空に走る

バルバルさん

空に走る

 俺と詞は親友じゃない。

 よく周囲は俺と詞を親友だとか、ただ仲の良い友人のように扱うが、そんなのじゃないんだ。

 俺たちは戦友だ。戦い、争い合いの中で磨かれていく、そんな友人関係だ。唯一無二の争い合える相手が俺にとっては詞であり、詞にとっては俺だ。

 高校で知り合った俺たちは、初めのうちは接点というか、共通するものが走ることが好きであること以外には無かった。

 だが、走るという一点においては対等であり、ライバルであり、最高の戦友になることができた。今日は0.1秒速かっただの、遅かっただので笑い合い、泣き合い、ケンカし合い。そんな高校時代を共に送った。

 高校を卒業後は同じスポーツ系の大学に進学し、そこでも0.1秒単位の速さをめぐり、喜怒哀楽の感情をぶつけあっていた。

 そして今日も俺と詞は大学のグラウンドを走る。

 最近は長距離を走る特訓を中心にしている。これもすべて、俺たち二人の目標のためだ。

 来年度、俺たちの過ごす大学がある地区から近い場所でフルマラソンの大会がある。

 俺たちはもちろんエントリーした。俺たちにとって、フルマラソンは甲子園のようなものなのだから。

 今日の天気は快晴。だが遠くに雲が見える。

 走る、走る。駆ける、駆ける。そして結果は俺がほんのわずかに詞に負けた。


「あー畜生」

「今日は俺の勝ちだな、葵」


 お互いにスポーツドリンクを飲みながら休憩する俺たち。

 憎たらしい、だがどこか愛嬌のある笑顔を向ける詞に、俺も不敵に笑いかける。


「でもよ、次は俺が勝つぜ」

「あはは、だといいがな。次があれば、俺はもっと早くなってるぜ」

「言ってろ。でも来年度か。マラソン」

「ああ、そーだな」


 俺は、空を仰ぎながら言う。


「俺とお前、ワンツーフィニッシュでも狙ってやるか?」

「そりゃ無理だ、葵」

「あぁ?」


 どういう意味だろうか。空から視線を下ろすと。


「だって俺、死んでいるんだぜ?」


 ザアザアと雨が窓をたたく音でゆっくりと脳が覚醒していく。

 だが瞼が重い。ゆっくりと瞼をこじ開けながら、先ほどまでの夢を忘れる前に振り替える。

 どうやら夢を見ていたようだ。詞と走る夢を。夢の中でしかもう走れない戦友にして大親友の詞と、走る夢を。

 半分死んでいる頭と目でカレンダーを見れば、マラソンまで後六か月。

 走らなきゃなぁ。なんて思う反面、走ってどうする。そんな風に思う。

 アイツの死は唐突だった。本当に唐突だった。

 骨の癌だったらしく、あっけなく二度と走れない場所へ行ってしまった。

 アイツという存在が消えて、俺は身内が亡くなったがごとく、泣き叫んだ。泣き叫び、泣きはらし……そして悟った。もう二度と、アイツとは走れないと。

 時間というものは残酷なもので、アイツがいなくなった悲しみは癒えていってしまう。

 だが。傷が癒えたと思いグラウンドに立った時だった。

 走れないのだ。グラウンドを。思ったように走れないどころか、散々たる結果になった。

 なんでだ、なんて思わなかった。当然だと思う。俺があんなに速さにこだわり走れたのは、アイツの、詞と競ったからというのが大きいのだから。

 それから俺は腐った。

 もう二か月もまともに走っていない。

 俺に走りを教えてくれていた教師は、スクールカウンセラーを勧めてきたが、そんなんじゃない、そんなんじゃないんだ。

 アイツと走れないなら、頑張り、努力して、速く走る意味なんて無い。

 ああ、雨が憂鬱だ。もうひと眠りしよう。


 意識が沈む。どこまでも沈む。

 そんな中、夢を見た気がする。

 誰かが悲しそうな表情で俺を眺める夢。そして、その誰かは俺に言う。


「て が み」


 意識が浮かび上がった時には、もう誰が夢に現れたかなんて覚えていなかったけど。その言葉だけは印象に残っていた。

 そして、不意に思う。

 そういえば、アイツの墓参り。何かと理由をつけて行けていないな。

 行くか。覚悟を決めて。

 そう意を決し、俺は、部屋を出た。

 アイツの墓の場所に来たのは、実は初めてだ。戦友の納骨なんて、見ていられなかったから。

 俺は水をかけ、花を供え手を合わせる。

 すまない、俺、腐っちまってる。走りに意味が見いだせねぇんだ。

 そんなことを思っていると、後ろから声をかけられる。


「あなた、もしかして葵君?」

「え、あ。はい」

「ああ、会いたかったわ。わかる? 私、詞のお母さんよ」


 少し、疲れた様子の女性。一瞬判らなかったが、彼女は詞のお母さんだった。すこし話してみよう。雨上がりで天気が悪いから、長話はできないが。


「葵君に、渡さなきゃならない手紙があるの」

「っえ」

「はい、詞から、戦友のあなたにって」


 簡素な封筒に入ったノートのページ。俺は、その場でその手紙を読んでいいか聞き、許可を取って読み始めた。

 その筆跡は、間違いなく詞のだ。力強い筆跡で書かれた文章を、読んでいく。


『よお葵。まず最初に謝っとかないとな。ごめん。お前とマラソン、走れねぇ。多分、お前がこれを読んでる頃には、俺は走れる状態じゃないか、あるいは死んでるかだ。本当に心残りだよ。心残りで、悔しくて、悲しいよ。なんで俺がって何度も考えた。でもな、葵。俺が何を一番恐れているかわかるか?』


 そこで、筆跡が少し、乱れ始めた。まるで、悲しさをこらえるかのような筆跡だ。


『葵。俺が一番怖いのは、俺の死がお前の走りまで殺すことだよ。俺とお前の立場が逆だったら、俺は多分走れなくなるからよ。お前も同じじゃないかと思ってなぁ。そんなのもったいない。もったいないし、悲しいじゃないか。俺は死後にお前にそんな呪いをかけたくない。それが不安なんだ。だからよ、葵』


 段々と文面が滲んでくるのは、字が涙で滲んでいるからか、涙で視界が滲んでいるからか。


『俺が別の呪いをかけてやる。走れるようになる呪いを。俺はお前の0.1秒先を走っている。いつも自分の0.1秒先に俺が走っていると思ってくれ。その0.1秒をお前は突破するよう走るんだ。でもその先には俺がいる。そういう風に思ってくれないか? 大丈夫。お前は俺が戦友と認めた唯一の男だぜ? 大丈夫。できるさ』


「詞っ……馬鹿がよ……」


 涙が手紙へと落ちる。


「本当に馬鹿だ。俺は! なんて馬鹿だ」


 俺は目線を空に向ける。雲は薄く、太陽が顔を見せていた。


「詞。そっちから見てるかわかんねぇけど、見てろよ。お前が0.1秒先を走るなら。そんなもん一瞬で追い抜いてやるからよ。追い抜いて! やるからよぉ!」


 俺は、天に吠えた。

 その日から、俺は0.1秒先のアイツを追いこす特訓を始めた。


 マラソンまで残り一か月である。俺はグラウンドを走っていた。アイツは0.1秒先を走る。しかも、俺は二か月も走るのをさぼっていたのだ。今までの、3倍の努力を自分に課した。

 今日の天候は晴れ。だがうっすらと雨が降っている。そんなおかしな天気だ。俺は、天を見上げる。

 目に雨が入るが、そこまで違和感はない。天には虹が。大きな虹がかかっていた。

 詞。お前はそこを走っているのか?

 見ていろよ、いつまでも俺の0.1秒先を走れると思うなよ。

 いつか、お前を追い抜いてやるから。そっちで安心して見下ろしていてくれよ。

 で、そっちに俺も行ったら、その時は。

 その時は、お前の0.1秒先を俺が走ってやるからな。


 天には太陽。だが同時に雨を降らす矛盾をはらんだ天候。

 グラウンドの中央に立つのは葵。天に浮かぶ、太陽と空に走る虹を眺めながら、目から水を流す。

 その水は、果たして雨か、それとも戦友へ送る、決意を孕んだ涙か。

 それを知る者は、きっと向こうの世界でも、0.1秒先の彼と競い合って、空の上を走っているはずで……

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