二 青嶺
それだけでなく、品物を渡す時には必ず他愛もない話で引き留められた。
彼が話をするのに加え、葦火について根掘り葉掘り聞いてくるので最初は戸惑った。徐々に当惑が消える頃には、葦火の方からも青嶺に尋ねたいことが増えていったけれど。
一度だけ、青嶺が葦火を
「葦火は月読の
普段から何かと葦火の行動に口うるさい彼のことだったので、何か言われるのは必然だった。何とも言えず、葦火は口を噤んだ。それまでは兄の言葉に口答えしたり、だんまりを決め込んだことなど、なかったのだけれど。
始末の悪いことに、赤松は夕餉の席で、家族皆の前でもそれを言った。そして言い足した。
「道理で、遣いに行くとなかなか帰ってこないわけだよな」
「好かれてなんかない」
本当にそう思ったので、葦火は言い返した。長兄が問うような目線を向けてくる。
「いつも、あの人から品物を渡されるというだけ。早く帰ろうと思っても、四方山話をして帰してくれないものだから」
眉一つ動かさない父の傍らで、母が呆れたようにため息をついた。兄が慎重に尋ねた。
「どうして彼が
「話がしたいからじゃないの?」
問い返すと、呆れと驚きがないまぜになった沈黙が降りた。周りの反応の意味が分からず戸惑った葦火は、取り繕おうとさらに言った。
「それか、
事実だった。伽羅国から
色鮮やかな絹に金糸銀糸の刺繍を施した衣をまとい、聞いたこともない言葉を話す使節たち。
母が深いため息をついた。
「いくら月読の嗣と言っても、毎回用もなく四方山話をする暇は、普通ないんだよ。わざわざ話すのは、お前が気になるからさ」
そういう母の胸元で、翠の
「許婚がいるのに、葦火をからかうなんて失礼な話だな」
長兄がそれとなく言った。
葦火がぱっと振り返ると、彼は少しだけ目を瞠ってみせた。
「長の嗣なんだ、許婚くらいいるさ。同じ原辻にいる、月読の娘だよ」
そう、とだけ葦火は呟いた。青嶺と自分はただの友達なのだと、親兄弟にあれこれ言いわけを考えていたのに、それらは跡形もなく消え去ってしまった。突如必要を失った言葉たちは、妙に空虚な心地のする胸の中で宙に浮いた。
何も心配する必要はなかったんじゃないか。青嶺が葦火を好きになるはずがないのだから。
今までひそかに悩んできたことが、急に意味を見失った。青嶺が、御雷の娘である自分を受け容れてくれるか、家族が青嶺を気に入ってくれるか。自分が月読の民にまじって暮らせるかどうか。
葛藤がなくなったはずなのに、葦火の胸のうちは妙に寒くなった。まだ夏の残滓がある夜なのに、冷たい風が身体のなかに巣食ったようだ。同時に強い当惑がせり上がってくる。どうして、と葦火の知らない誰かが頭の中で叫んでいた。止めようとしても、その声は何度も同じせりふを繰り返す。
突然言葉を失い、悄然とした葦火を、誰も追及はしなかった。それとなく切り替わった話題について皆が喋り始め、月読の嗣のことはもう触れられなかった。
どうして、どうして、と内面の叫びを聞きながら、葦火は深いため息をついた。
どうして私は、青嶺と近しくなれるなどと思ったりしたのだろう。
原辻に行くのは今日が最後だ、と赤松が言った。
まだ仄かに火の気配を宿した大刀を受け取って、葦火は頷いた。青嶺に別れを告げて来いと言う意味なのは、言われなくてもわかった。汗ばむような夏の陽気の中、大刀はくるまれた布の中でなお熱を失わなかった。
いつものように青嶺は、四方山話の後に注文の品を渡した。弟のものだという環頭の大刀だった。
「ありがとう。鍛え終わったら、兄が届けに来るわ」
なるべくさりげなく言ったつもりだったが、目鼻の利く青嶺はすぐ異変を感じ取った。
「どうして葦火が来ない」
十五の青嶺は、葦火ににじり寄るようにして尋ねた。年は下でも背の高い彼にたじろぎながら、葦火は答えた。
「もう原辻には来られないの」
「答えになっていない」
できれば普通の顔をして最後の話を終えたかったのに、青嶺の剣幕がそれを阻んだ。にわかに目頭が熱くなって、咄嗟に唇を噛んだ。
「貴方ともう、会わない方が良いから」
「なぜだ。誰に言われた」
目を伏せても、青嶺は葦火の顔を覗き込むようにして訊いた。
「貴方には、許婚がいるから」
青嶺は言葉を失って、唇を引き結んだ。知らないはずのない事実だから、当然のことだった。しかし、彼の動揺を見て取ると一層、葦火のやるせなさは募った。こらえきれなくなった涙が頬を伝った。
「ひどい。知っていて、からかったなんて」
見る間に青嶺は動揺した。先ほどとは比べ物にならなかった。
「違う――傷つけるつもりは、なかった」
慌てる彼に、葦火は声にならない怒りのこもった目を向けた。
「そうね。からかっただけだもの」
電が閃くような憤りに戸惑いつつ、青嶺は反駁した。
「でも俺は本当に、葦火が好きなんだ。許嫁より、誰より」
涙を零しながら、葦火は黙っていた。それが本当なら誰より信じたかった。
「だからと言って、どうにもならない」
「どうにかしたいんだ。父君に掛け合ってみる」
それがどれだけ望みのないことなのか、葦火にもわかる。力なくかぶりを振ったが、青嶺はにわかに葦火の手を取って言った。
「待っていてくれ」
食い入るように自分を見つめる目に、嘘はなかった。多分青嶺は、嘘で自身を演じるような狡さはない。長い間、彼と会話を重ねてきてそう思った。
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