第156話 二人

 夕方だからか、浜辺に人はあまりいなかった。

 俺とサディスは砂浜に腰を降ろし、俺に何があったのかを話した。


 あの日、トレイナと出会ったこと。


 俺に憑りついたことで、トレイナが外の世界へ出られるようになったこと。


 なんやかんやで、俺のことを指導してくれるようになったこと。


 これまでやったことのない珍しいトレーニングを実施したこと。


 一緒に小説を読んだこと。


 厳しくされたこと。


 からかったこと。


 言い合いになったこと。


 背中を押し出してもらったこと。


 簡潔には話せない。それほど濃い日々だったと自分でも思っている。

 そんな俺の話を、サディスも途中で割ったりしないでずっと黙って聞いていた。


「そして……俺は教えてもらった……大魔螺旋という技。それが……サディスにとってどんな技かは知らなかった……」


 サディスから全てを奪った技。

 俺はサディスから全てを奪った張本人から教えを請うた。

 だから、サディスが御前試合であれだけ取り乱したのは仕方のないこと。

 サディスを恨むわけにはいかない。

 ただ、問題なのはそれからだ。


「サディス……俺はこの技がどういう技だったかを知った……でも、さっきそれでも使った。これからも……使うよ」

「…………」

「だから……ごめんは……俺のほうなんだ……サディス」


 俺は戦争の時代を知らない。

 でも、トレイナが何をしたかは知っている。

 トレイナがサディスから何を奪ってしまったのかも知っている。

 サディスがトレイナを絶対に許せないだろうことも分かっている。


「俺のこと……軽蔑してもいいし……許せなくても……それでも……」


 正直、いきなりこんなことを言われても信じることも、頭の中を整理することもできないだろう。

 俺には幽霊が見えて、その幽霊は大魔王トレイナだっていうんだからな。

 正直、俺とサディスがこういう状況にならずに話をしていたら、「頭大丈夫ですか?」で片づけられていただろう。

 でも、俺はトレイナの技を使った。

 それをどう説明する?

 全部言うしかなかった。


「ま、待ってください……坊ちゃま……その、もう少し……」


 俺を真っ向から否定することはしないものの、サディスも混乱して頭を抱えてしまっていた。


「正直……目に見えないものをいきなり言われましても……ただ……『大魔王の幽霊が見える』という点さえ納得すれば、これまでの全てに辻褄が合うのも事実ではありますが……」


 この反応は当然のこと。

 頭のいいサディスでも、いきなり幽霊なんて存在を言われても、すぐには信じることはできないだろう。

 とはいえ、俺が嘘を言っていないということもサディスは分かっている。


「……その……全て本当だとして……大魔王の幽霊は……坊ちゃまに何か危害を加えるようなことは……」

「それはねぇよ。姿は見えるし、会話もできるけど、触ることはできないし、この状態だとトレイナも俺に魔法を使うこともできない」

「そう……ですか。で、でも……会話、できるということは……その……何と言いますか……その……」


 サディスのその言いにくそうにしている様子を見て、何を問いたいかが俺には分かった。

 想定していたことだった。


「俺は脅されてもいないし……自分では……言葉巧みに言いくるめられていたり……洗脳されていないと思っている……影響は受けているけどな」

「ッ!? 坊ちゃま……あ……っ……申し訳ありません……そんなつもりは……」


 俺が洗脳でもされているんじゃないか? 

 そう思っても仕方ないだろう。

 実際、トレイナの言葉で俺は結構左右されたり、熱くなったり、考えさせられたり、そういうことはあった。

 これも人から見れば洗脳ととれるかもしれねえ。

 でも、俺はそんなんじゃないと思いたい。


「トレイナ……あんた、俺を洗脳してるか?」

『するか! 馬鹿者!』

「するか……馬鹿者……今、そう怒られた。くはははは……馬鹿らしくて信じられないか?」


 こういうやり取りをしても、トレイナの存在をバラしても、サディスには俺が一人でバカやっているようにしか見えない。


「……そんな……軽口を叩けるのですか? 大魔王に……」

「ん? あ~……まぁ、以前呼び捨てやめようか? って聞いたら、他人行儀にされてもムズ痒いって言われてな」

「……そう……ですか」


 サディスはそんな俺を悲しそうに見ている。

 だが、それは俺の頭がとうとう残念なことになってしまったこととかに対する悲しみではなさそうだ。

 ただ、何であれ俺は言わなくちゃいけない。


「ただ……俺はこいつと出会って……色々あったけど……今……充実している。そして、これからもトレイナに教えてもらって強くなりたい」

「……」

「こいつと……生きていくよ」


 俺はトレイナと一緒に生きていく。

 ハッキリと自分の嘘偽りのない気持ちをサディスに告げた。

 すると……

 

「坊ちゃま……何を……何を……」


 サディスは唇を噛みしめ、肩を震わせながら……


「一体、何を仰るのです!? 何を……何をッ!」


 叫んだ。



「坊ちゃま! 相手はかつてこの世の人類を滅ぼそうとした大魔王! そんなものに教えを請い……共に過ごし……どうして……そもそも、坊ちゃまが大魔王から大魔螺旋を学ばなければ……学ばなければ……」


「ああ。俺は今でも帝都で燻って……そして、姫たちに劣等感を抱いて腐っていた。少なくとも……お前が言うように、逞しくはなれてなかったな」


「そんなこと……そんなこと……それに……そもそも……そもそも、どうして大魔王トレイナなのですか!?」



 叫び、そして俺を……いや、俺ではなく、その目に映らない誰かに対して、サディスは鋭い目で睨む。


「許すなんてできるはずがありません! 大魔王トレイナが憎い……私から全てを……今も奪おうとする大魔王トレイナが! なぜ、坊ちゃまに……坊ちゃまが心から願い……そこまで想われて……そんなの……どうしようもないではないですか!」


 そして、サディスは立ち上がり、辺りをキョロキョロ見渡しながら叫ぶ。


「ふざけ、ないでください……そ、そこに居るなら、出てきなさい、出てきなさい! ふざけるな! 私から坊ちゃまを奪うな!」


 だが、どれだけ「出てこい」と叫んでも、最初からトレイナはここに居る。

 だけど、サディスには見えない。

 声も聞こえない。

 

「ずるい! 何で大魔王だけ!? お父さんを、お母さんを、私の家族を、故郷を滅ぼして何もかもを奪った大魔王が、今度は私から坊ちゃままで奪うなんて……そ、んな……そんなこと……許せるものですか!」


 だから、サディスはその怒りをぶつけようにもぶつけることができない。

 そんなサディスに聞こえるのは、誰も居ない砂浜に響く、漣の音だけだ。

 

「うっ、うぅ……どうして……どうして!」


 そして、サディスは大粒の涙を流しながらそのまま膝から崩れ落ちた。



「どうして大魔王なのですか? どうして姿形が私には見えないのですか? どうして……たった数カ月足らずで……坊ちゃまをここまで強く逞しく……導けるのです?」


「サディス……」


「生まれた時からずっと……坊ちゃまの傍にいた……誰よりも愛し……誰よりもずっと一緒に居たのに……そんな私から全てを奪った上に、今度は坊ちゃままで取り上げて……どう恨めばいいのです? どう憎めばいいのです! どうやって止めれば……うっ……うぅ……」



 クールなサディスがここまで感情的に叫ぶのは初めてだった。


「……あのとき……私が過去のトラウマさえ思い出さなければ……叫びさえしなければ! 何も変わらず……」


 確かに。あのことがなければ、俺はまだ帝都に残っていたかもしれない。

 サディスとこうなっちまうこともなかったかもしれない。


「そして……坊ちゃまもまた……帝都に帰るつもりもなければ……その旅に……私を同行させていただくこともできないのですよね?」

「ああ」

「そんなこと……そんな……迷いのない瞳で……言わないでください……」


 でも、こうなっちまった。そして、俺の答えはもう決まっている。

 


「もう、サディスに怒ってないし……俺もごめんって思っている……でも……それでも、俺は帰らない。世界へ出るよ……二人で」


「二人……で?」


「ああ。サディスが居ると……甘えちまうからな」


「それを私がどれだけ望んでいると……それならば……」


「でも、来ないでくれ。俺はもう自由に生きる」


 

 そう。俺にも分かっている。

 サディスが俺のことを生まれたときからどれだけ大事にしてくれていたかも。

 だから、俺はそんなサディスのことを……ずっと……


「私を……邪魔だから捨てると? もう不要だと?」

「違う。卒業するんだ」

「そんな言葉で誤魔化さないでください! 卒業? それは、自立や親離れという意味ですか? 大魔王トレイナと一緒に旅に出ることをそんな綺麗な言葉で誤魔化さないでください!」


 だから、サディスが簡単に引き下がらないことも知っている。

 簡単に折れてくれないことも分かっている。


「坊ちゃま……自由に生きる? なら、その自由の旅を……このことを知った旦那様や奥様が……何も言わずに黙っていると……本当にお思いですか? 私がこのまま黙って行かせると……そんなことを本当に思っているのですか?」


 再び立ち上がるサディス。

 涙で瞳を腫らしながらも、激しく怒気を纏った威圧感を剥き出しにしている。


「それでも……私を退けてでも……大魔王と共に行くと? 私たちより……大魔王を選ぶと?」


 ゆらりと構え、今すぐにでも襲いかかりそうな気配。

 どれだけ言ってもダメなら力づくで……そんな展開も……予想していたから……驚かなかった。



「私と戦ってでも?」



 戦いたくなんてない。

 サディスとだけは戦いたくなんてない。

 でも、それでもサディスが俺を許さず、力づくで俺の前に立ちはだかるのなら……



「俺は――――」


「できるはずが!!」


「……え?」


「……うっ……う……うぅ、できるはずが……」



 だが、俺が何かを言う前に……



「できるはずが……ないではないですか! これ以上……坊ちゃまに嫌われることを……私が出来るはずがないではないですか……」


「サディス……」


「私が本気で坊ちゃまと戦えるはずが……ない……」



 サディスがもう一度叫んで再びその場にへたり込んだ。


 俺だって、同じだよ。


 サディスと戦いたくなんてねぇよ。

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