ガーネットキマイラ
自身が後退することで再び背後の街を覆う黒い波の音を聞きながら、直線距離約三キロの道のりをゆっくり歩いて約一時間。昼過ぎ、辿り着いたビーチでは、何故かバーベキュー大会が始まっていた。
「さっきぶりだね、クローシェさん。僕がジュンだよ。目が覚めてお腹が空いてるんじゃないかな。きみの分も用意してあるから、こっちに来て」
パタパタとサンダルに砂を舞わせながら駆け寄ってきた純は、
「よォ、同族。気分はどうだよ?」
「あぁ……ええと、」
「分かるぜ分かるぜ。最悪だな、はははっ」
別にそこまでは言ってない。抗議の目を無視してガーデナーはキャンピングトレーラーの牽引用の鉄鎖を片腕に絡め、白い車体を引きずりながらバーベキューの一団から離れた。彼女は知っていた。龍弥が居たのでは、彼らが十分に楽しめない。『
ガーデナーはもう彼らとは数年を超える付き合いになり、慣れ親しんでいるので、もう普通に会話ができるが、出会って三日の龍弥は違う。彼に付き添って場所を変えたのは、何処となくガラの悪い彼女なりの優しさだろう。
初対面のガーネットキマイラと通常の『
龍弥が失くしたと思っていた食料品の袋だが、どうも抜け目のない純が回収して持って帰っていたようだ。それに含まれていた冷凍肉や野菜を使ってバーベキューが始まり、いまに至るという。龍弥が生存者を一人連れてくるだろうことも報告済みだったらしい。
「で、普通の人間なんか拾ってきてどうするつもりだ。
「忘れてないよ。でも、記憶がないらしいからノーカンってことで」
「適当なこと言いやがって全く……」
海を見ながら呆れたように吐き捨てたガーデナーを横目に、龍弥はまた白い車体に腰を預けた。
アメリカにおいて能力者と呼ばれる『紋章権能』に関連する生体実験の被験者は、黒蝋種に物理的な攻撃を受け、かつ辛うじて生命を保った者たちだった。事実上生体実験がなければ死に等しかった彼らは、他の種類の被験者たちと比較して、人権がほぼ無きに等しい扱いだったという。人間に死に瀕した生物の遺伝子を注入することで獲得される能力、『紋章権能』は完全にランダムであり、結局のところ戦術核などの現行兵器や、他の生体実験による成果などの方がコストパフォーマンス的にも優れていた。元々日本から派生した技術とされているが、日本で誰が主導してどういう能力者が生まれたのかという情報は通信基地の破断などによってこちらには入っていないらしいとガーデナーは付け加える。技術だけ貰ったか盗んだかして上手くいかなくてこの様さ、と彼女は笑った。
アメリカにおいて隷属することを良しとしない能力者の多くが反乱を起こした。しかし、成功し、世界に散らばって独自に生活を始めたのはわずかに過ぎなかった。自身とアーチストを除いた四名のガーネットキマイラと数十名の能力者がそれぞれ小規模のグループを作って存在していることをガーデナーは知っていて、全てのグループとしばしば連絡を取り合っているという。新世界方形原領域ロサンゼルスに非常戦力として拉致されて、結果デナリ山に墜落した二人も、いまは焼けた肉を頬張っている。微笑ましい光景に龍弥が息を吐くと、焦げ茶色の短髪の女性は大きな伸びをして白い車の天井に仰向けに倒れた。
「大体てめぇんとこ、『
「俺に聞かれても困るよ、目覚めたら白い部屋にいたんだから」
「そりゃそっか。悪ぃ。しっかし、小ズルい能力を持ったもんだよな、てめぇは」
「自覚はあるが、言い方ってもんがある」
ガーネットキマイラ。能力者が能力者を何らかの理由によって取り込むことによって生み出された二つの能力を持ち合わせる怪人は、はじめ、ほとんど凪いだ心を持っている。日々生活を続け、刺激に触れていくにつれて、彼らは超常さを保ちながら感情を取り戻していく。そして、完全に人としての機微を取り戻したころには、取り込んだもう一人の記憶は奇麗さっぱり消え去り、二つの能力をもった一個の人間だけが残る。ガーネットキマイラが実名でなく通称を名乗るようになったのは、そのもう一人を忘れないためという話だ。恐らく『奇跡館』で出会ったオートノミーという妙な名前も、そういう理由があってのことだったのだろう。
「自分じゃない方の能力を使えば、さらにそいつの記憶は度を増して消えてく。だからアタシらガーネットキマイラは一つの能力しか使わないようにしてんのさ。なのにてめぇは「行使されていない他人の能力を行使できる」って能力持ちだ。テメエの能力でもう一人の能力を起動できるってことだろ」
ワンピースの女性は、手をひらひらさせて愚痴気味に続ける。『行使されていない他人の能力を行使できる』龍弥の能力は、同時に一人の能力しか借りることができない。他のガーネットキマイラたちがいざとなれば二つの能力を行使できるのに、自分はどう頑張っても一つだけだ。その点で見れば大して不公平ではないのではないかという抗議の目を送る彼の視界に、ガーデナーの頭に輝く二つの髪留めが映る。短髪な彼女には不必要に思われるそれに、二人分の名前が刻まれているのを確認して、龍弥は少し黙り込んだ。それに気付いてガーデナーは呟く。
「セレナ・エイトヴェールがアタシで、リヴィア・ホワイトがもう一人だ。もう一人だっつってももう二年も経ってると名前くらいしか思い出せねえんだけどな。どうしてこんな化け物になったか、リヴィアがどんな奴だったかがまだ分かるのは、あのガキどものお陰だよ」
言って、ガーデナーは離れた場所でコンロを囲む子どもたちを指さす。やんちゃそうに見える金髪の少年ファーガル・ムーア、彼と鬼気迫った顔で肉を取り合っている少女ミネルヴァ・マイルキューレ。二人を宥める純に、地面に座ったまま空を眺めている少年、カノート・エスリム。少し遠巻きに見守る長身の少女クローシェは、戸惑いの表情を捨てて、どこか微笑ましそうに笑っている。
純を除けば平均年齢一二歳そこらの彼らが語って聞かせてくれるから、忘れないでいられるんだ。疲れたように笑うガーデナーの顔は寂しそうにそう告げていて、龍弥は返す言葉を持たなかった。
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