第167話 先の先

「圧倒的な力の差で、身も心も屈服させてくれる!!」


 ヤミディレは俺よりも遥かに強い。

 俺はスペシャリストではなく、ジェネラリストとして総合力を伸ばすという方針の下でトレーニングしてきたものの、その総合力でもヤミディレの方が上回るだろう。

 だが、この追いかけっこには自信があった。

 それは、大会では使わなかったものの、新たに身に着ける『必殺技』のため、そのトレーニングの一環としてこういうのをやっていた。



――なぁ、カルイ。俺とトレーニングのような遊びをしねえか?


――およ? トレーニングはめんどーっすけど、遊びならいいっすよ~。でも、アマエはいいんすか?


――ああ。遊びとはいえ真剣だからな。


――ほ~、何やるんすか?



 これは、俺よりも遥かにスピードがあり……それどころか、この国でも最速のスプリンター相手に鍛えたもの。



――鬼ごっこ



 さあ、俺を捕まえてみろ!

 低空飛行で俺を追いかけてきたヤミディレもようやく森へと入った。

 そして、俺に向けて手を伸ばそうとする。

 だが……


「くくく、確かにスピードはまあまあだが、カルイよりも遥かに―――」

『アウト!』


 まっすぐ走って途中で直角に左へと方向転換。


「無駄だ、私の紋章眼ならその程度の方向転換は―――」

『コーナー!』


 今度は斜め右へダッシュ。しかし、俺を追いかけるヤミディレは余裕の様子。


「ほらほら、どうした! 貴様の動きは丸分かりだぞ? その先には岩壁があるというのに自ら逃げ場のない場所へ―――」

『ウォールラン! スピードを落とすな!』

「……ん? ……ほう、登るのか?」


 立ちはだかる壁に対して斜めから走って、壁を蹴り、勢いにまかせてもう片方の足でもう一度壁を蹴って、そのまま壁の上へ。

 


『岩の上を走って助走を付けながら真っすぐ大きく飛べ!』 


「ほう、種馬でも暴れ馬でもなく、猿か?」


『目印は目の前の大木の枝! 着地と同時に枝をしならせながら、前方へ飛べ!』


「はははははは、頑張って逃げるではないか! だが、それで私から逃げられると思うな?」


『着地! パルクールロール! そして、そのまままっすぐ走れ!』


 

 段差のある所から斜めに飛んで前転するような着地。

 こうすることで、体への衝撃を分散し、更に前転の勢いを利用して体を起こしてそのまま再び次のダッシュへとつなげることが出来る。



「スピードそのものはブレイクスルーを使っても、カルイには劣るが……走りの技術は、カルイを遥かに上回っている。格闘術だけでなく、こっちもやるではないか」


『ふむ、ヤミディレのイラつきも少し収まってきたか? だが……それもすぐに乱してやる』


「だが、次代の神を創生する種ともなる男が、いつまでもみっともなく逃げ回るのは看過できんなァァァ!!」



 かつて、シノブと追いかけっこをしていたときよりも遥かに俺は走りの速さも技術も向上している。

 だが、それでも、この生い茂る森を翼で華麗に舞うヤミディレを振り切れない。

 俺の方向転換、更には障害物の枝や木々を軽やかに回避して、むしろ俺を追いかけて追いつめることを楽しんでいるかのように邪悪な笑みを浮かべている。


「そろそろ捕まえてやる! もう、貴様の動きも行動パターンも読み切った! ここから先、貴様がどのように逃げようとも、その先に回り込んで――――」


 ヤミディレの紋章眼による目の力は超人の域にある。

 俺の僅かな視線、肩、肘、腕の振り、足、筋肉、全ての動きを掌握し、そのうえで次の行動、先の先までまるで予知のように見切ることができる。

 だから、本来なら俺はもっと早く捕まってもおかしくはない。

 だが……


「ここだ! チェックメイトだ! 貴様はそこから……」

『クイックアウト!』

「なっ……なに!?」


 ヤミディレの声が段々と近づき、正に今、俺を捕えようとしたときに、アウトサイドに俺は方向転換。

 その瞬間、ヤミディレは初めて俺の動きに裏をかかれた。

 ヤミディレも予期していない方向転換に、翼の動きがついて来れずに、そのまま真っすぐ飛んでいき、俺との距離が再び開いた。


「……どういうことだ? ちっ、待て! 今度こそ……」

『ポスト!』

「え? また……」


 今度の指示で左斜め前へと切り返し。


「私が……読み違えた……だと? 途中で筋肉の動きが……変わった? 私が反応した瞬間に!?」


 その瞬間、ヤミディレから戸惑った声が聞こえた。

 動きを先読みできるヤミディレが、なぜ俺に裏を取られるのか?


『当たり前だ。紋章眼? それがどうした。余はその上位互換である六道眼を所有し、先読み、空間の把握能力、経験値、全てヤミディレを遥かに凌駕し、ヤミディレの思考回路や総合能力、そして動きや行動パターンも、余は全て知り尽くしているのだ……そして……童のこともな』


 答えは簡単だ。トレイナが居るからだ。


『ヤミディレ……貴様が童の動きを先読みし、そこで貴様がどう動くか、それを余が瞬時に読み取ってさらにその先の逆を突く指示を出す……急な方向転換は筋肉を痛めるが……それについていくだけの走り込みを童はしてきた。また、普通ならどうしても指示から実行までのタイムラグはあるが……五カ月もの間、起きているときも、夢の中でも、四六時中共に過ごし一心同体だった余と童なら、そのようなもの、簡単に埋められる!』


 ヤミディレが先読みする俺の動きをトレイナが更に先読みして裏をかく。

 

「……紋章眼の裏を……この小僧、どうして……まるで私の思考や動きを逆に読んでいるような……」

『左後ろ斜め四十五度にソニックフリッカー! 考える隙を与えるな!』

「大魔ソニックフリッカー!」

『よし、打ったと同時にまた前へ走れ!』


 そして、俺ももはや相手をイチイチ見たり確認したりせず、とにかく言われるがまま言われた方向に体を向けて拳を放つ。


「ぬっ?! ぐっ、が……っ……おのれ、ちょこざいな!!」


 唯一、ヤミディレが怒っている声だけが聞こえるも、既に俺は前を向いて走っている。

 

『余の目は誤魔化せんぞ、ヤミディレ。一目でわかる。貴様は確かに世界最強クラスの力を持っているが、余が知る十五年前より強くなっているわけではない。それどころか長い間、命をすり減らすような実戦や、己を高める血の滲むような修練はこなしていなかったのだろう。魔極真道場の師範として最低限の衰えないための鍛錬はしたのかもしれないが、体の感覚やキレが鈍っているのが容易に分かるぞ!』


 パワー、スピード。テクニック。それで足りない相手には……タクティクスで勝つ!

 それを史上最高の頭脳が手を貸してくれるのだ。


「ちっ……なら……」

『ここで振り返り、真後ろにソニックジャブの連打だ!』

「私の魔法で、メガウィンドカッ……な、にい!?」


 フリッカーではなく、まっすぐ飛ぶ、速度重視の衝撃波。


「ばかな! 私が魔法を発動する前に……まるで、私が魔法を撃つことを分かっていたかのように……」


 距離が離れれば衝撃波の威力も弱まるが、それでもトレイナの指示なので構わず放つ。

 すると、俺のジャブの連打が『何か』にぶつかったのか、ヤミディレのまたイラつく声だけが微かに聞こえた。



『よし、この距離だ! この距離を維持したまま、木々に飛び移って、奴の後ろに回り込め。この距離は紋章眼の範囲外だ』


「くっ……ぬっ!? また逃げたか! 隠れても無駄だ! この紋章眼に死角はない!」


『聞く耳を持つな。紋章眼にも死角はある。どうしてもカバーできない位置や距離というものがな……』


「出てこい! でなければ、辺り一帯を吹き飛ばすぞ!」


『吹き飛ばさぬ。まだ、奴はそこまで取り乱していない。無駄に魔力を消費することはしない』



 おお、あの世界最強クラスを相手に俺が未だに無傷で逃げ切れている。

 いや、逃げているんじゃない。

 これは戦略。



『よし、旋回! 再びソニックフリッカーで移動しながら連打だ。常に移動して、発射位置を悟らせず、時には止まり、時にはバックステップで戻り、時には今より高い位置に、時には下に降りる。よいな』


「押忍、大魔ソニックフリッカー!」


『上上下下左右左右フリッカー!』


 

 そう、戦っているんだ。


「なっ、くぐ、あ……こんなもの何発受けようと……ええええい! ウザったい!!」


 かつての俺なら、対峙したら一秒で首を刎ねられていたかもしれない相手を、俺はイラつかせて、翻弄している。


『よし……そろそろだな。少しずつ後退し、さらに距離を取れ』


 いや、「俺」じゃねえな。「俺たち」だ。

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