神々による黄昏―3 

「こちら、アーキア・ワン。已愛いあちゃんの能力ってのを借りて話しかけてる。ただいま、シドニー上空。両機合わせて丹泥種たんでいしゅ撃墜数八、冷気ガスミサイルはすっからかんだ。最大高度まで上げてみたが、海も陸も、地表全部が同じ金ぴかみてえだな。回避に専念しながら、哨戒を続ける」

 発進から二〇分で、およそ二〇〇〇キロメートル南方へ。音速の五倍を超える速さで飛びながら、あかい怪物を八体始末したエースパイロットの――おそらく、クリーチャーの発生が始まって以来、もっとも正統に人類の希望を張り続けていたひとの――声を耳にして、青年は髪を掻き上げる。脅威は遥か遠くまでを浸している。そして、この距離であれば彼らを巻き込まない。

 誰でもない怒れる男は、拳を握る。そして、埋め合わされて再度迫ってくる黄金の津波を正面から殴りつけた。行使されたのは、二条市陽にじょういちはるのものだった能力。接触物との座標交換。彼と大陸の位置が入れ替わる。およそ二〇〇キロメートル以内の輝きの塊が一旦消滅して、人体一つ分前進した位置に再出現する。すると、引き裂ける。能力の及ぶ半径に沿って、世界を覆う黄金が、円状に。掌打の衝撃波がまだ海を揺らしているのを見ながら、青年は静かに目を細める。どれもこれも、翡翠の能力強度でなければ成し得ない暴威だった。

 入れ替わり先の中空、眼下に北マリアナの島々を認めながら、彼はその暴力を止めない。殴る、または蹴る度に、彼と大陸が消滅し、激甚の空振を残しながら再び現れる。そして、半径二〇〇キロメートルの軸ぶれした正円の断絶によって、襲い来る黄金の塊が淵から細切れにされていく。顔面に浮かぶ紋章のままに、猛打を続ける。一旦息を止めるまでに、六〇〇発。巡り続けるのは視界だ。北マリアナ諸島に、ミクロネシア連邦に、パラオに、パプアニューギニアに。地を揺らす爆音と共に、現れ、消え、再び現れる最大燃焼の翡翠の軌跡。ふざけた規模の瞬く破滅の輪。削られながら弾き上げられる金塊は、天を砲撃する煌々とした緑の台風に呑まれる弾丸にさえ見えた。

「こちらアーキア・ワン。タスマニア島南西に都市一つくらいの黒っぽい渦が脈動している。機関銃をブチ当てたら、周囲の黄金が増えんのを止めて硬化した。見た感じ、丹泥種たんでいしゅを凍らせたときの反応に近い。黒だからってのは雑な考えだが、この眩しい陸地の何かしらの脆い部分、弱点だと思いてえな――っ、クソ――」

 通信機越しに破砕音が響くのを、嵐のなかの青年は聞いた。全て弾薬は使い切った。きっと丹泥種相手に意味があるか分からないフレアなども全部吐いたあとだろう。怪物たちの群れを縦横無尽に飛び続けてただの戦闘機が撃墜され、また熱に溶け落ちていないのは、ほとんど猛者たちの腕だけによるものだ。

「あーあ、最後か。已愛ちゃんも含めて聞こえてるだろうがなぁ、化け物ども。オレも正直なことを聞かせてくれ」

 皆嶌龍弥みなじまりゅうやではない男の視界の端に、疲れ果てて、しかし凛々しさを失わない壮年の男性の横顔が映る。頬を覆う分厚い酸素マスクの向こう、白いキャノピーには、丹い複数の閃光が絶えず奔っている。已愛が吸収した能力の一つだ。アーキア・ワン。その操縦席の姿を遠隔視で確認しているのだと気付いたとき、警報音と共に急旋回で機体が大きく揺れ、左翼すれすれを丹泥種のヒバリが衝き上げるように飛び去った。

 太陽壁は必要なくなった。嵐の水面のなかに立つ青年の頭上では、オートノミーとイアクローンが交差するように飛び回り、細分された黄金塊を艦隊からずっと遠い場所に弾き飛ばすことを続けている。輝きの波濤はなお、切り抜かれた正円の向こう、二〇〇キロメートルの彼方から迫り続けているが、彼らが護るべきものに直撃するまでかなりの時間がかかると思われた。

 パイロットたちを助けに行こうと動く彼を制するように、偽物の蛇の声がする。――何でもかんでもぶっ放すのは良いですが、まず、聞いて上げて下さい。私にはどーでもいいですけど、あんたにはここでしか知れない重要な話かもしれないですから。

 視界の端のコックピットは、激動する。右に曲がり、左に曲がり、上下逆さになり、地面に突っ込みかけて急上昇する。その度に、熱の悪魔たちが機体をかすめる。全霊の機動だった。どこに隠れる雲もない晴天に浮かぶいくつもの太陽のなか、ほんの一秒先の死を、彼と後部座席の同乗者はその圧倒的な技量で躱し続けている。男の口が動いたのはわからなかった。けれど、前を向く目が、理性で押さえつけられた涙が、流れ出る言葉をこれ以上ないほど強調する。

「お前たちは、どうして世界をこんな風にした。何の不満があった。何が嫌で、辛かった。出るときに奇跡艦にいるのが見えた。ガーネットキマイラっていうんだろ。確かに怪物っぽい感はあるが、まだまだ若いじゃねえか。そんな風になる前に、オレたちがどうにかしてやれなかったのか。本当はこの有り様も願った通りなのか。全部壊して、何がしたかった。何が欲しかった。オレにそれが、もし用意出来たら、何か、……何か違ったのかよ」

 誰しも、この悲劇のせいで多くの友人や、家族を失った。アーキア・ワンの操縦士は、ほかのこの船の人たちと同じで、私たちの真相を知りません。犯人を誰に求めるにせよ、私たちほど強大でないひとたちが誤りによって責められるかもしれないからです。空に飛びあがって黄金を食い千切る巨大な蛇が、こっそりと伝えてくる。きっと、この男性のそれは、はじめからクリーチャーを相手に命を張り続けていた彼の言葉は、頼らざるを得ない怪物に対しての、全ての人々のそれに近しい意味を持っているのだろうと思えた。

「……あぁ、ごめんな。本当はちょっと分かってんだ。こんなこといまさら聞いても意味がないってことぐらい。じゃぁな。二機とも限界で、帰投の燃料もねえんだ。群れが増えて来たから、もう一匹ぐらいどうにか巻き込んでいくわ」

 機体は悲鳴を上げている。きっと乗員と共に、ずっと昔から。あまりに寂しい男の声は、皆嶌龍弥ではない彼の心臓深くに溶けて、新たな決意を生んだ。発信座標は、音と同時に伝わってきた。直線距離は、日本列島縦断に等しい。あぁ、いまとなっては、きっと不可能な距離ではない。

「――おれも、何かを求めてだったり、悪意があったりして、こんなことをしたわけじゃないんです。それでも、原因になったのは謝ります。ごめんなさい。――アーキア・ワン、指示する座標を目指してください。いま、助けますから」

「誰だ? 男……アーチストってやつか? 一番ヤバイって聞いてんのに、やっぱり優しそうな声してんだな。分かった、期待はしてねえが指示には従ってやる」

 追加で戦闘機に言葉を飛ばして、黄金臨界ガーネット・キマイラに艦隊周囲の防護を任せる旨を伝えると、二人の女性はそれぞれにこう答えた。

「分かった。だが、黒い渦への攻撃は任せて欲しい。考えがある」

「従ってやるが、テメエが仕切ってんじゃねえよ。はぁ、これが最終出力の差ですかね。あんたが一発かましたあと、助けには私が行きますよ。一応、船員のよしみがあるんで」

 金の蛾と蛇に頷く。冠する熱の天輪が、再び出力を上げていく。海底のブラックスモーカーの充填は、およそ一五秒で既に終わっている。見えるあらゆる輝きよりきらめく眩しさを切っ先に引きながら、全ての明度を塗り潰す自身の影を伸ばす。足元はもはや星の心臓だった。拍動にも似た波濤が同心円状を凪ぐ。迸る圧力に空間が軋みを上げ、放出されたエネルギーが電気のように肌に弾けて、絶え間なくサイケデリックな光彩を生み出し続ける。噎せ返るほど濃く、立ち上がれないくらい重く、鋭さはどんな手も弾き、総じて極めて破滅的に。はた目から見れば、もはや青年は一人で別宇宙の終焉に取り残されていた。超常の力の果ては、いつも通りの近寄りがたい孤独を形にする。――しかし、ふと、プラズマの剣を握って強張る彼の腕に、後ろから優しく抱かれる感覚があった。途端に紋章がうずく。一人分の女性の体温が、何故か自分の背後にある気がする。

 この超高熱のなかで、判別できるわけがない。間違いなく勘違いだ。けれど、何故か。不器用ながら、強く、優しかった女性が、好きだったそのひとが、後ろからふらつく身体を支えてくれているような温かさを感じる。

 どうして。哀しい。辛い。許さない。流れ出した涙が止まらない。伸びる影の数を確認することはしない。ガーネットキマイラは、二人だ。そして、愛と怒りこそ燃え立つものだ。紅い髪が揺れる。頬が泡立ち、身を焦がす。

 ほとんど壊れた短い記憶のなか、また同じ、一つの言葉が思い出される。とんでもなく稚拙に思える絵にも、時折数億円の値が付くように、誰に否定されたとしても、そこに何かの価値があると信じることができるから。どうして、彼女はそんなことを答えたんだっけ。おれたちは、どんな話をしていたんだっけ。地の底の哀しみは、狂ったように巡る脳細胞を繋ぎ合わせ、ある一つの場面を呼び起こす。いまとなっては、ずっとずっと、昔の話だ。少し冷たい奇跡館の大広間で、彼は質問し、彼女もまた同じ質問を返した。


『湯河原さんは、何が好き』

『龍弥くんは、好きなもの、なに』


 ねぇ、ロウズ。おれが好きなのは、きみだよ。黒、丹、黄金、――翡翠。『――そっか。……ありがとね』。耳元に声がした。優しい声だった。少し涙で詰まっていた。そして、すぐに聞こえなくなった。穿つ。消えた幻想と共に、ほんのわずかの間二人で握った居合の構えが振り抜かれる。暴れ狂うこともなく、全ての音を喰らって、ただ静かに滅する超常の光。さらに熱量を増し、刀身一キロ、摂氏三億度の、超熱プラズマ。鮮烈な死の鼓動。核融合炉の中身と同じ臨界が、曲率計算通りの弓なりを描いて世界を討つ。絶望と絶望がぶつかれば、勝つのはより哀しい方だ。誰よりも哀しい彼が、押し負ける理由はどこにもなかった。あらゆるものに比して最も強力な緑色は、米軍の最新戦闘機を襲っていた丹泥種行空群たんでいしゅぎょうくうぐん甲型二号こうがたにごう乙型一八号おつがたじゅうはちごう、同三一号さんじゅういちごう、――ほか、計二六匹のあかい怪物を斬り下ろした勢いのまま、黄金の大地を三○○○キロメートルに渡って両断する。

 最大級の一撃に二秒遅れて、黄金の蛇の取り込んだ誰かの瞬間移動能力が二桁回数起動したのに、皆嶌龍弥ではない彼は気付いた。軌道をなぞれば真南に、北海道から鹿児島までの距離を行って帰ってくるそれだ。間髪入れずに通信が届く。

「はいはい。こちら榎木園已愛えきぞのいあっぽいひとでーす。アーキア・ワンと僚機、格納終了しましたよ。しかし下手くそがはっでにやられたなァ、エンジンとかめちゃめちゃじゃねえか」

「それでも一分は飛んでたんだぜ。嬢ちゃんが運転してみな、まず飛ばねえから」

「言ってろ。パーフェクトの私はなんでもできんだよ。オラあんたら三人も、医務室までついでに飛ばしてやるから全身の大怪我をめちゃくちゃ叱られてきやがれってんです」

 遠く波に浮かぶ空母のなかに、能力反応があった。龍弥が焼き切った丹泥種の空白を縫って、イアクローンが操縦士たちを瞬く間に回収した証だ。当の蛇は、奇跡艦きせきかん大和やまとの艦橋の天井に立って、やけに暗い空を見上げながら、ぐへぇ、疲れましたーと漏らしている。

 小さな黒髪の女性の視界を追うと、見える。背から何本もの木の蔓を生やしたオートノミーが、一際大きな、丁度六〇〇重の輪切りの中心となっていた黄金の陸を持ち上げている。まだ島ほどの質量を保ったそれを支えているのは、遠目からはやはり二人に見えた。いまにも圧しつぶれそうな女性の身体を支える、かつての自分と似た青年の影が、影法師のように揺らめいている。オートノミーの両目から止めどなく涙が流れ出し、嗚咽が重なる。その色が、緑へ、翡翠へ変わっていく。いつか振るって、何もかもを壊した終焉のオーロラの色だ。思い出して、表情が恐怖に引き攣る彼女に、背後の幻影と、水面に立つアーチストは――少なくとも後者は何かの本能に突き動かされて――同じ言葉を叫んだ。

「「にぎ、やっちまえ!」」

「あっ……ああ! 分かった!」

 ここまでやってもさらに絶えず迫り続ける黄昏の海から、羽化不全の大水青は飛ぶ。遥か彼方に未だ鎮座する黄金の星のツバサにも負けない、翡翠の鱗粉を散らして。オートノミーは、色の分からない晴天に向かって閃光のように舞い上がると、頭上に抱えた大きな塊をふわっと投げ上げた。そして、眼下に確認する。黒い渦、エースパイロットたちが哨戒して明らかになった、黒点。狙うとしたら当てはそこしかない、何かしらの弱点と思しき目標地点を。

「発見した!」

 言葉、羽搏きと合わせて、鱗粉が散る。爆発的な量で塵埃として風に乗るそれは、未知の金属すら喰らうバクテリアの群れだった。寄生種の女王が操るにふさわしい暴威は全方位に拡がりながら取り分け頭上に伸び上がると、長半径六キロメートルほどの楕円の大地を、端から削っていく。巨大な槍が形成されるのには一分とかからなかったし、その一分で、ほかの微生物たちは別に発生させた植物の蔓によってしっかりと固定し直した艦隊の周りに配置され、万一のための大きな翡翠の防壁を象っていた。

 泣いて無暗に力を振るうだけでは何も分からない。怒りは、きっとガーネットキマイラの本来の多彩さを思い出させてくれることもあるのだろう。そんなことを考えてほかに訪れるかもしれない危機の兆候に感覚を研ぎ澄ます彼の上で、撃ち放たれる。長さ一二キロメートル。その半分ほどの厚さしかない海洋地殻を確実に貫く鋭利な黄金の槍が、黒い渦の地点に向けて、目にも留まらない速度で。

 三度目の翡翠の力による一撃は、前の二つより冷静に、しかしより一層重く溜まった哀しみで以て中空を裂きながら進む。発射地点から大きく拡がる衝撃波がどんな嵐よりも海を揺らし、いまだ降り注いでいた黄金の断片をまとめて蒸発させた数十秒後、当然のような爆音と閃光が、水平の彼方から響いて激震と共に全てを呑んだ。

 やっと潮騒が耳を打ち、晴天が世界の主な光源たる地位を取り戻したとき、アーチストとオートノミーは奇跡艦の甲板に倒れていた。あらゆる色は引いていて、泥もなく、ただ最も人間らしい不活性の状態で寝転んでいる。

「おはモーニン、怪物ども。起きたのを感知したんで、ちょっと伝言です。初めに言っておくと、みんな無事ですよ。狙いドンピシャで、やっぱり何か脆い箇所だったみたいです。あの訳わかんねえ黄金は一応止まりました。いまは生み出された琥珀の大地ごと解析中です。あんたらは流石に力の使い過ぎでぶっ倒れただけです。私の助言が効いたみたいで、別に力を失って過燃症候群とかになったわけじゃないんで安心して感謝してくださいね」

 知った声が能力通信で聞こえる。イアクローンだ。ほかにも、多くの人々の声が超然とした耳に入ってくる。無事を喜びあう言葉。これからの不安を想う言葉。どちらも生きている者のそれだ。足音も、息遣いも何もかも。空気を震わせ、あるいは背中の鉄板に伝い、ここに、いま、しっかりと届いている。

 勝った。護り切った。失わせずに済んだ。使い果たしてしまって涙は出ない。皆嶌龍弥みなじまりゅうやではない彼は、頬を紅潮させ、ほとんど泣きそうな顔で隣を向く。それは、長く青い髪を乱した、方倉和かたくらにぎだった彼女も同じだ。超常性は抜けてはいない。けれど、そこには、一組の男女がいた。大切な人を失い、多くの人を殺し、前者を何よりも忘却し、後者を何よりも哀しんだ二人が。

「……ありがとう」

 お互いに同じ言葉を発しかけて、彼が咽せたのを見て、彼女は笑った。

「どーいたしましてッ!!」

 そして、どこからともなく飛んできた三人目のガーネットキマイラの返答を聞いて、彼も笑った。

 この表情は、何時ぶりだろうか。彼と彼女は、それからしばらく笑いが止まらなかった。枯れた涙さえ蘇るが、悲しみ以外は力を弱くする。思わず背中の鉄を叩いても、それはほとんど人間の腕力で、ささやかで、彼らが完全に失ったと信じてやまないものだった。二〇三三年まで、あと二日。彼らの蒸発させた何万トンもの水量は、やがて静かに空を覆いながら、混じり気のない白い姿で降り注ぐ。イアクローンが甲高い声で呼んでいる。十分すぎるほどぼんやりとした時間を過ごして立ち上がった二人は、舞い散る雪に命の熱を忍ばせながら、奇跡艦の指令室へと足を進めた。

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