月読 鳴雷(つくよみ なるかみ)

丹寧

一 原辻

 伊伎洲いきのしまは、天之比登都柱あめのひとつばしらとも呼ばれる。


 海にそびえる洲影しまかげはその名の通り、天を突く柱のようだ。しまを取り囲む八つの岩柱の中でも、ひときわ高い丈を誇る。

 洲は神代、父神と母神によって滄海そうかいに産み落とされた時は、生きて海を漂っていたという。伊伎いきの名はそこからついた。


 大八洲おおやしまの他の洲々と同じく、伊伎にも高天原たかまがはらの神の末裔が降った。なかでも目立つのは月読つくよみの神の裔たちである。

 月読の勾玉を神宝かむたからとし、潮の流れを読む氏族は、伊伎にあって絶大な力を持った。


 広い割には耕せる土地が少なく、森や山も浅い伊伎では、農耕や狩猟採集で人を養うには限度があった。漁の場にもそれほど恵まれていない。

 代わりに命綱となったのは、交易だ。伽羅国からくにから對馬つしまを経由してくる船を、筑紫洲ちくしのしま秋津洲あきつのしまに送り出す。その中継ぎをすることで、人を養えるだけの富を確保することができた。


 洲の都の原辻はるのつじには、月読の氏族の館が次々に建った。洲の内海うちうみに注ぐ川沿いの原辻は、船さえあれば簡単に港と行き来ができる。月読の者たちが湊の旅人たちを迎えるのに、これ以上ないほど適した土地だった。


 一方、洲の中ほどの香良加美からかみには、いかずちの一族が根付いていた。

 御雷の神が、伊伎に己が末裔を降らせたのは誰でも納得がいく。夏の夕立、秋の野分の時だけでなく、冬にもひときわ激しい雷が降り注ぐからだ。冬の稲妻は疎らなだけに一撃の威力が強く、深夜の闇でも海の彼方までを照らし出すほどだった。


 月読の一族が生きるよすがに潮と船を選んだように、御雷みかずちの裔たちも生きる術を探した。辿り着いたのは黒鉄くろがねだった。

 伊伎には黒鉄の石は出なかったけれど、伽羅国から仕入れた黒鉄の品々を打ち直すことはできた。炉を焚き、金打かなうちをする役割は、月読の氏族と同じく血の気の多い御雷の民には、よく合っていた。


 香良加美の長には子女があり、末娘は十七だった。名を葦火あしびという。

 葦火は、美人とは言えないが大きな目に愛嬌のある顔をしていた。射干玉ぬばたまのように黒い髪も、褐色に焼けた肌も健やかだ。はっと振り返る顔や、驚いた時の目など、ふとした時に、強い生命力の片鱗が閃く。まるで、熱い真金まかねを打つときに散る火花のようだった。


 年の離れた長兄や長姉は、葦火をほとんど相手にしなかった。何かと手加減してやらねばならない彼女より、年の近い相手と遊ぶ方が楽しかったからだ。色恋に興味の出る年頃になってからは、なおさらそうだった。

 だから葦火は、家の仕事から逃れようとする兄姉のかわりに、よく原辻へ遣いに行った。一応は長の娘なのだが、侍従を伴ったりもせず、一人だった。月読の館に通されるたびに葦火は広さに恐縮した。


 父や兄はよく、金打がどれだけ尊い仕事かを熱っぽく語った。皆、黒鉄でできたものを当たり前のように使ったり商ったりするが、数多の火と、何人もの工の手を経てようやく出来上がる物なのだと。人の作ったものを右から左へ、左から右へ商うなど、誰にでもできることなのだと。

 それにしては、交易の元締めをする月読の長の館だけが、これほど広いのは奇妙なことだ。商いが誰にでもできることなら、皆が同じくらい広い館を持てるはずなのに。


 兄が鍛え直した大刀たちを届け終わると、葦火はいつもの通りすぐ香良加美へ帰ろうとした。しかし、その日に限っては月読の若者に声を掛けられた。生まれた頃と同じ、春先のことだった。


「よく此処に来るのだな」


 なだらかな斜面になっている館の庭に立ち、彼は言った。時々館で見かける顔だった。色紐を編み込んだ美豆良みずら結いの髪と、同じ色の足結あゆい手結たゆいから、身分が高いことは一目瞭然だった。荒れたところのない、妙に落ち着いた厳しい雰囲気も気品を感じさせる。


 肩幅が広く背も高いが、顔つきから年下だろう。あるいは、色白なために若く見えるだけだろうか。月読の者たちは、皆昼間の月のように肌が白い。


「遣いです。父や兄の打ったものを届けに」


 月読の者と御雷の者は、積極的に争いもしないが、交わりもしない。急に声をかけられたことに少し戸惑いながら、葦火は言った。

 一瞬何事か考えてから、彼は言った。


「待っていろ」


 言われた通り待っていると、彼は古く短い刀子を持ってきた。


「これも頼む。なるべく早くにな」


 相手が妙に顰め面になっている気がして、葦火は首を傾げた。何かこの刀子について、嫌な思いでもしたのだろうか。


「大切なものですか?」

「ああ。だから早くに頼む」


 はい、と頷いて葦火は刀子を懐にしまった。何ということのないその動きを、彼が隅々まで見ている視線を感じて、少し居心地が悪かった。


「貴方様は」

「俺は青嶺あおねと言う。其方は」

「葦火」


 言ってから葦火は、彼の肌の方はまるで、波頭に咲く白い花のようだと思った。眩い肌を矯めつ眇めつしていると、青嶺の色白な顔にほんのりと朱が差した。

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