決戦

 一〇分後。地上階の大広間では、居場所の分からない竹平純たけひらじゅんと作戦行動中のオートノミーを除いた全員が円状に並んでいた。

 湯河原ゆがわらロウズは何とか息を落ち着かせながら、いつかこの大広間で彼女から聞いた言葉が嘘のように一人でしっかりと立っている。様子を察して、小柄な少女、榎木園已愛えきぞのいあはあえて彼女に近寄ろうとはしない。多くの外傷を負いながらも全く揺らぐ気配の見られない大男、二条令吾にじょうれいごも静かに構えている。本当に、私でいいの。そんな不安な表情を浮かべる大幕街おおまくまちユウを、隣の二条市陽にじょういちはるが勇気付ける。細身の優男は、彼女に話し終えると、真剣な表情で作戦の発案者をすがめた。

 ここ数日、いろいろなことがあった。たった数日間で築き上げられたささやかな関係は、しかしそれでも、無視しきれないリスクのある作戦を実行させるに至った。全員が、龍弥りゅうやに視線を送る。彼も、それを見回して、号令をかける。

「行くぞ!」

 熱気を孕んだ呼応の叫びが響く。そして、それら全てに覆い被さるような勢いで音がする。揺れが起こる。揺れが大きくなる。迫ってくる。地上階の階段口から、未だ赤い警告灯を発する廊下を貫き、各人の個室の前を通って一番初めに現れたのは、二対の羽根と赤黒い爆光を上げる紋章を背負ったオートノミーだった。 

 ところどころ焦げ跡のある青い髪がなびく。白磁の頬に流れる血はガーネットのように輝き、躍動する傷だらけの脚に沿って弾け飛ぶ汗が光を返す。

 力強く床を蹴って、彼女は大きく口を開き、叫びを上げる。高低差六オクターブ。地の底から響き、天上へと突き上げる声。それは、女神のような美しさを誇っていた怪物が放った獰猛なまでに本気の咆哮だ。

 オートノミーの拉げた羽根の中央から生えた二本の極太の蔦が、九〇度直上に張り詰めたかと思うと、彼女の進行方向、大広間の中央の方にしなった。頭上から何かを掘削するような音が聞こえる。

 そして、落ちてくる。円を描いて待機した六人の中央に、階段口から、ぐるっと廊下の天井を放物線状に抉り取って、蔦に絡み取られた、赤いゾウが。

 降り注いだ怪物が白い床に思い切り叩きつけられる。めきぃと音がして、床が浅く陥没する。こっちだ、化け物め。そう先に声を上げたのは龍弥だ。赤い泥を纏って立ち上がったゾウは、全ての感覚を奪われ、彼の声しか認識出来なくなる。

 怪物は鼻を鳴らして姿を晦まし、音の発生源に突撃する。龍弥がオートノミーの蔦に巻き取られる形でそれを躱すと、大広間の壁に頭と牙を突き刺した怪物へ、数十秒の隙をついて令吾たちが攻撃を加える。身体から常に溢れる発火性の泥のため、ゾウに直接触れてダメージを与えることはできない。令吾、市陽、已愛の三人の手にはそれぞれ銃器が握られていて、弾丸を大きな的に向けて撃ち放つ。

 誰かの『紋章権能もんしょうけんのう』によるものではない。こんな武器を何処で。いまは、そう質問する時間も必要もない。令吾が腹部に対戦車ライフル弾を叩きこみ、市陽がハンドガンで足元を牽制し、身体に一発が手首ほどの大きさがある弾帯を巻いた已愛が、軽快に走りながら、重量が一〇〇キロを優に超えるガトリング砲を片手で掴み上げ、音もなく全身を滅多撃ちにする。

『自分より小さいものに害されない』。已愛の能力は、彼女より体積の小さなものが彼女を害することを阻止するものだ。まさか、害になるなら、持った物の重量や、発砲音まで消すことが出来るとは思わなかった。驚く龍弥だったが、この素人仕事は赤い泥を纏った怪物にとって決定的なダメージにならない。あくまで体力を少しずつ削ることが目的だ。

 壁面から牙を抜いた怪物は、今度は震える透明な女性の声しか認識出来なくなる。視界が開け、赤い泥塊が声の元へ突進するが、命中せず再び壁面にめり込む。間髪入れずに、三人が再び攻撃を仕掛ける。ロウズは最初の一分を除いて作戦に加わっていない。生来身体が弱く、たった一〇分くらいでは体力が回復しなかった彼女は、数回の攻撃の後にオートノミーの蔦に支えられながら一足先に安全な自室に戻っていった。申し訳ないという彼女の顔を思い出しながら、龍弥は継戦する。  

 爆音が響き続けて三〇分。凹凸に満ち、天井を除いた五つの壁面が赤い液体にまみれた大広間。ゾウの動きは明らかに鈍っていて、身体を覆っていた赤い泥の隙間から浅黒い皮膚が覗くまでになっていた。

 もうそこまで来ると、オートノミーの力量が上回った。ゾウの足の皮膚がうねる。うねりは瞬く間に全身に広がる。赤色の怪物は咆哮を上げるが、もう遅い。ぐちゃぐちゃと響く咀嚼音。半壊した部屋の中心には、もはや皮だけになった怪物の亡骸が転がり、そこから肥え太った虫たちが這い出して来る。

 虫たちはオートノミーの身体を上ると、その口腔に吸い込まれ、喉に飲み込まれていく。青水色の四枚の羽根が拡がる。赤黒く焼けた彼女の皮膚がパリっと剥がれ落ちて、新しく白磁のような瑞々しい肌が現れる。

 まるで、命を吸い取るように、はじめから通して激戦を続けていた寄生種の女王の火傷や擦り傷は、完全に消えていた。崩壊した壁面が、潰れた個室が、徐々に修復されていく。廊下の赤い警告灯もなくなり、ただ白く茫漠な静寂だけが、危機が去ったことを告げる。

「みんな、ありがとう……」

 話したいことは、たくさんあった。この怪物について、自分が手にした栞について、そこにあった『紋章権能生体ソース』という言葉について、怪物の出現前に流れた謎の放送について。そして、自分が他人の能力全てをはじめから知っていたことについて。しかし、龍弥は視界が揺れるのを感じた。体力の限界だ。そう気付く前に、彼の身体は大広間に倒れ、意識は闇に溶けていった。

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