為な日々を過ごしていた俺が、今はなんの制限もなく、何一つの憂いもなく、思う存分に百合を堪能できるようになっている……

なんて素晴らしいのだろう……


……!


その時、感慨にふけっている俺に戦慄が走る!

これは、男の気配だっ……!


慌てて気配のする場所に意識を向けると文化系の部室であろう部屋に二人きりの男女。

少女はいかにもといった真面目そうなメガネにお下げの文学少女。


問題の男の方は……


ボサボサの髪に覇気のない表情、よれよれスーツの猫背がちで気弱そうな男。歳は二十代後半くらいだろうがもっと老けて見える。女生徒たちからいつも「ダサい」だの「野暮ったい」だのとからかわれながらもなんだかんだで慕われる国語教師。そんな風貌だ。


そして、文学少女は熱っぽい眼差しで男を見つめ、男は頭を掻きながら真剣な表情でそれを受け止める。


くっ…… この心が浄化されるようなまばゆい光景はっ……!?


本来ならば、本来ならばだ、この聖域に男の影があることは絶対に許されるべきではない……

だが、しかし、文学少女にとってこれは甘くほろ苦い貴重な青春の一ページであることは確かだ。

……男よ、ここは文学少女に免じて許してやろう。


その後も校内で発生するいくつかの百合イベントを堪能しているうちに下校時刻が近づき、ある教室に強い百合の気配を感じた。


校舎に残る女生徒もほとんど居なくなって静寂だけが支配する教室、黄昏空を焦がす夕日が差し込む窓辺に佇み、見つめ合う二人の少女がそこに居た。


教室の中まで紅に染める西日が隠す上気した頬、息遣いや鼓動までも感じ取れる距離、潤んだ瞳は合わせ鏡のようにお互いの表情を写し、片方の手はためらいがちにその細い指を絡め合いながらも、もう片方の手は相手の腰に回してそっと引き寄せる。

そして、リップで艶めく小さな二つの唇がゆっくりと近づき……


……!!


最高のシチュエーションで繰り広げられる美しい光景に忍び寄る怪しい気配。


それは、吐き気を催すほど不吉で忌々しい、聖域を土足で踏み荒らす邪悪。

それは、細心の注意を払い、恐る恐る踏み出した一歩の先にある地雷。

それは、幾人もの同士の心を打ち砕き絶望の海に沈めた確かな悪意。


教室の引き戸の細く空いた隙間から、そのクソッタレな気配が漏れ出している。


廊下に意識をやると、男が居た。しかも小洒落たスーツを着こなす細身のイケメン、自信と野心に満ちた笑みはさぞや女性徒たちからモテることであろう俺が最も嫌う人種の一つだ。


そいつがあろうことか引き戸の隙間からスマホのレンズを教室内に向け薄ら笑いを浮かべているではないか!


これは…… 何度も、何度も何度も何度も何度も何度も…… 悪夢に見たシチュエーション。

純真な二人の少女の決定的な瞬間を写真に収め、その証拠をネタに脅してその間に挟まろうとする悪魔の計画……!


薄汚い欲望のままに美しく、尊く、純潔で、聖なるものを穢し蹂躙しようとする、まさしく全ての人類の敵!

存在そのものが決して許されざる大罪!

死を以てしても贖罪には程遠く、地獄すらも生ぬるい!


滅せよ! 粛清せよ! 断罪せよ!


俺の心が怒りに沸き立つ。


だが、今の俺は実体を持たない意識だけの存在……


くそっ! 何が百合神だ、憎い相手を呪い殺すことすらできないんじゃ怨霊以下じゃないかっ!


目の前でおぞましい悪魔の計画が進行しているというのに、目の前で至高の百合が蹂躙されようとしているのに、目の前で純情可憐な二人の少女が生きる価値もないド畜生の魔の手にかかろうとしているのに……


俺は…… 俺はっ……!


あぁっ! もう時間がない、二人の唇が今にも触れそうになっているっ!

何かっ、何かないかっ!? 今の俺にできることはっ……!


引き戸の隙間から教室の中へとレンズを向けられる奴のスマホを見つめ、俺は自分の無力さと無責任な駄女神を恨んだ。


もう、俺には何もできないのか……


そう思った瞬間、夕焼けに染まる教室を背景に二人の少女が見つめ合う美しい光景が視界に浮かんだ。


これは…… 俺の視界じゃない。 ……奴のスマホの画面だ!


そうだ、俺が駄女神に飲ませた条件は現実世界に直接影響を及ぼせない代わりに電子の世界に自由に介入できる能力を得ること!


廊下に潜むあの腐れ外道に意識をやると、自撮りモードにしてやったスマホの画面にマヌケ面を晒して首を傾げて慌てふためいている。


くくく……

良い顔するじゃねぇか。

それじゃあここらで、はいチーズ♡


カシャッ♪


無音の教室にスマホのシャッター音が響き、二人は何事もなかったかのようにぱっと離れて音のした方に注意を向ける。

果たしてそこには二人を盗撮しようとする教師の姿。


「……先生、ここで何をしていらっしゃるのですか?」


背の高い方の女生徒が汚らわしいものを見下すような冷たい視線を送り、丁寧ながらに感情のこもらない言葉をクズ教師に投げかける。


「あっ…… ああ、そうだ、もう下校の時間だから残っている生徒はいないか校舎内の見回りをしていたんだ」


「まぁ、そうでしたの。シャッター音がしたものですから、私たちが演劇の練習をしている光景をお撮りになられたのかと…… そうよね?」

「あ…… はい、お姉さまっ! 私たち、今度のクリスマス会で演じる劇の練習をしてたんです! 先生、先生はなぜスマホをこちらに向けられていたんですか?」


背の低い方の、おそらく下級生であろう女生徒が、お姉さまと呼んだ女生徒の機転を利かせた問いかけに明るく答え、クズ教師に追い打ちをかける。


「あはは…… ドアに珍しい虫が止まってたから、ちょっと撮っておこうと思ってね……」

「ええっ!? 珍しい虫ってどんな虫だったんですか!? 写真、撮られたんですよね?」

「……うっ、それは…… 残念ながら逃げられてしまってね。あ~、どこへ行ったかな~」

「え~! なんだ、がっかり……」

「そうですね。私も興味ありましたのに……」


くくく…… さっきまでずいぶん楽しそうだったのに、情けない奴だなぁ。


「そっ、それより二人とも、もう下校時刻だから気をつけて帰るんだぞ」

「はい、遅くまでご苦労様です。お気遣いに感謝いたしますわ。それでは、悪い虫が近寄らないうちに帰ることにいたします。ご機嫌よう、先生」

「先生、ご機嫌よう! 悪い虫がつかないように急いで帰らなくっちゃ!」

「ああ、さようなら……」


なんだ、楽しいところなのに、これで終わりか…… 


「一つ、よろしいですか、先生? ここは格式ある女学園です。たとえ教師であろうと殿方が不審な行動をとられることは許されません。この件は事案として生徒会に報告いたしますので、そのおつもりで」

「はっ!? ちょっ、ちょっと待ちたまえ……!」

「それ以上私たちに近づかないでくださいませ」

「行きましょう。お姉さま!」

「ぐっ……!」


あははははははは……!

ざまぁみろ! 全く、良い気味だぜ!


下級生ちゃんはお姉さまの手を引いて少し楽しそうに廊下を速足で抜け、階段を下りる。夕日を透かして輝くステンドグラスが色とりどりの影を落とす階段の踊り場、二人の少女はあたりに誰もいないことを確認して安堵の笑みを浮かべて見つめ合い、幸せなキスを交わして終了……


なんと美しく、尊い幕引きだろう。


……だが、この件はここで終わりではない。


俺は百合の間に挟まる男を絶対に許さない。


もう一度言おう。


俺は百合の間に挟まる男を絶対に許さない。


そう。絶対に、だ。

百合の間に挟まる男がこの程度のざまぁで許されて良いのだろうか?


否! 断じて否だ!


教室の前の廊下に呆然と立ち尽くし、スマホに写る自撮りのマヌケ面を舌打ちしながら削除しようとするクズ教師。


「くそっ! どうなってるんだっ!?」


くくく…… 馬鹿め。そのマヌケ面は永久にお前のスマホの待ち受け画面になるんだよ。


もう一つおまけだ。


【拡散希望】

こちらレイプ願望がありながら世間体を気にしていつも自分の中でツッパネてしまうことに悩むオスガキ隠れビッチです。

そんな意気地無しでナマイキな俺を拉致ってメス堕ちするまで徹底的ににワカラセてくれる逞しい兄貴達を募集しています。複数可。

GPS情報を公開していますので二四時間年中無休でいつでも好きなときに襲撃してください!!


と……


それじゃ、断罪さようならだ。百合の間に挟まる男よ。


送信。


……


次の日、あのクズ教師は女学園に現れなかった。

今頃きっと薔薇の間に挟まれて徹底的にワカラセられてメス堕ちしている頃だろう。


さて、そんなことはもう忘れて今日も百合を鑑賞しに行くとしようか。


今の俺には守るべきものがある。

目の前で繰り広げられる美しく、純潔で、尊い光景に心を満たされながら、俺は決意を新たにした。

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自称百合を極めしチー牛顔子供部屋おじさん、意識だけの存在となって百合の間に挟まる男を断罪する 藤屋順一 @TouyaJunichi

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