終焉ー1 ロキの城より
ダザンクール・レポートを開きます。
第一項目、二〇二四年現在について、を閲覧しました。
第二項目、
第三項目、旧環太平洋南日本圏の形成について、を閲覧しました。
第四項目、
第五項目、
パスワード、“Abbiamo tutti paura di morire”、認証しました。
破棄されていない音声レポートが一件あります。
再生します。
・・・・・・
絶望は翼に似ていて、自分たちを何処までも連れて行く。そして、ふとした拍子に地面に叩きつけて殺す。涙は枯れ果てて久しい。見上げれば、倒壊したビル群を貫通して駿河湾を望む黒い蝋まみれの
「収穫は医療キッドが二つ、討伐部隊用の糧食セットが一〇箱です。あと、ライターも三本。ありがたいですね。ガソリンはいまのままでも、次の浜松までは何とか持ちそうですね」
雨の音だけが響く。東京から逃げ出して一四日になる。生きている街に自分たちの居場所はなかったから、当てのない逃避行は、食料を得る目的もあって最も近い都市の名残で小休止となった。乗ってきたワゴン車はガソリンを半分使い果たして、少し離れた東名高速の日本平パーキングエリアに置いたままにしてある。龍弥は、水のかからないところで木材を組んで已愛に頷くと、隣の女性に声をかける。
「
「そうだな。選別と管理は任せておけ、青年。これでも、サバイバルは陸自のときに嫌というほどやってね。それが祟って、娘に市販のコンバット・レーションを食わせて妻に怒られたことも――」
「和――出てるよ」
「――あ、あぁ、すまない……」
脳を食ったら、記憶が混ざるらしい。仕方がなかったでは済まされない惨劇が、この二週間のあいだに起こっていた。東名高速を逃げる車両と、追う氷の兵器を持った戦闘のプロ。交渉の余地はなく、手段も選べなかった。捕まったら終わりで、令吾たちを助けられなくなることも分かっていた。だから、何回かあった交戦の中で、龍弥たちは五人の討伐部隊員を殺していた。うち、三人は方倉和が能力で身体の内側から喰らいつくした。頭の中にうごめく、複数人の思い出。子どもの笑顔に、愛する人の姿。努力し、一生懸命生きた人たち。奪った全てのことを、少し瘦せ、整った顔に隠し切れない疲れを負った彼女は、混濁する自己と共に感じ続けている。
「なぁに宝くじで一〇〇〇円買って三〇〇円当たったみたいな顔してんのさみんな。大晦日だよ。つまんない煩悩なんてほらドドドドドって弾き飛ばしちゃおう」
遠くから響くマシンガンの空砲と、歪に響く笑い声。
「悪い。耳に響くからやめてくれ」
「ええー。つれないじゃないか。龍弥くんも僕の力を借りられるんだから、一緒にドドドってしない? いい加減花火のない年末もどうかと思うんだよ」
降る水。大通りのアスファルトに獣の亡骸を転がした
「僕は……また、何を……?
彼が壊れ始めたのは、時速六〇キロメートルで走るワゴン車に並走する形で最初に討伐部隊に追いつかれたとき。乗り込んできて湯河原ロウズを捕らえた黒づくめの人影のうち、二人の首から上を対戦車ライフルで吹き飛ばしてからだった。車の脇腹にも大穴を空けた射撃によって、足を滑らせた彼女は路面に弾き出されて転がり、助けることは出来なかった。
「雨が止んだら、車に戻りましょう。昼食はここで摂らない方が良さそうですから。そこの動物の死骸は、私なら食べられると思います。皆嶌さん、竹平さん、方倉さんの三人でレーションなどを分け合えば浜松まで都合二日分は浮く計算に――」
「已愛、無理しないで。これは、捨てて行こう」
自分より小さなものに害されない小柄な女性が早口に言ったのを聞いて、龍弥は言葉を返す。和や純だけではない。きっと、みんなもう狂ってしまっていて、誰の瞳にも後悔と絶望しかないのだろう。二人に殺人という業を背負わせ、壊してしまった以上、自分も同等の責任を取らなければならない。そんなプレッシャーがしっかりものの彼女に絡みついて離れなかったのだと思う。食料を浮かせるためにこっそりと野草や虫の死骸を口にして吐き戻す已愛の姿を、龍弥は一度となく目にしていた。奇跡館で最も小さな身体をめいっぱい働かせながら、みんなを導いてきた彼女の笑顔が、本当の意味を失ってからかなり経つ。手を伸ばして、足元のガラス片を手に取る。雨天の淡い光に照らされた自分も、ひどい顔をしている。もう一つ重ねれば崩れ落ちそうなくらい積み上がった悲しみの表情を。已愛も、純も、和も、そうだ。あぁ。とても、見ていられない。
「ぁ……すみません皆嶌さん。私も少しおかしくなっていたみたいです。ところで、その握ったもの、どうしたんですか」
「落ちてたんだ。数の足りないナイフ代わりに使えるかと思ってさ。すごく切れ味が良いんだ、こうすると」
「何やってるんですか! あぁ、首、血が!
「え? ……あぁ、ごめん……気にしないでよ、はは、」
悲鳴は続く。突然叫びを上げられた龍弥は、自分の身体に鋭い痛みが走ったのに気が付いた。空いた片手で握ったナイフもどきが、全く意図しない間に自分の首元に据えられていて、小さな血の線が流れている。能力の行使反応。驚きに目を見開いた和が能力でとっさに自分の腕の動きの自由を奪わなければ、もっと深く、致命的な傷にもなっていたかもしれない。寄生生物がうごめいて傷を塞ぐ様子を感じながら、ふと隣を向く。女性二人だけではない。いつの間にか、純も、困惑と悲痛が入り混じったような表情になって抱き着いてきた。
「ダメだよ、ダメだよ死んじゃ……、ねぇ……やだよ……生きようよ……」
圧し掛かる暖かい感覚に、泣きわめく青年の声。三人から聞くところによると、自分は時折こうやって無意識に自殺を図ろうとするらしい。現実味がない。首をかしげながら、泥道を駆けだした女性に声を飛ばす。
「已愛、雨の中走ると転んで危ないよ」
「方倉さん、私が戻るまで絶対に彼を自由に動かしちゃだめですよ! 竹平さん、念のため武器出しておいてください!」
返事をしてくれなかった已愛の代わりに、長い黒髪をぐしゃぐしゃにした和が、これ以上ないほどの真剣な表情でこちらを睨んでくる。隣の純もそうだ。雨のなか泣きながらも、震える手でトラウマによって触るのも恐ろしいはずの実弾入りの拳銃を握っている。行使されていない他人の能力をしか借りられない関係上、純の武器をいま自分が使うことは出来なくなった。しかし、何でみんなしてそんなに怖い顔して、必死なのだろう。思考にノイズがかかって良く分からないが、これがきっと壊れるということで、自分もまた何処かおかしくなってしまったに違いない。ぼんやりとしたままの龍弥は、あることを思い出した。
逃亡後の情報収集のため、奇跡館から無断で盗んで来たUSBがあった。ロウズを失いながら討伐部隊を振り切った三日前に、和と已愛が持ち出したパソコンで開いたそれには、奇跡館長の老人、ダザンクールが書いたレポートが残されていた。内容は進路を決めるのに有用な世界の情勢や日本の各新世界方形原領域の現状についてのものだったが、和がパスワードを破って最後に開けた音声ファイルは、彼ら四人を以下の内容で地獄に叩き落とした。
・・・・・・
あー、あー、録音されているな。これが一三回目の愚痴になると思うと僕のメンタルについていささか疑問が出てくるが、どうせこれで最後にするつもりだ。今日より最悪な気分の日はない。誰が僕だってこうなるさ。もちろんあんたもだキエザ。
薄く世界を覆っている、OCB遺伝子情報粒子群。クリーチャーに攻撃された子たちを助けるには、それを打ち込むしかなかった。紋章みたいな模様が浮かんだ上に彼らに特殊な異能力なんて発現したのは全く現実離れした話で、僕はとんでもなく驚いたものだった。紋章とは、鎧の上からでも分かる仲間の証だ。そういって、彼らが争わないことを願った。
前にもいった通り、僕は東京の最も高位な技官になった。
だから、間違いないと信じていたんだ。昨日までは。冬季を迎える最終掃討任務に出た彼らの二人の大怪我は紋章権能の影響で直ぐに治った。
二人からデータが出た。生命の危機や恐怖に呼応し、粒子群が深く髄まで食い込んで異常を与えているというデータが。そしてさらに検証して分かった。奇跡館計画は失敗だ。OCB遺伝子情報粒子群は、死人に散布しても、生きた人間に打ち込んでもダメだった。やがて彼らは危機が訪れるたびに付与された遺伝子に呑まれながら、ほかの能力者と混ざり合う。死を畏れるほどに、人のかたちと心を失っていく。何度検証しても結果は変わらない。現に龍弥の振り上げた熱の剣の出力は有り得ない数値を記録した。処分するしかないんだ。やがて彼らが得る暴威は、この星を終わらせるほどになるのだから。ロキの城から、ブラックスモーカーを通して、悪魔を作ったんだよ、僕は。あんたと同じにね。
みんな良い子だった。一年間過ごして愛情が湧かないわけないんだ。偶然助けた藍架の子どもたち、
討伐部隊に連絡して僕の罪たちを捕まえてもらう準備は出来ている。だからキエザ、天国か地獄かどっかにいるアンタは祈ってくれ。僕が最後の最後で気の迷いを起こさないことを。奇跡館の彼らに「逃げろ」と連絡しないことを。
・・・・・・・・・・・・
だって、俺たちはみんな死んだ方が良いらしいじゃないか。
皆嶌龍弥は、握ったガラス片に垂れた血を見つめながらそう言った。
そして、そのときは誰も知らなかった。竹平隊を越える日本最高位の討伐隊を含めた連合部隊が緊急連絡によって浜松に展開していて、今日集めた食料を食べきる前に四人の逃避行が終わりを迎えることを。
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