架け橋になろう

 赤い怪物たちの気配は徐々に遠ざかっていったが、クローシェは不安そうな表情のままとても眠れそうな様子ではなかった。ちょっと気分転換をしよう。そう思い、ガーネットキマイラの超常的な聴力で聞こえる声を当てにして二人で少し歩く。身長一七〇センチのモデル体型。長身だが華奢な身体を抱え、もう一つの洞窟に龍弥りゅうやが降り立つと、突然の怪物の登場に表情の強張った優斗ゆうとの隣で、じゅんがケタケタと笑った。二人は今日も何かの話をしていたようで、何度も繰り返された言葉の往復の暖かさがその場を満たしていた。

 隣を見る。兵士の青年に比べて、クローシェは落ち着いた表情でいてくれている。無用な混乱を避けるためにいままで優斗をほかの誰とも会わせたことはなかった。眠さに脳があまり働かないまま、紋章権能もんしょうけんのうを持たない彼女とならいざこざは起きないだろうと踏んでここに連れてきたが、間違いではなかったようだ。クローシェを始めとして、優斗と子どもたち、そしてガーデナーが上手く打ち解けてくれればいいが。

 静まった洞窟。いまだ緊張している優斗に声をかけようとして、疲れからいつかの間抜けが発動し、ふと足元の岩の出っ張りにつまずいた。軽い音と共に視界がぶれる。一九○センチの身体が横に揺れる感覚。倒れる。横、倒れた先には、少女がいる。やばい。そう思って背中から翼を生やして体勢を立て直そうとした龍弥の目の前で、クローシェの持っていた光る座布団『叙述された銀河たちナラティブ・ギャラクシー』が、きん、と鈴の音を鳴らした。瞬間、彼の巨躯が斥力で軽く弾き飛ばされ、龍弥は近くの地面にころんと転がった。

「ああ、ちょっと受け止めるだけのつもりだったのに、すみません龍弥さん!」

「それ、そんなことも出来るんだ、こっちこそごめん……」

 慌てて走って手を伸ばしてきたクローシェがいったことには、青い座布団は操作によって起動できる防衛機能を備えているようで、彼女に抱えられた小さなそれの表面には、英語で最大出力マキシマムという文字が浮かんでいる。洞窟内に響く笑い声。見ると純は龍弥に指をさしてこれ以上ないくらい楽しげな様子だ。

「いやぁ龍弥くんかっこいいね。女の子に倒れ掛かったら弾き飛ばされちゃってころんって、そんなに大きいのにころんって、くふ、あははははは、ひっひい、胸が苦しい」

 腹を抱えた大爆笑ののち、耐え切れない様子で近くの壁をこんこん殴りつけた青年は、そのままわざと自分に足払いをかけて転ぶと、ころんと呟いてまた大爆笑の渦に一人で突っ込んでいった。いつか洞窟でミネルヴァに振られたときといい、人の不幸を嘲笑うなんて失礼なやつだ。龍弥はそう思ったが、純の混ざりもののない気持ちがいいまでの笑いっぷりに、反対に不思議と清々しい気持ちにさえなっていた。それは他の紋章権能を持たない二人も同じようで、龍弥が紹介すると、彼らは含みのない笑顔で青い座布団の翻訳を介した英語と日本語を用いて挨拶を交わした。

「はっはっは、――あぁ、疲れた。龍弥くん自分が笑われてるのに気色悪い顔でにやにやしてないで責任取ってよどうしてくれるの」

「いつかぶっ飛ばしてやるからな、純」

「いつの間にかほかの二人も仲良くなってるし、そうだちょっとお話しようよ」

「お前は話を聞け」

 立ち上がり、身長一九○センチ青年のもはや滑稽な抗議を完全に無視して手を叩き合わせた純の仕切りによって、この奇妙な四人組の雑談の場が設けられた。ガーネットキマイラの泥の加熱で摂氏一五度ほどに保たれた月影の差す洞窟。冬の炉の前のような暖かい空気の中、淀みなく会話は続いた。お互いの趣味から始まって何度か転換した話題は、最終的に現状の確認に落ち付く。口に出し、聴き、感じ、頷き、真剣な表情で共有する。優斗とクローシェ、紋章権能を持たない彼らが語り、龍弥たちが付け加えて、改めて整理された状況はこうだ。

 二○一八年、西欧を中心とし、謎の黒い蝋の怪物が地面から湧き出るように現れた。自然の流れでクリーチャーと呼ばれることになったそれは、世界中の軍事力を総動員した数か月の戦いの末にある程度抑え込まれることになる。死者二八○○万人。当時大学二回生だった龍弥を含めて、闇色の蝋に泡立てられて形の残った非常に希少な生存者は、秘密裏に回収され研究のために保存された。

 二○二一年、平静を取り戻しかけた世界で、西欧を中心にもう一度黒い蝋の怪物が現れた。これは最初のものと区別して、第二期励起だいにれいきと呼ばれるらしい。かつての比ではない絶望的な規模と量。死者、行方不明者は数え切れず、二○二三年まで続く戦いの結果、人類は八億人程度まで総数を減らした。その戦いの中で、第二次大戦以降の国家的枠組みは崩壊し、世界の都市や地域に依拠する新世界方形原領域しんせかいほうけいげんりょういきという生活圏が代わりを担うこととなった。次第に黒い怪物に覆われていく世界で、クリーチャーが氷に弱いことと、龍弥たち第一期励起だいいちれいきの犠牲者たちが徐々に肉体を取り戻していることが判明する。名称の話をすれば、クリーチャーと同じく、新世界方形原領域ノア・クアドラータも、西欧圏から伝播したものが定着していったらしい。

 巨大な動物を模した黒い蝋の怪物に、人類は通常の火器以外にも様々な方法で対抗しようとした。その一つが生体実験であり、クローン人間、サイボーグなどの他に生み出されたのが龍弥たち能力者だった。しかし、日本では強力な能力者を生んだものの、その制御に問題があったらしいという。詳しい情報は末端の自分では分からないと優斗は付け加えた。

 結果として人類は冷凍兵器を主兵装としてクリーチャーたちと戦うことになり、討伐隊がどの新世界方形原領域しんせかいほうけいげんりょういきにも編成されることになる。特に、氷そのものや、レッド・クリーチャー、丹泥種たんでいしゅの泥を凍らせて作った武器は、紋章権能者やガーネットキマイラの力を大きく制限する効果があった。そして奇跡館計画の成果として、唯一制御問題を克服した榎木園已愛だけが、能力者で兵器として討伐部隊に味方することになった。

 人類はいまやアジア新世界方形原領域に限って生存していて、その数はわずかだが、討伐隊により植民計画が進められている。いずれ、世界をもう一度人の手に取り戻すために。

「最初の励起で日本に現れたクリーチャーは少なかったが、場所が悪かった。あの化け物は、天皇陵の土のなかから出てきたらしい」

 優斗は顔をしかめて言う。ある日突然沸いた怪物。政府や自衛隊の緊急対応で封じ込めが行われたが、取り逃した数匹が全国に散らばった。もし、龍弥たちがその犠牲にならなければ、このように敵対することもなく、むしろ味方として戦っていたかもしれない。

「俺はあんたらの紋章なんて化け物の証だと思ってた」

 俺の家族の仇と同じ、あの化け物の。第二励起により、他国から多くの黒い怪物が侵入し、数年を数える戦いの中で多くの人間が犠牲になった。加えて、二○二四年には、東京以北で熱を上げて暴れたガーネットキマイラがいたという。複数の新世界方形原領域、日本全域から集まった討伐隊の尽力があっても猛威を振るい続け、約半年の抗戦の後にようやく沈静化したらしい。優斗の両親を含めた数百人がその半人型丹泥種との争いの中で命を落としたようだ。

「でも、話して見れば、やっぱりあんたらとは違うみたいだ。ふざけた能力で人を三桁以上殺すような奴は、ここにはいない。そう、後で聞いたんだがあの怪物は――」

 優斗はその能力について口を開こうとする。龍弥の知る日本の半人型丹泥種。ガーネットキマイラ:オートノミー。奇跡館で泥を失っていた彼女。赤い怪人がそんなに多数いるとは思えない。そうなると、優斗の両親の仇というのが、いまも龍弥が無事を祈る彼女だということは十分にあり得る話だった。

 前とは反対に、優斗の口元に龍弥の意識が集中する。最初に話をしたときに、優斗には自分を含めて奇跡館の八人の能力についても一通り伝えている。純も、彼との対話の中で同じことを教えたかもしれない。ガーネットキマイラの二人から聞いていて、オートノミーが仇だと分かっているなら、優斗がこんな落ち着いた話し方はしないはずだ。彼女が彼の仇ではないか、彼女のもう一人についての能力しか彼が知らないか。龍弥は前者を祈ったが、万一優斗の口から、寄生生物を操る能力、という言葉が出てしまったらどんな顔をすればいいだろうという不安は消えなかった。自分の心拍が高まっていく感覚がする。威圧感がでないように必死に心を抑える。引き伸ばされる一瞬。音の遠のいた世界で、注目する言葉。眼前、名前の刺繡された服を着た青年はうーんと思い悩むような顔をして三回頭を掻いたのち、苦笑いをして言った。

「――あれ、何だったっけ、水に落ちた拍子に忘れちまった、ごめん……」

 肩透かし。直立の姿勢で全身を緊張させていた龍弥はふぅぅと長い息を吐き、そのままふらっと崩れ落ちてもう一度隣の光る座布団に弾き飛ばされた。咄嗟の事態に再び操作を誤ってあたふたするクローシェの横を通り抜けて、呆れ顔の青年はころんと転がった大男に手を伸ばす。

「龍弥くん、流石に二回目は芸がないよ。三点」

「勝手に採点するな……」

 他人の無様に落第点を付けた純は、そのまま倒れた巨体をその白い細腕からは想像できないような腕力で持ち上げると、表情を真剣なものに切り替えて言った。

「僕たちが、架け橋になろうよ」

 一瞬で空気が色を変える。底のない深淵の瞳が滑って龍弥を捉える。深く頷き、ほかの二人を確認すると、能力を持たない青年も、彼と同じくらいの身長の少女も、同じように静かに黙って頷いた。

 奇跡館きせきかんでは上手くいかなかった。いまやロウズはこの身体に溶け、記憶も失われかけている。だから、今度こそ本当の形で、ここを脱出して、何処か暖かいところへ行こう。優斗を含めて、誰の事情からも逃げはしない。どうにかして、彼らと和解する。そして、ロウズを、カノートを、取り戻せる限り、ほかの全ての人たちを取り戻す。温かい熱意に満ちた空気の中で、龍弥はいまだふらつく身体でその決意を新たにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る