七月四日 トンネルにてー2
時折うっかり割りそうになりながら皿洗いを終えると、
何ともなくそれを捉えていたから、数本のガソリンタンクと添えられた置手紙を見つけたのは、翌昼過ぎのことになった。結局、ガーネットキマイラ:ガーデナーは朝になって雨が止んでも、キャンピングトレーラーのあるトンネルに帰っては来なかった。混乱した様子の子どもたちを
明後日の昼から、アジア圏の新世界方形原領域が全世界に向けて飽和的に凍結ミサイルを発射することが分かった。時間の猶予はない。ガーネットキマイラ数人と能力者たちでこれから直ぐに交渉を仕掛けるが、最終的に武力衝突に発展する可能性が否めない。危険のため、うちのガキどもを一緒に連れていくことはしたくない。
龍弥、長くない仲だが、頼みがある。この交渉がどう流れようとも、必ず『
ボールペンでノートの切れ端に刻まれたその文字列に滲みだした思いを感じて、龍弥は一人頷いた。交換条件のありなしに関わらず、もとより、彼らを見捨てるつもりなどない。それは人らしい感情を取り戻しつつある彼自身の思いだった。
子どもたちから長く離れていられない。まだトンネルは威嚇が届く位置にあり、そもそもトレーラーには黒い怪物程度なら簡単に追い払える純が控えているとはいっても、この西海岸はほとんどが敵地だ。『奇跡館』で出会ったゾウのような赤い怪物、
両腕に合計一〇〇キログラムほどのガソリンタンクを握り、力を籠める。顔面に赤黒い紋章が浮かび、背に赤い翼が生える。屈伸し、飛び上がる。どんなに重量があっても、空を駆けることは大して難しくなかった。怪物、ガーネットキマイラ。その能力にいまは感謝するしかない。雲を頭に頂くほどの上空。眼下、ガーデナーのいうブラック・クリーチャーどもの覆う大地に、龍弥の威圧により色を取り戻した半径四キロメートルほどの円状の空間が浮かぶ。空間の中心を国道一〇一号線が貫くように通っており、遠く離れた場所からでもトラックがどのトンネルにあるかを辿るのは難しくない。
だから、気付いた。子どもたちのいる長さ五〇〇メートルほどのトンネル。そこに、アスファルトを勢い良く蹴って飛び込んだ、赤いハイエナの姿に。直後、銃声。トンネル内から響く戦闘音。悲鳴、叫び声。何を考えている暇もなかった。能力を借り、行使する。
『ミネルヴァ・マイルキューレ:紋章権能生体ソース・捕食された
洞窟から、洞窟へ、半径一〇キロメートル以内のテレポート。トレーラーとその周囲の子どもたちが蜃気楼のように姿を消したのと、それはほぼ同時だった。隕石。赤い鶴が、莫大な衝撃波を伴い、勢いのままに光の尾を引きながらトンネルの天井を形成している小さな山体に突っ込んだ。熱量一○キロトン。都市破壊爆弾に匹敵する一撃と共に、粉微塵になったガソリンタンクを放り捨てて、上面が全壊したトンネルに降り立つ。
「……チッ」
舌打ち。知っている。トンネルを熔かし、周囲数十メートルのアスファルトを泡立てるほどの熱波と衝撃を浴びせても、こちらを睨みながらゆっくりと移動するハイエナに大したダメージはないようだ。
ガーデナーに教わった。ガーネットキマイラと丹泥種の戦いに一撃必殺はない。攻撃力もさることながら、赤い怪物同士の最も優れた点は再生能力にある。攻撃を加え続け、赤い泥を全て引き剥がし、その肉体に止めを刺したものが勝者となる。『奇跡館』では、七対一で、確実に継続的な攻撃を加えられるだけの作戦を用意して、三〇分超かかった。一対一で、完全な無策。今度は、勝てるかどうかすら分からない。
目の前のハイエナが足に力を籠める。瞬間、爆音。超常的な動体視力を以て赤い怪物の亜音速の突進を受け止める。吹き荒れる暴風。砕けたアスファルトや山の残骸が小さな雲海のように舞い上がるが、次の激突の衝撃波によって跡形もなく払われる。
破壊されたトンネルの中で、怪物同士の戦いは続く。足を進め、引き、くるりと回って、ときおり高く飛び上がる。お互いが攻撃を避け、裏をかこうとする動きは、自然と踊りのような形になった。剣先は青色の線を引き、アスファルトに溢れる赤い体液から吹き上がる白い煙を切り刻みながら怪物を追う。同じように、煙を食い千切る勢いで飛び出た怪物の赤い顎が、幾度も龍弥の喉元に迫る。
どちらの赤い怪物も、次第に避け切ることが出来なくなってくる。飛び散る
怯え、喉が干上がる。息が出来ない。酸素の代わりに、悪寒が全身を巡る。頬を引き攣らせ、とめどなく涙を流しながら、龍弥は割れた金切り声を上げる。ふらつく身体。しかし、握った空色の剣は、莫大にその光を増す。
前々から、彼は何となく思い至っていた。『紋章権能』、この力は死を畏れるほどにその威力を高める。何もかも投げ捨てて、目の前のハイエナからいまにも逃げ出したい気持ちになっている、泣き顔の青年の能力は、襲い来る怪物の力を僅かだが確実に上回った。
嫌だ、怖い、死にたくない。理性は半分熔け落ちた。ただ襲い来る恐怖を払うためだけに、暴れ散らす赤い鶴。紅蓮の翼を叩きつけ、空色の剣を振り回す。激震、爆音、閃光。絶え間ない衝撃が、西海岸の大地を駆け抜ける。
意識を取り戻したころには、龍弥は逆円錐状に陥没した道路の中心に立っていて、握った空色の剣にへばりついた血と肉片を除き、赤いハイエナの痕跡は奇麗さっぱり消えていた。何とか倒したらしい。どれくらい時間がかかったか分からない。子どもたちは無事だろうか。そう思いながら歩みを進めようとして、気付いた。右足の膝から先がない。無意識で片足立ちしていたバランスが崩れ、日の照る道路に倒れる。忘れていた痛みと血の抜ける悪寒が全身を覆う。結局、汗の代わりに吹き出る赤い泥が傷を埋め合わせるまで、彼は呻きながら焼け付くアスファルトに転がっているばかりだった。
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