月読 鳴雷(つくよみ なるかみ)
丹寧
一 原辻
海にそびえる
洲は神代、父神と母神によって
月読の勾玉を
広い割には耕せる土地が少なく、森や山も浅い伊伎では、農耕や狩猟採集で人を養うには限度があった。漁の場にもそれほど恵まれていない。
代わりに命綱となったのは、交易だ。
洲の都の
一方、洲の中ほどの
御雷の神が、伊伎に己が末裔を降らせたのは誰でも納得がいく。夏の夕立、秋の野分の時だけでなく、冬にもひときわ激しい雷が降り注ぐからだ。冬の稲妻は疎らなだけに一撃の威力が強く、深夜の闇でも海の彼方までを照らし出すほどだった。
月読の一族が生きるよすがに潮と船を選んだように、
伊伎には黒鉄の石は出なかったけれど、伽羅国から仕入れた黒鉄の品々を打ち直すことはできた。炉を焚き、
香良加美の長には子女があり、末娘は十七だった。名を
葦火は、美人とは言えないが大きな目に愛嬌のある顔をしていた。
年の離れた長兄や長姉は、葦火をほとんど相手にしなかった。何かと手加減してやらねばならない彼女より、年の近い相手と遊ぶ方が楽しかったからだ。色恋に興味の出る年頃になってからは、なおさらそうだった。
だから葦火は、家の仕事から逃れようとする兄姉のかわりに、よく原辻へ遣いに行った。一応は長の娘なのだが、侍従を伴ったりもせず、一人だった。月読の館に通されるたびに葦火は広さに恐縮した。
父や兄はよく、金打がどれだけ尊い仕事かを熱っぽく語った。皆、黒鉄でできたものを当たり前のように使ったり商ったりするが、数多の火と、何人もの工の手を経てようやく出来上がる物なのだと。人の作ったものを右から左へ、左から右へ商うなど、誰にでもできることなのだと。
それにしては、交易の元締めをする月読の長の館だけが、これほど広いのは奇妙なことだ。商いが誰にでもできることなら、皆が同じくらい広い館を持てるはずなのに。
兄が鍛え直した
「よく此処に来るのだな」
なだらかな斜面になっている館の庭に立ち、彼は言った。時々館で見かける顔だった。色紐を編み込んだ
肩幅が広く背も高いが、顔つきから年下だろう。あるいは、色白なために若く見えるだけだろうか。月読の者たちは、皆昼間の月のように肌が白い。
「遣いです。父や兄の打ったものを届けに」
月読の者と御雷の者は、積極的に争いもしないが、交わりもしない。急に声をかけられたことに少し戸惑いながら、葦火は言った。
一瞬何事か考えてから、彼は言った。
「待っていろ」
言われた通り待っていると、彼は古く短い刀子を持ってきた。
「これも頼む。なるべく早くにな」
相手が妙に顰め面になっている気がして、葦火は首を傾げた。何かこの刀子について、嫌な思いでもしたのだろうか。
「大切なものですか?」
「ああ。だから早くに頼む」
はい、と頷いて葦火は刀子を懐にしまった。何ということのないその動きを、彼が隅々まで見ている視線を感じて、少し居心地が悪かった。
「貴方様は」
「俺は
「葦火」
言ってから葦火は、彼の肌の方はまるで、波頭に咲く白い花のようだと思った。眩い肌を矯めつ眇めつしていると、青嶺の色白な顔にほんのりと朱が差した。
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