第二章 海岸線に咲く向日葵
崩れ去った街
冷たい夜の、闇を切り裂き、
あぁ、いま、せかいがまたたいた。
肩に重く圧し掛かっていた鉄鎖を降ろす。照り付ける太陽の熱と、寄せては返す波の音。カリフォルニア州旧道一〇一号線から海岸沿いに進むこと少し、ビーチ沿いを駆け回る数人の少年少女を見ながら、
「よォ、アーチスト。距離二〇〇キロの重量引きご苦労様だ。その身体には慣れたかよ」
ガーデナー。研ぎ澄まされ、獣染みた一重に、攻撃的な赤い瞳。焦げ茶色の短髪は風に揺れ、薄い白色の頬は時折同心円状の波紋を広げる。西海岸の陽に照らされ、彼女から伸びる影が複雑に折れ曲がり、枝分かれして車体を覆うように根を張る。
空気を震わせるほどの重圧。着ている白いワンピースと麦わら帽子が彼女を人の形に留めているのだと言われれば納得するほどの超然さを纏った二〇代後半の女性を尻目に、龍弥は返す。
「あぁ。そんなに悪くない気分だ。特に疲れてもいない。親切にどうも」
人間離れした様子の彼女に、龍弥はいまさら驚かない。彼も同じだからだ。高い身長、燃えるような赤い髪に、時折泡立つ肌。力を籠めれば、彼女の影と同じように背に白いボロボロの翼が生える彼は、喋るだけで空気を磨り潰しそうなほど超常的な圧を纏ったまま静かに目を閉じた。
夏だ。それなのに、セミの鳴く声はしない。波打ち際に、彼が連れてきた見知った人影以外の気配はない。それどころか、この砂浜が背負った街に一切の音がない。死の静寂だ。黒い波に覆われ、全てが熔かされた後の都市サン・フランシスコの静寂だ。ここら一帯の怪物どもは龍弥とガーデナーを恐れて寄ってこないが、ほんの数キロ先の大地は相変わらず斑な黒に満ちている。
デナリ山の頂上で二人の少年を助けた龍弥たちは、彼らを迎えに来たガーデナーたちと鉢合わせて戦闘になった。彼女たちは、龍弥らが彼らを襲撃したと勘違いしたらしい。数十分後、北アメリカ大陸最高峰の山体が三割方消し飛ぶことを代償にして誤解は解け、カリフォルニア州縦断の旅のいまに至る。
「おう、辛気臭え顔してんじゃねえぜ。ガキ共が遊んでる間に飯の用意だ。ここら辺のもの一通り掻っ攫って来てくれ」
思考を進める彼の前に、強盗紛いの発言をしながらガーデナーが降り立つ。北アメリカにおいて、人類は淘汰されてしまった。幅の広い道路だけは凹凸がありつつも形を残しているが、それ以外、電気、ガス、水道など、生活に必要なインフラはことごとく断線している。食料と消耗品を得るためには、黒蝋種に覆われて間もない地域のコンビニエンス・ストアや大型ショッピングモールの瓦礫からまだ食べられるものと使えるものを探して取って来るしかない。いま旧合衆国西海岸を縦断しながら生活している理由の一つはそれだ。
トレーラーハウスを離れ、着込んだ何の意匠もない白い服の肩口をすり抜けて、赤い鶴の翼を拡げる。足を折り、身を縮め、弾丸にも似て、一息に五〇〇メートルほど上空に飛び上がる。冷たい風を浴び、羊雲を冠した中空。見下ろせば、やはり眼下の世界は陸も海も斑な黒に覆われていて、ガーデナーたちがいるビーチを中心に半径二キロメートルほどの円状の空間だけが、くり抜かれたように鮮明な色を取り戻している。
羽ばたき、
トンと乾いた着地音と共に、周囲を見回す。折れ、火花を散らす電柱。凹みひび割れたアスファルト、熔けるように崩壊した街並みに、熱をはらんで重苦しい空気。足を進める前に、道路わきに鎮座した大聖堂を
視線を戻す。黒い蝋は見る限り街の至る所に残り、鉄やプラスチック、アスファルトを熔かして白煙を上げる。淡くもやもやとした視界の中、街道沿いに血の線を引いて倒れ伏した複数の五体不満足の死体を横目に、龍弥はまず手近な食料品店を探すことにした。
黒い怪物に覆われて、およそ三日程度経っている。前に見たとおり、電気設備はほとんど断線していると考えるべきで、元々街にあった生鮮食品や飲料水の類は全部腐ってしまっているに違いない。そうすると、カップ麺、缶詰め、乾きものなどが頼ることの出来る食料となる。サバイバルグッズ店あたりがついでに見付けられればありがたいが、どうだろうか。腐臭と生ぬるい空気と歪な風の音が無暗に賑やかす街を進みながら、龍弥は大きな倉庫型スーパーマーケットの残骸に辿り着いた。
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