神々による黄昏―1 

「派手に出てくんじゃねえっつーの。みんな炭にしてえんですか?」

 気付けば、彼は鋼の床面に転がっていて、随分攻撃的な表情をした榎木園已愛えきぞのいあではない女性が顔を覗き込んでいた。使用を観測できた能力を思い出せばわかる。爆発的な勢いのまま海面を焼く直前で、テレポート能力によってここに瞬間移動させられた。黄金臨界の力によって被害が出なかったのは、令吾の盾を張る能力がこの鋼の巨影、奇跡艦きせきかん大和やまとの甲板に用いられていたからだ。

「お久しぶりの挨拶も、あと説得すんのもめんどくせえんで、クソつまんねえ疑念なんざ挟まず、お利口さんな蛇みたいに全部丸呑みしてください。いいますよ」

 立ち上がって見渡すと、それは異様な光景だった。紅に座して揺れる鋼。この終末の海に、輪形陣を成した大小一五隻の艦艇が停泊している。中心は自分の立っている船で、内側の六隻は輸送船だ。

 皆嶌龍弥ではない人たちが死の幕を上げた日から、奇跡艦きせきかんは世界中の生存者の収容作業に移った。結果、全ての新世界方形原領域しんせかいほうけいげんりょういきは滅んだものの、一五六〇名で五八国籍の乗組員の命がここにあるという。

「で、いまやべえのがアレって訳、アレをブチやらねえと私たちはたぶん死にます。ダメ元で救難を出したら蛾女がおんなと他の荷物が来て、事情を聞かせてやってる間に下位互換の私とあんたが雑魚に襲われてたんで助けたって話、です」

 目を上げて、唖然とするしかない。日中、艦隊から遠く離れた水平の果て、そこが、一直線に深い血の色に染まっている。丹泥種たんでいしゅだ。まるで、寒さに凍えて一塊になるように、飛ぶものも、泳ぐものも、きっと元々地を這うものも、数万を超える怪物の群れがゆっくりと確実な速度で視野の奥の果てから迫ってきている。

「凡なとこ見てビビってんじゃねえよ、もっと目ェ使え」

 横から呆れた声を聞いて、注視する。月すら視る超常的な力を澄ませると、おぞましい図像が脳を満たした。あかい泥の怪物たちの身体のあらゆる部分から五本の指を備えたヒトの腕が伸びる。腕は隣の怪物の腕と握り合い、そこから輝かしく変色している。死を畏れるのが、紋章権能者もんしょうけんのうしゃの力の源だった。きっとあの怪物たちも同じだ。冬は近い。彼がもたらした低温の世界において、凍ることに、命が失われることに怯えたクリーチャーが、集まり、抱き合い、祈っている。臨界の黄金色が脈動して拡がる。

 鳥の脚から、魚のエラから、虫の口腔から、ヒトの腕が伸びて、繋がり、絡み合う。丹は加速度的に失われ、いまや超高温で金の波濤がうねり迫る。重なる轟音。見上げれば、かなり彼方に座していたOCB生命臨死遺伝情報粒子群せいめいりんしいでんじょうほうりゅうしぐんの帯、一リットルあたり一二〇万ベクレルのウラン放射線をばら撒く大災害が、産み出された熱に呼ばれて降下していく。横凪ぎの中心を大きく凹ませ、遠目にはゆっくりと、しかし実際は圧倒的な速度で。丹泥種行空群たんでいしゅぎょうくうぐんを成す無数の鳥や虫たちが絶えず降り立ち続ける水面へ――いま、接地する。

 瞬間、歪な響きの爆音が一〇オクターブを駆け上がり、帯が、世界が、至天の輝きに覆われていく。雲は全て極彩のオゾンに蒸発し、空ごときは細切れになった。鱗粉のように撒き散らされる数十万トンの黄金の灰煙。羽搏く、燦然とした星のツバサが。日付変更線の東から、墨色の海を吞み、視界を薙ぐ大陸と化して近付いてくる。三〇〇〇キロメートルの死の弓なりを背に冠した、琥珀にきらめく熱の激浪げきろうが。

 神話の光景に意識を持っていかれそうになるなか、あちこちで上がる人々の声がふいに皆嶌龍弥ではない彼の耳を打った。

「二番フリゲート、姿勢制御アンカーの掛かりが甘いぞ」

「化粧品大量に持って来る必要あった!?」

「聞いてよ、こーんなにデカい鯛吊った夢見た。しかも二匹」

「前のティモール沖みたいに何とかなるか分かんないのに呑気なやつね」

「やっべー金ぴかやべー」

「あんた何やってんの! すみませんすみません!」

「怪物どもの規模もこんなに増してんだから、技師室にエアコンくらい付いていいっしょ……」

「こちらアーキア・ワン。ほかいつもの一機。最後かもしれないんで、また飛んでくる。せいぜい沈まずに待ってなボーイ共」

「目標到達予測まで残り八分、至急船内シェルターに戻れ。米海軍の迷惑なエリートはいつも通りさせてやれ。正念場だ、共に乗り越えよう」

 奇跡艦きせきかんの側面甲板に走り出て檄を飛ばす壮年の女性。泣きそうな顔で二段重ねの段ボール箱を抱えながら輸送船の廊下を走る青年。大人たちに交じって艦の防護隔壁を降ろす少年と、むすっとした顔で返す隣の少女。作業員を押しのけるように海面に手を伸ばす幼児を慌てて回収する母親。コーヒーの空き缶を海に放りなげかけて、やっぱり背後の回収箱に押し込み、ため息を吐く痩躯の男性。そして、視界の端の空母甲板から飛び出す二つの銀の機影と、頭上の指令室から全艦通信で低い声を飛ばす艦長。

 いままで何度もクリーチャーに襲われたせいか、ずっと落ち着いて賑やかとさえ思える声。艦艇から、恐怖だけではない音が聞こえる。そこに生きている。自分が失わせずに済んだものが、奇跡艦の已愛たちが護ったものが、そこにある。潜水母艦のファーガルやイチハルたちも、最も大きな輸送船のなかに能力反応がある。途端に、恐れるべき死の数が増していく。黄金色が数段煌びやかになり、力が横溢する。その前に―。

「制御したきゃ、キレろ」

 揺れる甲板の最先端に立ち、複数の紋章を小さな身体に浮かべた、榎木園已愛ではない女性はそう言った。

「悲しみと怒りはありえねえほど違う、私たちにとっては。私は蛾女がおんなに対するカウンターであり、得られた力を制御するために怒りやすいように造られた。てめえは最強の力を得るために悲しみやすいように造られた。それがそれぞれ一体しか用意出来なかったクローン、皆嶌龍弥みなじまりゅうやモデルと、榎木園已愛えきぞのいあモデル――ですって。最近聞いたことですけど」

 最後に、大幕街おおまくまちユウモデルは私たちの五感を奪って制御できるように造られた。ほかの製造計画はなかったものの、二条開発局にじょうかいはつきょくとお前んとこのジジイが一体分の資材を使ってクソザコ能力の二条市陽モデルを造った。こいつがクローンの全てだと一旦切った彼女は、海外は日本の有り様を学ばず、紋章権能者の技術を使って、ほか数体のガーネットキマイラを生み出すことになった。まぁ、ほとんど全員私の腹のなかですが、と付け加えた。

「ともかく、キレることです。怒りは能力の出力を正確な形に変えてくれる。私が黄金臨界おうごんりんかい状態を維持できるのもそのためです。蛾女も学んだらしいですし。――ほら、この私にでも、他の何にでも構いません。全てに後悔しながら失い続けるってツラしてますよ、いま、あんた」

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