シレーの死

Dr.龍蔵

帰り道

「これまで何人の女と付き合ってきたんですか」

「一人」

「嘘でしょ。じゃあ何人の女と寝ました?」

 女はやや興奮した様子で、犯罪者を追い詰めた警察官のような目つきを僕の方へ差し向けた。僕は他人の容姿を、特に女性の見た目を何かに例えるのは好きではない。大抵の場合、それは軽蔑と受け取られるからだ。僕自身も外見だけで女性の内部を片付けるような男を見ると不快な気分になる(内部を決めつけるどころか容姿を捉えることのできない男もいて、そういう男は決して僕の人生を豊かにする存在ではない)。しかし人の内部を覗くとき、どうしてもそこから滲み出るものを通さねば深い洞察は届かないし、その相手の自意識が強い場合にはこちらが鏡になるために、人格はある程度容姿に表出すると僕は本気で考えている。つまり人相というものが人の内部を知る情報であると信じている。ところでこの女の顔は金魚そっくりであった。

「付き合った人数と同じベッドで寝た女性の数の差は君にとって重要なことなのか」

「あたりまえでしょ!」

 彼女はそう言ってから自分が口を滑らせたことに気がついて顔を少し赤らめた。それから話を逸らすように言った。

「浮気はいいってことですか?」

「そんなことは言っていない。浮気とか不倫とかいうものが良心を傷つけるものだっていうのは確かだろうね。だが一度でも恋愛を経験した男にとってその時間は善悪を超えた、人生の一断片として保存されるんだ。そして死ぬまで意識の底に横たわって、腐ったような甘い香りを放ち続けるんだ。男はそういう生物だと僕は思う」

「最低。私そんなの納得できない」

 彼女の嫌悪が本物だとわかったので、僕はもう少しいじめたくなった。

「君たち女性は男女の関係を忘れることができる。永遠という言葉は女性のものだ。君たちは嘘つきにならず永遠を口にすることができる。忘れることでこの世の罪から守られているんだよ」

「何言ってんの」

「愛と憎しみの話だ。ありきたりのテーマだけど、君はまだあまりにも純朴だね」

 僕は相手に何人とセックスしたか訊いてやろうと思ったが、すんでのところで我にかえった。また見境なく喋り過ぎてしまった。ロマンチックな状況は危険である。夜景は何度も僕に後悔を与えてきた。だが今日の夜景はいつにも増して湿っぽい。

 不意にシレーの絵を思い出した。くすんだクリーム色の背景に女を抱いている男の眼が迫ってくる。僕はこの絵のタイトルを覚えていない。ただ、「死」という言葉の象徴として僕の目に焼きついている。

「永遠とは死を引き延ばすこと」

 どこかの一節が頭に浮かんだ。

 僕の前では女が得体の知れない物体を見るようにこちらを見つめていた。

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シレーの死 Dr.龍蔵 @Dryu0528

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