冬に至る戦いー1
二〇二四年も秋を迎えるころ、奇跡館一階の戦略研究室。
「だぁあ――ッツ! あなたはどうしてそう個人の力業で押し通そうとするんですか。能力の使用はまだ禁止って言われたじゃないですか。討伐部隊二番手の
「この臆病者の兄弟が信用なるか。怪物なんぞ私が直接殺した方がはやい。だいたい奴らの弱点と対策を見つけたのは私がはじめだ。何が
奇跡館には館長を含めて合計五人の職員が駐在している。それは兼務の医師や研究者を除いた、司厨員と、事務員と、用務員、そして討伐部隊の軍事顧問だ。全員ダザンクールより一回り若い壮年で、辣腕といってよく、平均を取って大学生ほどの年齢層になる龍弥たちの生活をしっかりと支えていた。彼らが怪物によって同じような目に遭ったことは和が気紛れに事務室から盗み出してきた資料で明らかになり、自分たちに接するその態度は、どこか失った子どもたちに与え損ねた愛に等しく感じられた。
明日は彼らがこの安全な奇跡館を出て、戦場に立つ。任務のために遅れて到着した軍事顧問がもう一〇回目くらいになる女性二名の怒鳴り合いの最中に扉を開けたとき、立ち聞きしていた残りの三人も連れ立ってなかに入った。会議は残念ながらさらにしっちゃかめっちゃかになり、已愛と令吾と軍事顧問が結論を出し、龍弥がどうにかこうにか和に納得させるまで終わらなかった。
・・・・・・
死んだ街は、荒い空気を孕むものだ。
着込んだ特殊スーツは、一つ当たり二時間使用できるガスパックを用いて強力な冷気を発している。全身薄い鉄板の黒ずくめ。ほんの少しずつ減っていくメータを右横に配置した外部カメラによって外部状況を確認しながら、
「足立管区班から、品川管区班に告ぐ。
言葉が切れるのと同時に、天地を乱す鳴動があった。ドカンと突き上げるような揺れのあとに、空気を裂いて遠方に咲く大燃焼。モニターで確認すれば、東京の周囲に五つの火炎柱が立ち上っている。この熱源――灯火という――に集まる習性を持つ黒蠟種を一掃するというのが、週に一度ある討伐隊の定期任務だった。怪物には冷気を持った武装が最も効果が高い。作戦の本部隊が
皆嶌龍弥と竹平純の二人からなる鶴チームは、車輪付きの旅行カバンにも似たガスパックケースを引き吊りながら、崩れかけた多摩川の河川敷を走っていた。右手側、武蔵小杉駅から噴き出し、爆光で倒壊したビル群を曝し上げてうねる火炎柱を横目に足を進める。スーツによる筋力補助と数か月の基礎訓練のお陰で、どうにか先を往く二人組についていけている。龍弥が意外だったのは、隣の純だ。
討伐部隊は定期任務において一灯火グループごとに四部隊三種類の役割に分かれる。灯火を設置し、掃射を行うメインの二部隊。集め漏らしの遊撃を行う一部隊。本部や他灯火グループと連絡を取り、緊急時や怪我人に対応する一部隊だ。気弱で体力のない彼は、湯河原ロウズや大幕街ユウと一緒に、
「兄さんと、姉さんのことを、これ以上馬鹿にされるわけにはいかないから」
前日の夜、奇跡館の休憩室で、気弱な彼は精一杯の勇気とともにそう言った。どうも、
「僕は怖いよ。全てのものが怖い。昔からそうだった。痛いのも辛いのも嫌だし、こんな状況にもまだ慣れてない。何で火器なんて危ないものを操る力が自分に与えられたのか分からないし、僕なんかが助かるくらいだったら、みんなの家族が生きていた方がずっと良かったのにと思う」
――けれどね。と、純は目を見開いた。それは怯え症の彼の心が元来持つ冷静さと思慮深さが現れていた。
「僕はもう譲りたくないんだ。何も」
地鳴りを伴って聞こえ始めた掃射音に思考を戻すと、黒い仮面越しにキラキラした多摩川の水面が見える。対岸に映るのは、形成されつつある氷の塔だ。噴煙を上げる火柱に集まった巨大な怪物たちを、囲んだ一三の銃口が根元から凍結弾で滅多撃ちにする。
圧倒的な攻撃に目を引かれていると、更に卑近で激動があった。眼下の河川敷に、くるっと回転する銀の剣先。体高七メートルの黒い大蜘蛛の全ての脚を冷気を発する刃で両断した大柄の男性が、恐るべき速度で巨体の横に冷製ガスパック爆弾を放り投げた。凍てついた多摩川。爆音とともに、そこに一つのオブジェが追加される。全身を氷で包めば、黒蝋種は墨にも似て水に溶けて死ぬ。
「――あぁ!? 隊長たちもう七もやってんのかクソッ!!」
一戦を終えて、竹平隊第二班の班長、
爆音が響く。龍弥が見上げると、廃墟となった雑多ビルの側面に翼長八メートルの蛾が張り付いている。あの夜の恐ろしさを思い出して龍弥たちが動きを止めた直後、こちらに飛び掛かって来ようとした怪物の脚が凍ってビルにはりついた。
「三体目だなァ、おい!!!」
横に控えた第二班のもう一人の銃撃で動きが止まった怪物に走る大男。彼はスーツの脚に設置された冷気スラスターで地面を蹴って、およそ三階部分で動きを止めた蛾の高さまで飛び上がると、思いっ切り両腕を振り上げる。瞬間、黒い装備の背に格納されたうちの一つのガスパックのメーターがゼロになる。大男の天を掴む手には、瞬く間に形成された長さ三メートルの極寒の槍が握られていた。温度差で空気が捻じ曲がり、圧倒的な風圧が、壊れてしまった街並みの細やかな瓦礫たちを吹き飛ばしていく。
「
冬の陽に煌く長大な氷槍がビルを衝く。一つのガスパックを瞬時に使い果たし、攻防様々の手段において最大の効用を得る。これは、
「派手にやりすぎっすよ。東京のガス全部一人で使い切る気ですか」
「やかましいぞ。この辺の建物は残ってるとクソ共の足場になったり灯火が届かなかったりして面倒くせえんだよ」
銃を武器にした青年が、班長の誠司に文句をぶつける。二人で、三体。これだって十分な成果だ。普通は同じ数を班分けしていない隊全員が倍以上の時間をかけて狩るのだというし、集め漏らしの掃討をこれほどまでに徹底的にやっているのは数少ない。ほかは灯火の凍結が終わるまで、数体潰せればいいくらいの隊がほとんどだ。
遠く銃撃の音を聞きながら、破壊された東京の街を駆ける。蝟集しなかった巨大な魚や、虫や、鳥を、縦横無尽の機動力で斬って斬って斬り捨てる。そうして、あと一パックを残して一〇個の箱の中身をからっけつにしたとき、仕事も終わりの時間になっていた。
「計一二体ですか。先週と同じなんで、まあまあなんじゃないっすか。隊長たちはまだ粘ってるみたいっすけど……冷気ガスもすっからかんじゃないし」
「うるせぇ! テメエももうちったぁ支援の勉強しろ」
環状氷結壁に向かって走りながら言い合う二人。ボイスチェンジャーを用いてしか彼ら正規部隊と通話することを許されていないが、それでも龍弥はその賑やかなやり取りをみるだけで十分だった。隣で、荒い息を吐きながらもしっかりとついてくる純を確認する。今日、彼は自分と同じく、どんな黒い蝋の怪物たちに逃げ出さず、補給任務を全うした。奇跡館に戻ったらみんなに伝えて、彼の勇敢さを讃えよう。和だって考え方を変えて発言を訂正するかもしれない。どんなことがあっても俺が護ってやるからな、なんて、トイレに引き籠って黒蝋種に怯えていた数か月前の純にかけた言葉が、もはや滑稽にすら思える。
そのときだった。龍弥の耳に、いや、その場の誰しもの耳に、情報連絡を司る事御河隊から緊急連絡が入ったのは。
指定以外の任務を終えた部隊は、現場に向かって下さい。
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