琥珀色の地球ー1
例えば、そこに
「ここが、オーストラリア第二の都市、
緩やかな風になびく黒髪。方位磁針を持ちながら、少女、
収穫は予想外に大きかった。何らかの神秘的な力があるのか、彼らが少し足を進めると、森が形成されているのを見つけた。枝から垂れた瑞々しい果実は、『自分より小さなものに害されない』已愛がいうことには、毒性はなく、十分食用にできるらしい。ほかにも、牛乳や、アルコール度数の高い水が流れ出す川や、見るもの全てを癒すような花園もあった。
「OCB
一体全体、訳が分かりませんねと、已愛は傾斜の付いた地面に腰を下ろした。汗を拭いながら彼女が呆れた表情で目をやる方向に、アーチストたちも視線を向ける。南方、ゆるいスロープ状に高度が下がった眼下には、海と見紛う水平が鎮座している。半径四〇〇キロメートル。タスマニア島を覆う黄金の巨大な窪みに雪解けの水が張った湖だ。
「形成者に畏怖を込めて、オートノミー・クレーターと名付けたそうです。アーチスト
波打ち際を眺めながら、アーチストは眠たそうに眼を擦る少女の隣に座った。地球は変わった。変えてしまった。怪物たちが滑らかな表面を成し、自分たちが地形を刻んだ。全ての都市は殻の下に沈み、ここから見える湖も、森も、川も、全て完全に新たな被造物となった。この琥珀色の地球に創造主が求められるとすれば、そのうちの大部分を負うのはどう考えても自分たちだった。いま、神は少なからずここにいる。
「あー聞こえていますかアーチスト、下位互換の私、あと二人。テメエらの目から解析班と一緒に見てるので状況は分かってます。新たな情報ですが、現在、地表の影響により、アルベド反射率が一割を切っています。ただ、太陽熱の吸収率がちょっとくらい上がったところで、植物がそんな急にでかくなって拡がるエネルギーを賄えるかよって話ですが」
「殻構造の発生から二週間になる。初日に複数個所から掘り出した検体からは、イソブレノイドのほかに全く同一で膨大な未知のRNA配列が見られた。白亜紀以前の地層から掘り出されるはずの琥珀が、巨大な一つの胚となって地球を覆ったようだ。分節時計も働いていて、遺伝子波の通りに分化をはじめ、一端が、まず、タスマニア島付近で節を作り、分化し、琥珀に最も近い組成の植物及びその土壌の形質を成した。それが三日前だ。次にどこに何が発生するかは未知で、我々の知る地球はどこにもない」
「ちょっとわくわくって
視界の端に、見慣れたガーネット・キマイラたちの顔が映り、声が届く。二桁の人数の能力者を取り込んで、その全てを行使できる小柄な少女、イアクローン。寄生生物を操り、他人の能力を借りられる力を持ち、さらに当代最高の英知を備えた女性オートノミー。どちらも超常と呼んで良い二人は、こちらに映像を投げ渡したまま会議室のホワイトボード前で議論を進める。
「深海には流石に生き残りがいるかもしれませんが、いま、私たち以外の全ての生物種は絶滅している状態です。はぁ、一五〇〇人で、人数だけは人類存続に必要な三倍くらい揃ってんのに、家畜のかの字も乗せてねえ。奇跡艦は方舟じゃねえっつーの。方舟面して本だの絵だの持って飛んでったらしい欧米のボケ共を連れ戻してこいよ」
「地表自体が平均一五メートルほど高くなったので、慣性モーメントの増加によって自転速度が速まっている。南太平洋のウラン固形翼も、下手に壊すと気化するのが怖い。二週間前の戦いのなかで、我々は北マリアナ列島上空に巨大なオゾンホールを穿った。あぁ、プレートは黄金殻の内部で動いているが、海洋が消滅している。潮張力を失ったことによる地軸の変動も気になるし、先ほど宇宙空間にも未知の構造物の反応があることが分かっ――」
「うぎゃー! だからわくわくした
その目に隠しようのない輝きを灯しながら問題点を列挙するオートノミーに対し、堪え性のないイアクローンが突然立ち上がり、隣に控えて書類にメモを取っていた研究者の胸倉を掴み上げてぐわんぐわんし始めたところで映像と音声が途切れた。新世界。かつての全ての生物種たちの絶滅。そこに降り注ぐ前代未聞の無理難題たちは、その深刻さにも関わらず、遠くないうちに不思議とどうにか解決されそうな雰囲気がある。
地形や植生を含め、メルボルン周囲の確認を終えたころには、丸一日が経過していた。黄昏の大地に、陽が沈んでいく。二張りのテントを準備しながら、海に似た水面の揺れる様子を眺める。何もかも穏やかで、緩慢だった。瑞々しい木の実が喉を潤すのを感じ、アーチストは息を吐いて仰向けに倒れた。何もかも不明なままだし、何のしようもない。この世界の有り様が、誰のどんな思惑の果てにあるものだとしても、ただ満天の星の夜の底に、風の薙ぐ草原が敷かれているだけだ。昨日から徒歩での距離は、一五キロメートルと少しになる。人類の歴史がアフリカからの旅だとするなら、艦隊から足を進める自分たちは、始原の彼らと同じ景色を視ているのだろうか。
摂氏八度。夏のオーストラリアにしてはずいぶんと肌寒い。視界を確保するために炎の剣を黄金の大地に突き立てると、熱せられて火の粉の散る空気のなかで、目が合った。長い黒髪に、病的なまでの白い肌。その奥に控えた、深い青の瞳。
「さて、今日はもう寝ちゃいましょうか――」
慌てて笑顔を取り繕ったところで、誰もが気付いていた。イアクローンからの通信の間、彼女がずっと虚空を睨みつけていた表情は、ひとの表現できる憎しみや怒りを最も体現したそれだったからだ。一人で抱え込まないでくれ。アーチストが小さく告げると、已愛は一瞬固まり、目を逸らした。撥ねる心臓が呼び込むように、冷えた風が頭上の雲を運んでくる。小さな雨粒。夜天が湿度の帳を降ろすのと同時に、震える小さな唇が動く。
「ごめんなさい。私、みなさんに謝らなければいけないことがあるんです」
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