第157話 俺のため

 戦えない。

 だから、止めることは出来ないというのがサディスの答えだった。


「……う……うぅ……」


 嗚咽を漏らすサディスの姿に俺も胸が締め付けられる。

 俺も堪えなければ、涙が零れていたかもしれない。

 

「……坊ちゃま……」

「ああ」

「それでは坊ちゃまは……もう……これからも……帰るつもりはない……そういうことなのですか?」


 その問いは、「もう二度と家に帰るつもりはないのか?」という意味だ。

 確かに俺は、帝都から飛び出すときは「もう二度と戻るものか」みたいな勢いだったな。

 だから、そうなのかもしれない。


「……まぁ……」


 何故なら、サディスと再会したときは、サディスから卒業するということは考えたけど、帝都に帰るとかそういうことは考えなかった。

 そして、改めて問われて考えると……


「少なくとも今の時点で……帰る気にもならないし、帰りたくもないし、帰る理由もないし……もう……帝都の連中の前に顔を出す気にもならねーし……」


 サディスのことは別に怒っていない。

 仕方のないことだと自分でも納得している。

 一方で、俺に罵詈雑言を浴びせた帝都の連中は?

 まぁ、俺が大魔王の技を使ったり、勇者の親父を殴ったり、姫の手を払いのけたりという所業を目の当たりにしたんだ。

 そんな俺に批判するのは仕方のないことかもしれないが、帝都の連中に関してはそれで流してやる気にはならなかった。


「まぁ、帰らねーんじゃねーのかな?」

「……しかし、大魔王の技を使われたことは……アレは……」

「大魔王の技を使ったこととか……親父を殴ったこととか……それに対する非難だけじゃないしな……嫌になったのは」

「え……?」


 少なくとも、今の「勇者の息子だった俺」が帰るような場所じゃない。

 帝都そのものを拒絶したことは、サディスとのわだかまりとは「理由」が違う。


「旦那様も! 奥様も! それに、姫様たちも皆……坊ちゃまを心から心配しております! せめて……せめて、もう一度……話をするだけでも……」


 親父……母さん……最後に見た二人は……



――父ちゃんも、母ちゃんも、サディスもお前のことを心から愛している! 信じろ! 家族だろ!



 御前試合でそう言ってきた親父を俺は殴って……



――待ってって、ねえ、アース!



 カンティーダンで俺を見つけて必死に追いかけてきた母さんに一度も振り返らずにここまで来た。

 確かに、俺も感情的に逃げてきたとも言える。

 サディスのように、行き違いもあるし、説明すれば親父も母さんも俺を受け入れてくれるかもしれない。

 でも、今はまだ……


「もし帰ったとしても……その時は……」

「そのときは?」

「もっと……俺が何か……自分に自信が持てるようになってからだよ……」


 じゃないと、結局元通りになっちまう。それだけは嫌だ。


「親父を殴ってまで出て来たんだ……半端じゃダメだ……『どうだ見たかこの野郎』って言えるぐらいにならなきゃ……俺はまた、ただの勇者の息子……勇者の家に生まれただけの男になっちまう……それだけの自信と成果が俺は欲しい」


 俺はまだ何も成し遂げてもいないし、もっと……今よりもっと……


「自信? 成果? 坊ちゃまは強くなられたではないですか! 強敵集う大会で優勝もされました! 私は記憶を無くしていたとはいえ、坊ちゃまがどれだけこのカクレテールで血の滲むような努力をされてきたかをこの目で見ています!」


 確かに、俺は努力したし、優勝という初めての成果を得た。

 でも、親父と母さんの偉業に比べたら……


「ああ、優勝は嬉しいし、誇らしいよ。でもな……あくまでアレは課題であり、ゴールじゃねえぞって……」

「ッ!? ……っ……」


 その瞬間、またサディスの目が鋭くなった。

 

「そう……大魔王に言われたのですか?」

「え?」 

「私の知る『以前』の坊ちゃまなら……もっと……浮かれるかと……そんなストイックで向上心を持たれたのは……大魔王がそう言い、坊ちゃまがそれに影響されたからということですか?」


 言葉に詰まっちまったが、正にその通りだった。

 多分、帝国に居た頃の俺だったらこんな風には思わなかっただろう。

 サディスの言うように浮かれて……


「……なんですか……なんですか、それは! 私は……私は!」


 そして、サディスはまた叫び、でもすぐに額を抑えて俯いて……



「私は……旦那様、奥様、そして坊ちゃま……四人で過ごす時間が大好きで……幸せで……あの日々をもう一度取り戻したいと……失いたくない……坊ちゃまを必ず連れ戻す……そんなことばかり考えて……坊ちゃまのためを考え? 違う……私は……自分が幸せになることしか考えず……」


「サディス……」


「何故!? 何故、大魔王などが……大魔王は……坊ちゃまのために……坊ちゃまがより成長できる助言を……坊ちゃまが強くなれる的確な指導を……どうして……私が本来しなければならなかった……坊ちゃまの苦悩を……追いつめられるまで気付かなかった……ことを……なぜ、大魔王ができると……」



 悲しみと同時に、どこか悔しそうに歯噛みしているサディス。

 

「何が一番……坊ちゃまのためになるか……何が必要だったのか……坊ちゃまを勇者の息子としてではなく……アース・ラガンとして、どうして私は……見ることが……どうして坊ちゃまのために生きようと誓った私にそれができなかった! どうして!」


 自分をまた責め始める。

 俺は、そんなサディスにかける言葉が見つからず、そしてサディスは荒くした息を少し整えて……


「坊ちゃま……今……二人で……充実していると言いましたね?」

「ん? あ……ああ」

「その日々は……的確な指導で強くなっているとかそういうことだけでなく……坊ちゃまは……笑顔で居ることもできていますか? 何気ない日常で……楽しいことも……ちゃんと……笑うことが出来ていますか?」


 ちゃんと、俺が笑顔で居ることができているか?

 そんなもの、思い返すまでもなく答えられた。

 サディスからすれば「ふざけるな」と言ってしまうことだろうし、親父も母さんも許さないだろう。

 でも、俺はトレイナと過ごして……



「記憶を無くしてたとしても……この国での三カ月……見ていただろ?」


「……坊ちゃま……」


「ごめん……サディス。俺……楽しいんだ」


『……まったく……馬鹿ものが……黙って戻れば……やり直せるというのに……』

 


 どうしてもウソはつけなかった。

 ここ数年、ここまで濃くて充実してバカみたいに笑ったことは無かった。


「……そうですか……」


 そんな俺の答えに、サディスは失望したのだろうか? 呆れたのだろうか? もう、俺のことを憎むだろうか?

 


「大魔王……一つ……あなたは……どうして私の故郷を……~~~っ……いえ……違う……そうじゃない……」


「サディス……」


「今一番大事なのは……もう……そこでは……くぅ……うっ……うう」



 サディスは一度何かを言いかけたが、すぐにそれをやめ、代わりに……



「大魔王! そこに居るのなら聞きなさい! これは私が一方的に言う言葉! 坊ちゃまを介しての返答は不要!」


『……ぬ?』



 サディスは俺ではなく、その姿は見えなくとも、トレイナに向かって……

 


「もし、これから先の旅で坊ちゃまの身に何かあってみなさい。私も死に、霊体となって必ずやあなたを探し出して地獄の底に叩き落します! 必ずです! どのような言い訳も聞かない!」


『ぬ、ぬぅ?』


「私から全てを奪った存在に、この世で最も大切な坊ちゃまを委ねるなど……心が抉られるほどつらい……今すぐにでもエクソシストを探し出して大魔王を坊ちゃまから祓う手段を徹底的に探したいほどの衝動です……大魔王トレイナが憎い! 仮にかつて、どのような大義があったとしても、私は絶対に許さない! ですが……それでも……本当に坊ちゃまのためを想うのなら……」



 感情的に一方的に、しかし苦渋に満ちた想いをトレイナに言う。


「そして、坊ちゃま」

 

 そして、今度は俺を見て……



「可愛い子には旅をさせよではありませんが……納得したわけではありませんが……私はもう何があろうと、坊ちゃまの味方です。正しい、正しくないはもう知りません。坊ちゃまのお望みのまま……どうか存分に……」


「サディス」


「坊ちゃまを勇者の息子としてしか導こうとせず……何がアース・ラガンにとって一番正しかったのかを見極めることができなかった私にはもう……何もできませんし……資格もありません……ですが……せめて坊ちゃまを見送り……祈ることをお許しください」



 複雑そうにしながらも、寂しそうにしながらも、それでも精一杯笑おうとして俺を見るサディス。

 その表情に俺はたまらなく申し訳なく思うと同時に、俺もまた涙が出そうになる。


「そして、坊ちゃま。最後に……私からの我儘を一つだけ言ってもよろしいでしょうか?」

「ん?」


 そして、俺に切なそうに微笑みながら告げるサディスの最後の願い。それは……


「最後に……ハグをさせてもらえませんか? いってらっしゃいの意味も込めて」


 俺に断る理由は無かった。


「それなら、喜んで」

 

 ゆっくりと手が回され、その温もりと、昔から知っている落ち着く香り。

 サディスに包まれると、やっぱり心が安らぐ。


「嗚呼……昔は簡単に抱っこできましたのに……今はこうして同じくらいの背に……本当に……大きく逞しくなられました」

「ああ。今頃気付いたか?」

「ええ。そんなことにも気づかないなど……色々と失格ですね、私は。奥様も……同じようなことを仰ってました」

「そっか」


 俺も今の自分の顔は見せられなかった。


「サディス」

「はい?」

「今まで……ありがとう……そして……見送ってくれて……ありがとう」


 もう一度、こうして正面からサディスと向き合えると思わなかった。

 今、一番つらいのはサディスだ。

 だけど、それでも俺を見送ることを選んでくれた。

 一緒に居ることは出来ない。

 でも、それでも……



「坊ちゃま。旦那様に、『どうだ!』と言えるぐらい……世界に轟くほどの方になるのを待っていますが……つらくなったらいつでも……」


「だか、ら……甘やか……うぅ……なよ」


「大好きです。この世界中の誰よりも。これから先、何かあろうとずっとあなたのことを想っています。いつでも私を呼んでください。世界の果てでも駆けつけますから」


「っ、う……さ……でぃす……」


「そして……願わくば――」



 自分では「もう切り捨てた過去」なんて言ってたくせに、俺もホント都合のいい。

 また、トレイナに何か言われちまうかな?



『構わんさ。たまにはな』



 そのとき、トレイナの声が、何だかとても優しく感じた。




―――第四章 完―――

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