恋バナ
夕暮れ過ぎ、子どもたちのトラックが見つかったのは、最初のトンネルから八キロメートルほど離れた廃坑の中だった。ゴールドラッシュ。高校の歴史の教科書にちらっと書いてあった単語を思い浮かべながらそこに足を踏み入れた
「あ、いた! みんな、龍弥さんが!」
五体満足の彼を見るなり、驚き、安堵した表情になった彼女は、坑道内に響き渡る声を上げて薄暗がりの中を駆けてきた。彼女を抱き留めると、坑道の奥の闇からミネルヴァ・マイルキューレ、カノート・エスリム、ファーガル・ムーアが慌てて出てくる。彼らは帰ってきた青年の周囲に視線を彷徨わせたあと、不安そうな表情のまま彼を見た。
当たり前だ。龍弥はガーデナーを探しに出かけた。そして、子どもたちは
もう焼け焦げて消えてしまった置手紙の内容。それを伝えるには、いまが最適だと龍弥は判断した。出来るだけ落ち着いた表情と声色で、彼は言う。
「大丈夫。ガーデナーは無事だ。詳しいことは車で話そう、案内してくれるかい?」
頷く子どもたちに先導される形で、龍弥は約六時間ぶりにキャンピングトレーラーに辿り着くことになった。
「ねえ、龍弥くん。明日には日本に帰らない?」
深夜。クローシェたちが疲れて眠りについたころ、白い車体の上に寝転んだ大柄な青年に声がかかる。純だ。少し前、夕食を取りながら、龍弥がクローシェたちに事情を説明し、「君たちはガーデナーが戻ってくるまで俺が護る」的なことを言ったのを隣で聞いていた彼は、全てを忘れたような声色で続ける。
「ここに居たって、他に何も面白そうなことないし。聞いたところ、向こうでドンパチするかもしれないんでしょ。ちょっと寂しいけど、今夜みんなとお別れしてさ」
お別れ。不吉な単語に龍弥が身体を起こすと、井戸の底のような黒々とした瞳をした青年は、短い自分の髪を手ですいて、そのまま『
「殺すぞ」
「……うわぁ、そんな顔するんだ。ちょっと惚れちゃいそう」
静かな、それでいて激甚的な、ガーネットキマイラの威嚇。こんな攻撃的な言葉を使ったのはいつ以来だろうか。自分の荒っぽい振る舞いに内心少し驚いた龍弥をよそに、純は満足そうに笑った。銃を消滅させ、自身も廃坑の奥、暗闇の中に消えていく。
「とっても素敵な君に免じてもう少しだけ面倒に付き合ってあげるよ。でも勘違いしないでね。僕は一途なんだ、浮気なんてしないから」
一人で勝手に言うだけ言って何処かに行ってしまった純を見送って、再び車体に倒れ込む。
何度か彼に命を狙われた。『奇跡館』から脱出するときには、殺し合うような形にもなった。ガーネットキマイラと化した以上、さっきのハイエナほどの武力的な脅威にはならないとしても、飄々として嘘っぽく、底の見えない彼のことをもう少し深く知っておくべきではないか。ガーデナーが帰ってくるまで、それを自分の課題にしてみようと龍弥は考えたのだった。
翌朝、龍弥は鎖を担いでトレーラーを牽引していた。あの置手紙によれば、今日の昼には全世界にサン・フランシスコの浜辺で見た弾道ミサイルが撃ち放たれる。それまでにガーデナーたちガーネットキマイラの交渉が平和裏に終わっている可能性もあるし、そもそもここの周囲に落ちて来るとは限らないが、危険には備えたほうが良いことに変わりはない。
一八世紀、ゴールドラッシュ時代の廃坑。多くの人をアメリカ西海岸に移住させた夢の遺構は、朽ち果て、錆び付いたトロッコの路線と共に山の深奥まで続いている。進めば進むほど、適度な冷風が頬を撫でる。体感だが、トンネル内と比べて気温が一〇度くらい低い。左手に鎖を絡ませ、右手にささやかに燃え立つ炎の剣を握る。揺れる明かりが、一歩ごとに前方の壁面を照らす。漆黒の洞窟内でも、視界は龍弥の能力で確保できる。幸運にも食料は昨日大量に確保しておいたから、発電機を動かすガソリンがなくてもまだしばらくは生活できそうだ。もっとも、あまり換気が効かない以上、長居はすべきではないが。
歩くこと二時間と少し、特に何もなく土色の壁面にぶつかったところで、歩みを止める。廃坑の最奥は特に何の変哲もない行き止まりだった。錆び付いたトロッコの残骸と、打ち捨てられたスコップ、しけったダイナマイトらしきものが転がっているだけだ。天井を見上げる。入り口からここまで、坑道自体を支えるように続いていた木の支柱は殆どが腐り落ちている。
廃坑だ。今朝純に聞いたところ、入り口にはカリフォルニア州権限で立ち入り禁止の札が立っていたという。いまさら補強はしていられないし、ミネルヴァの能力をもう一度使って瞬間移動しても、ここより深く、安全で、かつクリーチャーが出ない洞窟に当たる可能性はそこまで高くない。生き埋め程度なら自分の鶴の力でどうにかこうにかなる。なんならその時に他の場所に渡っても良い。昼食の時間ですよ、と車内から手を振るクローシェに応えて、龍弥は鎖を置いた。
昼食。子どもたち全員と一緒に摂るのは二度目になる。昨日の丹泥種との戦闘と、ガーデナーについての説明で、彼らは大きく龍弥を信頼したようだった。一九〇センチの超然的な大男を見る目に、少しの恐怖はあっても嫌悪感はない。冷凍食品のチャーハンを人数分温め、食器と共に長テーブルに並べる。会話のない食事はどこか寂しいものがある。何か、良い、なるべく明るい話題はないだろうか。僕は一途なんだ、浮気なんてしないから。ふと、純の言葉が頭を過る。そうだ。彼のことを深く知るためにも、この話でいこう。
「みんな、突然だけど、恋バナしない?」
場が凍った。途端に戸惑いと恐怖に満ちた視線が殺到する。えっ、何。まずいこと言ったか。どうしよう助けての眼差しを隣に送ると、一人だけ呆れ顔で龍弥を見ていた純は、分かりやすく両手を広げて首を横に振り、ため息まで加えてこう言った。
「みんな半分人間辞めてる怪物にいきなりそんな気持ち悪い話振られても困るだけだと思うんだけど……」
「勢い全部乗っけてボロクソ言ってくるのやめてね」
昨日ちょっと恫喝したこと根に持ってるんですか。しれっとした顔の純に涙目の龍弥が抗議の眼差しを送る。その少しばかりコミカルな様子に、トレーラー内の空気が暖かく弛緩したところで、龍弥の丁度向かいに座る一人が声を上げた。
「私でしょ」
自信満々といった声。ミネルヴァ・マイルキューレ。綺麗な金髪に青い瞳、龍弥の思うステレオタイプの西洋人の感がある九歳の少女はすっと立ち上がると、まだ寸胴体形のその身体でパリコレ女優のように気張ったポーズを取りながら続ける。
「エスリム、ムーア、少なくともあんたたちはこの私でしょ。初恋の相手。二年前からずっとこの魅力的な私が隣に居るんだもの、互いに遠慮せずにさっさと取り合ったっていいのに、男って根性がないのね」
うわお。龍弥は思わず口笛を吹くところだった。まさに女王様然とした振る舞い。彼の二〇年ほどの人生のなかでここまで露骨に押しの強い人間とは出会ったことがない。流石アメリカ、世界は広いなあと感心した彼は、名前を呼ばれた二人の少年を見やる。
一人目、カノート・エスリム。純に似て飄々とした態度を取る一二歳の少年は、自前の浅黒い肌に手をやり、大人でしょ、なんとかしてよといわんばかりの目線を龍弥に返す。
二人目、ファーガル・ムーア。ミネルヴァと同い年、かつ同じ金髪碧眼で、何かにつけて彼女と元気に言い争っている印象の強いやんちゃな少年は、顔を赤らめて、長いブロンドの髪が触れるほど隣に座っているクローシェの方をちらちら気にしている。
推定で一〇代前半にして扇情的といって良いほどのプロポーションを持ったクローシェもクローシェでそのことに気付き、困ったような笑みを龍弥に向ける。
もう一度視点を戻すと、ミネルヴァは未だ自信満々に腕を組み、無い胸を張り、男子二人の言葉を目を瞑って待っている。あぁ、何というか、哀れだ。この子どもたちに、振る話題を間違えたかもしれない。隣で純が必死に笑いをこらえているのを尻目に、龍弥は見かねて助け舟を出した。
「俺は、とっても素敵だと思うよ。ミネルヴァちゃんは、随分モテるんだろうね、うん」
「え、あ、あの。悪いけど、私、
振られた。何が何だか分からないが一一歳下の子に勝手に振られた。人生でまだ一度も告白したことなんてないのに振られた。というか何だ純お兄さんってお前。
「ミネルヴァ、ありがとう。君って奴は最高だ、くっはははははは、ひぅ、ひひひ」
自らへの助け舟をすげなく水底に葬り去った少女を褒め称え、龍弥の肩をバンバン叩きながら爆笑する純。この男は昨日の夜君たちのことをしれっと殺そうとした、とんでもなく悪い奴なんですよ。思わず告発しそうになった龍弥だが、場を混乱させないように、湧き出た悲しみと合わせてぐっと飲み込んだ。
「私は、何も憶えてないですけど、ミスター・アーチスト、龍弥さんはとても素敵な方だと思います」
ちょっと項垂れかけていた龍弥の耳に、優しい声が飛び込んだ。顔を上げると、女優然とした容姿で褐色肌、ブロンドの美少女、クローシェが、励ますような目線を向けてきた。あまりのありがたさにまたちょっと涙が出そうになっている龍弥。そして、彼と彼女を交互に見比べて、ぐぬぬ、負けないぜ畜生と純粋に悔しがるファーガル。あぁ、こいつは実はあまり頼りにならないタイプの大人なんじゃないかと悟ったカノートがもう一人の大人である純に目をやると、やれやれといった顔で純朴そうな顔の青年は隣に目を
「で、言い出した龍弥くんはどうなの?」
「へ?」
正気に戻った身長一九〇センチの大男は、しまったと思った。恋バナを振ったまでは良かったが、あいにく生まれてこの方龍弥はその手の話題とは縁がなかった。小中高校は部活と勉強に忙しく、大学に入ったら彼女くらい何だかんだ自然にねえと高をくくっていたら二年目に黒い怪物に襲われてこの様だったからだ。
困った。期待の眼差しが殺到する。赤い髪が揺れ、芸術品染みた小麦色の頬はときおり熱に泡立つ。明らかに超然とした見た目を持ち、ガーデナーが留守にしているいま、この集団を率いる立場にある龍弥は、みんなが見た目通り期待するような話をすることが出来ない。
大体を見透かして、浅黒い肌の少年、カノートと純が視線を合わせる。頷き合い、面白いからしばらく様子を見ようという見解で落ち着いたらしい二人の冷たい圧力を感じながら、龍弥はガーネットキマイラの優れた思考を焼き付くまで働かせる。しかし残念ながら、いくら超然的な力をもってしても、ない恋愛経験をあることにすることはできない。それならば、と思考の矛先を変える。いまはもちろん彼女はいない。なら、これからどんな人と付き合いたいか、これで行こう。
「俺は、価値観の合う、出来れば優しい人がタイプかな……例えば――」
目を彷徨わせて、考える。芸能人……は、ダメだ。立場が違い過ぎる。学生時代の友人知人……もダメだ。そういった目で意識した人がいなかったわけではないが、朧げにしか思い出せない。ならば、アニメのキャラクター……はダメだ、何処となく子どもたちに白い目で見られそうな気がして嫌だ。
好きなタイプ、凡人然とした自分と話が合って、優しい、女性。思考を進めながら、一人の姿を思い浮かべる。と、途端にはっと息が詰まった。好きだったのか、いま思い至って好きになったのかは分からない。けれど、思い浮かんだ好意の対象に、彼は圧倒的なまでの喪失を感じた。
「――この中に、いる人、とか」
トン、と自分の胸を指さす。瞬間、車内の空気が固まった。湯河原ロウズ。様々なルートを使い、二年間血眼で探し回ったガーデナーがいうには、ガーネットキマイラのもう一人を取り戻す技術はまだ世界のどこにも存在しないらしい。
「あ、あの……ごめんなさい、私……」
「え、いや、こっちもごめん。はは、実は恥ずかしながら恋愛経験がなくて――」
いままで堂々と仁王立ちしていた金髪碧眼の少女、ミネルヴァがしゅんとしおれて申し訳なさそうな顔になったのに気付いて、慌てて龍弥はおちゃらけて見せる。しかし、重い空気が晴れる気配がない。しまった、明るく和気藹々とした雰囲気を生み出すことが目的だったのに。どうにもならない、助けてくれという視線を隣に送ると、やれやれといった顔で純が立ち上がった。
「僕には、好きな人がいる。目が覚めたらこんな世界になっちゃってて、その人が無事かどうかは分からない。けれど、僕はあらゆることを諦めるつもりはない。龍弥君もそれは同じだと思うし、みんなもそうだと思う。――みんなは、ガーデナーが帰ってきて、ここから離れ、安全に生活できるようになったら、何がしたい?」
重苦しく茫漠と拡がった空気を、前向きな決意に固め、そのまま流れるように将来性のある希望的な話題に切り替える。流石と言っても良い。ガーネットキマイラでもないのに機知に富み、英語を流暢に理解する純を中心に会話はひとしきり盛り上がり、車内の時計で午後二時を回ったところでお開きとなった。
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