第113話 神の気持ち

「あなた、お名前は?」


 いきなり人の股間を叩いて、人の性別を判別する女。


「アース。それが俺の名前だ」

「……アース……男の子のアースですね! はい、覚えました!」

「いや、男ってのが異名みたいになってるような……まぁ、いいけどよ……」

 

 敵意は無いが、変な奴である事には変わりない。

 俺は最低限の警戒をしながら、とりあえず聞かれたことに答えた。

 そして、一方で俺が名を名乗ったことで、向こうも微笑みながら……


「私は、クロンと言います。よろしくお願いしますね、アース」

「……クロン?」

『ッ!?』


 自身も名乗った女……クロン。

 互いに名前だけは名乗った。だが、それでも疑問が解消されたわけではない。


「あんた……魔族か?」

「はい?」


 まず、どうして魔族がここに? 半魔族のブロがこの国の道場に入ってたぐらいだから、そこまで珍しいわけでもないかもしれない。

 だが、それでもヤミディレ以外はこれまでこの国では人間しか見ていなかったので、他に魔族が居たことには驚いた。

 すると……


「マゾ? それは……マチョウのような人の事ですか?」

「……は? マチョウさん? マチョウさんは人間だろ?」

「え? でも、以前にカルイが笑いながら言っていました。いつもキツイ鍛錬をしているマチョウは、『マゾ』という人種なのですと。ですが、私は厳しく何かをしたことがないので、マゾという人ではないと思います」

「………カルイのやつ………」

「まぁそれでも、マチョウは誰よりも強くて優しくて男らしいから尊敬しているとも、カルイ言っていましたけどね」


 ヤバい。想像以上にメンドクサイぞ? しかも、ボケじゃなくて素?


「……あ~……なんて言えばいいか……っと、そういやさっきからカルイの名前が出てるが、あんた……教会に住んでたのか?」

「はい。教会の一番上の部屋に住んでいます」


 教会の最上階。ただでさえデカい教会だったし、上にも部屋はあったのだろう。

 とはいえ、そこは身寄りのない他のシスターたちの部屋もあるだろうし、俺も無闇に教会内をうろついたりはしていない。

 だから、教会にまだこんな女が、しかも魔族が居たとは思わなかった。


『……クロン……か……こやつ……まさか……いや……しかし……ありえるのか? こんなことが……』


 そして、珍しいことに俺以上に驚いているのがトレイナだったりする。

 これまで、アカさんやブロやトウロウを見てもそこまで吃驚することはなかったトレイナだが、今回、このクロンという女を目の前にして、ものすごい難しい顔をしている。

 

「ん~……それにしても……あなた……」

「っと!? ちょ、な!? お、おい、ちけーよ! いきなりなんだ?」


 ちょっと目を離した隙に、クロンが無垢な表情で俺の顔を下から覗き込んできた。しかも近い。

 思わぬ距離感に俺も驚いて一歩下がる。

 しかし、クロンは俺を見てどこか嬉しそうに……


「ふふふ、あなた……二人目です!」

「……なにが?」

「これまで、私が出会った人は誰もが『です』、とか『ます』を付けて話しをしていましたのに……あなたは付けないで話します。そんな男の人は二人目なのです!」


 どうやら、ため口を、しかも異性からというのは珍しかった様子。

 そのことを嬉しそうにしているとは、やはり変わった奴。

 そして……


「ブロ以来です!」

「ブロかいっ!?」

「まぁ! ブロのことも御存知なのですか?」

「あ~、まぁ、知ってるけどよ……」


 よりにもよって、あいつと同じ扱いというか、同じ態度を取っていたとは……だが……敬語以外をあまり使われたことないって、こいつ本当に何者……



「クロン様、こちらにいらっしゃいましたか」


「あら?」


「ッ、げっ!?」



 そのとき、まだ薄暗い空を駆ける漆黒の翼を持った者が現れた。


「まぁ、ヤミディレ。とってもおはようございます」

「散歩をされるのでしたら、私に一言をと……」


 それは、ヤミディレであり、そして俺は二人のやりとりに心の底から驚愕した。

 何故なら、「人に敬語以外をあまり使われたことがない」らしいクロンは、なんとヤミディレからも敬語を使われている。

 そして、ヤミディレ自身もまた、クロンを敬っている様子だ。

 それが、どれほどありえないことか。

 ヤミディレは鎖国国家の大神官なんてもんじゃない。その正体は、魔王軍の六覇大魔将。

 その一人が、俺と大して年齢も変わらないと思われる少女相手に、敬語を使い、更には地上に降り立った瞬間、まるで近衛の騎士のように片膝をついて頭を下げたんだ。

 六覇大魔将なんて伝説の存在が頭を下げる。それはそれこそ……


『ヤミディレ……』


 それこそ、相手が大魔王でもない限りは……


「……ふふふふ……にしても……まさか、貴様も居るとはな……アース・ラガン」

「ッ!?」

「様子を見る限り、マジカル・ロードワークでもしていた所、偶然にクロン様と会われたというところか? いや、偶然ではなく必然であり、運命か?」

「……は、はぁ?」


 そして、俺が驚いて呆然としていると、頭を下げていたヤミディレが不気味に笑いながら俺に話しかけてきた。


「あら? ヤミディレも、アースのお知り合いなのですか?」

「ええ……今、とある事情で教会にも住まわせております。クロン様への挨拶は、次の集会でと思っておりましたので、遅くなりました」

「まぁ、そうだったのですね! では、アースはマチョウのことも、カルイのことも、ブロのことも、ヤミディレのことも御存知なのですね! なんて素敵! 今日も世界は平和で皆仲良しなのですね!」


 流石に反応に困る。「世界は平和で皆仲良し」? 何ともおめでたすぎる、薄ら寒い言葉だ。

 だが、このクロンはそういうセリフを、心の奥底からの本音で言っているように見える。

 だから、俺も言葉が出なかった。


「どうした? アース・ラガン……ふふふふ、そこまでクロン様に熱視線を向けているとは……さては、クロン様に惚れたか!」

「……は?」

「ふっ、言わずとも分かる。クロン様はこの世の全てを魅了する血を秘めておられる。思春期の貴様がそういう想いを抱き、この御方を孕ませて御子をたくさん生ませたいとかそういう想いを抱いても不思議ではない」

「ちょ、いやいやいや、ちょっと待て!? あ、あんた、何を突然とんでもねーこと言ってんだ!?」

「ふはははは、そうかそうか! やはり歳の近い者同士はいいものだ。しかし、残念だがまだ早いぞ、アース・ラガン。そうだな、せめて7776000秒ぐらい待ってもらわないとな」


 何やら、ヤミディレが狂喜して、ものすごい怖い。しかも、とてつもなくヤバいことを言ってる。

 いきなり、話しがぶっ飛びすぎている。

 大体、何でヤミディレすらもが崇める謎の少女。その張本人を目の前に……その……は、孕ませ……


「はらませる? って、なんですか?」

「ああ、クロン様。それはこの間お教えしました、御子の授かり方ですよ」

「ああ! あのことですね! えっと、確か……」


 そして、俺に向けたヤミディレの言葉の意味が分からなかったのか、小首を傾げるクロンだが……


「そう! 思い出しました! たしか、男の人が興奮されて、勃っ―――――」

「って、いい加減にしねーか、お前ら! おい、もう、状況がまるで分からなくてついていけねーぞ!」


 そして、分かった。この女は、非常識なド天然だ。

 もし、今も俺が大声を出さなければ、とんでもないことをこの無垢な笑顔のまま口にしていただろう。

 何から何までよく分からん女。

 本当にこいつは一体……



『ヤミディレ……』


「ッ!?」


「ん? どうした、アース・ラガン。顔が青いぞ?」



 顔を熱くして、俺は大声を出したと思う。しかし、次の瞬間、不意に横を見た瞬間、俺の視界に入ったトレイナの形相に、俺は全身に鳥肌が立った。


『そういうことか……こやつめ……ヤミディレ……使ったな……『アレ』を……魔導都市シソノータミの古代技術……しかし、ソレは倫理に反するため、余が使うなと……何度も……』


 ヤミディレとクロンが俺の様子を気にしているようだが、俺はそんなことよりも、ただ恐怖を感じていた。

 これまで何度となくスパーでトレイナの殺気は目の当たりにした。

 出来の悪い俺を何度も説教したりもした。

 時には、威厳に満ちた大人の意見を俺に示したりもした。

 だが、こんなトレイナは初めて見る。


『この身がないことが今ほど恨めしいと思ったことはない……この身が健在であれば……たとえ、六覇の一人とて、すぐにでも余が直々にその首を刎ねていたところだ……』


 それは、俺が知らない、生前の頃の大魔王だったトレイナの表情だろう。

 そして、これほどまでに怒りに満ちたトレイナは初めて見た。


「ふっ、どうした? 気合を入れて走り過ぎて疲れたか? それでは困るぞ? と、そして、クロン様。そろそろ戻りましょう」

「ええ、分かりました」


 だが、トレイナがどれほど怒りと殺意を剥き出しにしても、それがヤミディレに届くことはない。

 言葉も、刃も、トレイナの何もかもが、今のヤミディレには何一つ届かなかった。

 だからこそ、ヤミディレが神と呼ぶほどまでに崇めるトレイナ張本人の想いを、ヤミディレは何も分かっていないということだ。

 その証拠に、ヤミディレはすぐ傍にいるトレイナの霊と怒りをまるで意に介さず……


「ふふふふ、アース・ラガンもクロン様を……となれば、手間が省ける……ふふふふ、あとは優勝という資格だけ。ヨーセイが失敗作であったし、ブロは居なくなり、更にマチョウでいいかと思っていたものの、マチョウのサイズでは小柄なクロン様が壊れてしまうと思い、どうしようかとも思ったが……ふふふふ、ハハハハハは……」


 そして、何を言っているかは聞き取れないが、ヤミディレはものすごい小声でブツブツと何かを呟きながら、すごい怪しい笑みを浮かべている。



「やはり、運命は我らの味方をしている! きっと、全ては神のお導きに違いない!」



 と、急に顔を上げて空に向かって声を上げるヤミディレ。

 だから……あんた、本当に神の気持ちが分かってねーって……


「あら? どうしたのかしら? ヤミディレは」

「さーな……」


 俺もとりあえず頭を抱えた。

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