海岸線に咲く向日葵
彼方、目が合う。と、同時に身体が動かなくなった。身体中がサイケデリックな色に染まった彼女の眼光が鋭く光る。『視線が合っている間、生物の身体の制御を奪う』という能力が起動している。
次に
龍弥はその姿を見て思い出す。【
例えば、已愛の中にある
しかし、それは上から現れた。
割れる月影、揺れる水面。降ってきたのは、一輪の花だ。
黄金のめしべ、もはや人ではない姿。水中、太陽の光の眩しさを全身に纏いながら砂地に降り立った三体目のガーネットキマイラ、ガーデナーは、既にその足元から伸びる黒い花びらを捻じ曲げて伸ばし、傷だらけのクローシェ、ミネルヴァ、そしてファーガルを絡め取っていた。泡の息を吐いた彼女は、龍弥と純もその花で掴むと、もう一人の能力を起動する。
『追われる限り、逃げられる』発動した途切れ途切れの彼女の能力は、迫る巨大な蛇との間を隔てる透明な壁に押されるようにして、全員を水底からカリフォルニアの凍り付いた海岸線まで運ぶまで持ちこたえた。雲も疎らに月影が照らす夜。ガーデナー。研ぎ澄まされ、獣染みた一重を悲しみに歪ませた彼女の背から、更に別の赤色の花弁が拡がる。
広く伸びた花に絡み取られた子どもたちが飲み込んだ海水を吐き出す。龍弥は中央に立つ女性に目をやる。悲しいのか。無音で彼女に問いかけると、彼女も無音で返す。水浸しの身体、白いワンピース。波紋を拡げる肌が風に揺れる。彼女もとんでもなく苦しみ、恐怖していた。超然さに反して、雨に打たれる向日葵に似てふらつくガーデナーは、その潤んだ赤い瞳を空に向けた。
『自身に太陽光を集積し、操る』。彼女自身の能力がとんでもない強度で行使される。夜が、さらにその帳を降ろす。月光、月に反射された太陽光に照らされていた海岸線が黒い闇に染まっていく。
集まる。半径何万キロに及ぶだろうか、地上を照らす月のスポットライトが、一気にすっと絞られて小さな花を静かに焼く。ガーデナーの足元の氷が熔けていく。莫大な量の光を集めたワンピースの彼女は、その熱量のままに凍て付いた地面を熔かして大きく陥没させる。泥に覆われ、熱に照らされ、麦わら帽子と着込んだ白い服が乾いて燃えていく。
いつか立ち枯れた向日葵は、背に負った花弁にありったけの光を溜める。燃え尽きるほどの気力が迸る。もはや夜闇に一つ浮かび上がる明かりを身に宿し、静かに蛇へと手を伸ばす。周囲、龍弥、
七月初旬のアメリカ西海岸。龍弥の周囲を冷気がすり抜けるのと同時に、ガーデナーの伸ばされた腕が紫電を纏う。危機を感じたらしい大蛇がいつか『奇跡館』で見た紫電の殻を纏い、その遥か奥に控えた戦艦も冷気で透明な盾を張る。――だが、何もかも遅いし、何もかも足りない。
冷たい夜の、闇を切り裂き、
あぁ、いま、せかいがまたたいた。
奔ったのは、波音も遠く、全てが凪いだ蒼白。
摂氏一万度超の熱プラズマ線。
夜の暗さと地鳴りと爆音を世界が取り戻したころ、龍弥の視界は艦橋を含めた船体の半分が溶解して黒煙を上げる鋼の威容と、吹き飛ばされてその隣に控え、焼け焦げた肌を晒す蛇を映した。
恐らく一生に一度の一撃。鶴の熱閃より数段強力な光は一瞬で紫電の殻を貫通し、艦船をその温度のままに泡立てて半壊させたらしい。
ばさっと、倒れる音がする。全身の泥をほとんど使い果たしたガーデナーの脇腹からは未だ多くの血が流れていて、さらに数秒後には頬に深い傷が刻まれていく。
『自分が受けた外傷を、加害したものに返す』。それは、何番目かの已愛の能力で、当の蛇はまた別の能力で傷を塞いでいた。月明かりが戻る。黒い花が消失したことで、倒れたガーデナーのもとに走り出そうとした子どもたちの身体が、また蛇のひと睨みによって硬直する。
龍弥は見回すが、一人少ない。カノートがいない。恐らく大きな傷を負って、純に取り込まれた。やはりだ。なくなってしまった。温かいものが、目の前から。涙は枯れ果てた。揺らめく視界にこれから失われるかもしれない全員を捉えて、龍弥はついに発狂し、今日いま一度その力を取り戻す。
爆発的に漏れ出た泥に身を染め、堅牢な鱗に身を包み、頭上に照り輝く光輪さえ備えたその姿は、まさしく神々しい龍そのものだった。しかし、そこにあるのは、見てくれの迫力だけだ。本当の雄々しさも、力強さも、気高さもない。ただ悲しくて恐ろしいばかりの龍は、已愛の能力を一瞬だけ振り切って、自身の五倍ほどの体格のある蛇へ飛び掛かった。『自分より小さいものに害されない』能力を持っている已愛に対してそれがどれだけ無意味なことであるのか、もう彼には分かっていなかった。
月明かりが照らす中、爆風と共に駆け回る
誰もが、龍弥を見ていた。ミネルヴァも、ファーガルも、倒れたままのガーデナーも、純でさえ、いまにも絞め殺されかけている彼を、最も恐れるべき悲劇を見るような目で見ていた。付き合いは長くない。けれども、みんながこんな顔をしてくれるくらいには、友好を深められていたらしい。みんなが、自分の死を恐れている。そのことに、脳の疲れ果てた龍弥はここにきてはじめて暖かい感情を抱いた。
『
ぼんやりとした視界の中、誰かが呼び掛ける声が聞こえてくる。それは一人ではなかった。何人分かの声が今際のきわの龍弥の耳に響く。全員が同じことを言っている。叫ぶように、「いまだ」。何がいまなのか分からないまま、龍弥の手が健康的な腕に捕まれる。快活で強気な女性、
「痛ぅ……こんな時に……」
視界がぶれ、砂浜に叩きつけられる。剣を頼りに立ち上がった龍弥は、目の前の蛇の怪物の長い胴に大きな刀傷が刻まれていること、自分の握った空色の剣にサイケデリックな色の血肉がべっとり付着していること、そして常時発動しているはずの已愛の『自分より小さなものに害されない』能力が不活性になっていることに気が付いた。
「試験個体、
「……ちっ、装備ばかり新式のガラクタが足を引っ張りやがって。――
巨大な蛇が、圧搾されて少女の形に戻る。已愛はサイケデリックな皮膚をうねらせながら呆然としたままの龍弥にそう言うと、まるでそこに階段があるように能力を使って空中を歩いていく。
金縛りが解けたと同時にファーガルとミネルヴァはガーデナーに駆け寄り、その隣に立つ龍弥と交互に見比べながら心配そうな顔を浮かべた。一方で、一人、ガーネットキマイラとなった一〇メートルほどの巨人は間髪入れずに已愛を追ったが、突如水面から跳び上がり、同じように彼女を襲った体長三メートルほどの赤いシャチがその小さい拳の殴打一撃でミンチ肉に変わったのを見て、苦笑いと共に足を止めた。
甲板上で黒い鎧に身を包んだ彼女の舟が、船腹から撃ち納めとばかりに最後の主砲弾と副砲群を掃射してくる。既にガーデナーの一撃の余波で龍弥たちの立っている海岸は大きな窪みになっていた。あとは飛ぶだけだ。
「ミネルヴァ!」
倒れたまま叫ぶガーデナーの声に呼応してミネルヴァの洞窟間瞬間移動能力が起動したのを感じながら、龍弥の意識は闇に落ちていった。
――我らみな死を畏れ 第二章 海岸線に咲く向日葵 完
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