冬に至る戦いー2
空気が変わった。遠く銃撃を放つ中心の二部隊からも動揺の声が上がり、うちの数人が隊列を離れて
「どうやったって、補給が先ですからね」
「分かってらぁ、クソ」
説得された誠司は東京を覆う極低温の壁の外付け階段を上り、最上階の品川管区指令室に入った。複数のモニターに戦況データが映るそこには、
龍弥の隣で、ふと膝をつく純。スーツの助けがあったにしろ、朝から二時間、走り過ぎた。疲労は限界だったらしい。彼はロウズに起され、ユウが運んできたプラスチック製の椅子に座る。補給には時間がかかる。持っている冷凍パックをからっけつにした場合はなおさらだ。灯火を完全に凍らせ帰還してきた
今回の灯火作戦に参加した人員九五〇名のうち、竹平隊第一班を含む八割のメンバーは西船橋駅灯火へ移動している。この部屋には、事御河隊の分隊メンバー二人と、龍弥、純、ロウズ、ユウの四人と、竹平第二班の二人、計八人が詰めていることになる。
「だぁ! 何だってオレたちが待機枠なんだ。赤いやつをぶっ殺すチャンスだってのに」
「灯火用の部隊も全員動員されています。怪物の数が清算されてるといっても、どいつもこいつも東に移動して西を完全にスカスカにするわけにはいかないでしょ」
「んなことは分かってるんだよ、クソ、愚痴っただけだ」
遠くに爆音が響く。品川管区指令室の複数の画面に見える赤。太陽面にも似た眩さに融解した駅舎の上空を周遊する赤いザトウクジラが、凍てつく弾幕を受けながら身をくねらせて、口腔から熱線を発射する。その炎熱は環状氷結壁を横凪ぎに撫でた衝撃のまま、突如上振れして東京の空を数キロメートル一閃に貫き、大きな地鳴りと共に龍弥たちの頭上を駆けていく。悲鳴を上げそうになる紋章権能者たちとは対照的に、竹平隊第二班の面々と事御河隊は冷静に現状を分析していた。モニターをしっかり見れば、二人の黒い装甲に身を包んだ誰かが、熔岩の泥の隙を塗ってクジラの顎下を
日本で
冷凍弾による氷結と丹泥種の熱波攻撃が繰り替えす地獄のような環境のなかで、技術的に洗練された少数がその攻撃を誘導しながら、凍結させきるまで戦い抜く。画面の外で見られている光景はその理想形だったが、燃える大鯨は一三メートルを超えるほど大きいので、討伐までもう少しかかりそうだった。
激烈な戦闘。絶えず閃光と爆音が巡り、葬列に似たビルの鉄筋も、かつて輝いていた看板やモニターも、ひび割れたアスファルトも、旧首都のあらゆる威容を天空にかち上げながら時間は進む。モニターを注視していた事御河隊の隊員が突然立ち上がって中央本部と二、三の通信を交わし、その結果を龍弥たちに報告してくる。彼がいったことには、丹泥種によって励起されたのか、
「ついでに、あんたらの任を現時刻を以て解く、とのことだ。二人とも良い動きだったぜ、一緒に面合わせて戦えるのが楽しみだ」
「お疲れさまっすね。顔が見せられるようになったら一緒に遊びに行きましょう――んじゃ、」
空気の抜ける音と共に、外された防護マスク。凛々しいオールバックの大男も、優しい雰囲気の青年も、柔らかな雰囲気で二人を見た。その視線に、龍弥も純も、ふと涙が零れそうな思いがした。隣でも、ロウズやユウが同じように事御河隊に声をかけられている。極寒の武器を扱う、人の温もり。激動を続ける戦地で、投げ渡された優しさに、彼らは少しだけ呆然としたあと、静かに頷き合った。間を空けず通信を送ってきた
「今日は頑張ったな。正直凄かった」
「あ、ありがとう。僕も力になれて、嬉しかったよ」
休養室には長椅子のほかに色々な装置が置かれているが、まだこの装備を脱ぎ去ることは許されていない。黒づくめのまま龍弥が言うと、肩を上下させながら呼吸を整える純は、ボイスチェンジャー越しにも伝わる嬉しそうな声で返した。隊長の令吾がいるもう一方のグループはそのまま奇跡館へと帰るが、こちらは書類の受け渡しなどの事務があるため、館長のダザンクールが迎えに来るまで待つ必要がある。画面の向こうの赤いクジラも動きが鈍って来ていて、もう一方のモニターの第二班も既に数体の怪物を倒したところだ。
「大丈夫だった? 二人とも、けがはない?」
ノイズの入った声で、純の隣に
ロウズが焦って取りこぼした手帳には、この任務中に目にしたらしき指示やモニターの見方、戦闘状態の経過や指令室の装置の使い方についてびっしりメモが書かれていた。とてもこの午前中だけで記したとは思えない量だ。聞いたところ、どうも「初日は雰囲気を学べばいいから」と事御河隊によって待機状態になっていた彼女たちは、手空きの部隊員に聞いた基本的な情報を持ち込んだノートに記していたらしい。少しでも、役に立てるように。そんな努力の跡が、純粋な文章量と綺麗な筆致によって刻まれている。討伐部隊の指令室にはそうそう来る機会に恵まれないだろう。この内容を冬のうちに憶えられたら、来年の春にはずっと戦いが楽になるかもしれない。
「あぁ、大丈夫だ。ふたりともお疲れ様。帰ったらまた令吾たちが旨いもの作ってくれるだろうから、しばらく待ってよう」
手帳と共に柔らかな言葉を返す龍弥に、ロウズは少し落ち着いた息遣いに戻った。純も立ち上がると、部屋端の共有モニタによるタイピングでユウと今日の出来事について言葉を交わしている。奇蹟館の、温かさのある空間が、いま一度戻ってきた。黒ずくめの装備のメイン画面。正常に戻った自分のバイタルメーターを見ながら、龍弥は少し伸びをする。
指令室の奥に用意された広めの休憩室。壁にかかった時計は午前一一時三六分を指している。そこで、ふと彼は顔を上げた。
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