喉と策戦

 図書室の入り口の扉はもうない。周囲の白い壁ごと吹き飛び、細かい瓦礫となって散弾のように書架に突き刺さると、蔵書を舞い上げながら砕けて、空中に歪な光を返している。見上げれば、中央ホールに根を張る折り重なった寄生樹の巨木が烈風にしなる。

 目を戻して確認する。相変わらず赤い液体を流し続けているゾウの姿は図書室前の廊下にある。このゾウは生き物なのか、そうではないのか。オートノミーの虫が蚕食できたところを見ると、少なくともあの泥にも似た液体の内部に肉体はありそうだ。再生するとしても、肉体がある限りどこかで体力の限界は訪れるはず。

 龍弥が思考を続けていると、廊下を駆ける音がした。一陣の風。自らの着物を解いて形成した盾を前面に張り出し、半裸のオートノミーが体当たりで怪物を弾き飛ばすのが見えた。貫くような衝撃波がドーム状の防壁を激しく揺らす。そのまま反動でふわっと宙に浮き、着地した彼女は、枯れ葉色の瞳で龍弥を一瞥すると、自身の喉を指さして目を戻し、轟音を伴うゾウの突進を受け止める。

 喉。喉が何だ。何を伝えようとしている。心臓を掴むような彼女の視線を受け、龍弥は神経が焼き切れるほどの勢いで頭を回す。オートノミー、あの全員の能力が書かれた栞を持っていた彼女は、『行使されていない限り、他人の能力を行使出来る』という彼の『紋章権能もんしょうけんのう』を知っている。その上で意図して、彼に伝えてきた。喉、それが、現状を打開できる何かに繋がるというのか。

龍弥りゅうや、ここには、お前たち二人だけか。市陽いちはるが部屋で寝込んでいるのは知っているが、已愛いあ、ユウ、それと、竹平純たけひらじゅんはどこにいるか知らないか。せめて二人は無事だといいが……」

 半透明の防護壁を維持しながら、令吾れいごが訪ねてくる。已愛も寝てて、私が部屋に置いてきちゃったから……。自身の代わりに背中のロウズが返答するのを聞きながら、龍弥ははっと気が付いた。喉。声、言葉……。もしかしたら……。

「どこにいるかは分からない。でも全員無事だよ」

 ロウズの言葉を聞き終わった令吾に、今度は龍弥が声をかける。市陽を含めた三人の能力は未だ借りることが出来るし、已愛の能力は現在も起動している。どうあれ、いまここより急場に立っているということはないだろう。

 どこにいるか分からないのに、どうして断言できるのか。そう、令吾やロウズは尋ねることをしなかった。彼の真剣な眼差しと声は、これまでの交流で育まれた信頼関係を根にして、二人を納得させるに余りあった。これからすることに、協力してくれ。龍弥は変わらず真剣な眼差しで、話を切り出す。龍弥自身の能力を明かして、短い説明を終えると、令吾は何の不信感もない様子で堂々と頷き、ロウズも力強く分かったと返答した。令吾にロウズを預け、叫んでみる。

大幕街おおまくまちユウ・紋章権能生体もんしょうけんのうせいたいソース・餓死した灰色狼ハイイロオオカミ

『権能名未設定・周囲の生物に、自身の声以外を認識出来なくさせる』

「――俺はこっちだ怪物め!」

 瞬間、世界を無明無音の漆黒が包み込み、その真ん中を張り裂けるような龍弥の声が貫いた。不意に感覚を奪われ、廊下に立った赤い怪物が、ふらつく身体で彼の方を向く。咆哮。突進が来る。しかし、ここは直線状の廊下ではなく、円形の図書室ホールだ。避ける算段は整えてある。

 ロウズを背負った大男、令吾が流れるように龍弥の腰を抱え上げると、足の筋肉を唸らせる。斜め四五度に飛び上がるの同時に、展開した防壁を床に叩きつけ、反作用で距離を延ばす。助走なし、二人を捕まえて跳躍およそ八メートル。

 背後、図書室中央ホールの寄生樹の巨木を半ばから圧し折る空振と激突音が響く。烈風が令吾の透明な盾を撫でる。この防壁を張る能力がなければ、蔵書と共に自分たちも図書室の一角に叩きつけられて死んでいたかもしれないし、突進自体が直撃すれば防壁すら役に立たずに粉微塵になっていただろう。その事実にロウズはたまらず息を呑んだが、男二人は別のことを考えていた。

 注意は引けた。つまり、ユウの能力は怪物に通用する。龍弥一人では命の危機が付きまとい、繰り返し二度三度行使することは出来ない。だが、同じ『紋章権能』を持った者が二人いれば、状況は大きく変わってくる。

 大男の目配せに、龍弥は頷く。時刻は午前四時三〇分。巨木に穴をあけ、図書室奥の職員カウンターに突っ込んだ赤い怪物が身体を起こすより先に、地下第一階層にいる全員に向けて、今日一番の声を上げる。

「聞いてくれ、俺に考えがある」

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