第112話 股間

 マジカル・ヨーガ。トレイナが俺に見せる新たなるトレーニング。

 呼吸、姿勢、瞑想を組み合わせて、身体の気の流れをコントロールするとか。

 その効果は……うん、まあ……いろいろと、あ、あるようなんだけど、そして普段やらないようなポーズをすることで、日常ではあまり使われない部位の筋肉や関節を刺激し活性化して……うん、だけど、そのポーズというのが……


「マジカル・ハッピーベイビーのポーズ! これを一分間キープだ」


 仰向けに寝転がり、両手で膝を抱える。

 顎を軽く引いて背筋は真っすぐ。

 両膝を開いて、太モモを脇腹に引き寄せながら、手で足裏を掴んで下に引っ張る。

 これは……俺の部屋に隠していた秘蔵の本でこういうポーズがあった。

 何とかぐり返しだっけ?

 まるで、オムツを替える赤ちゃんのような……


「股関節や背骨のストレッチ。脳を休め、ストレス及び疲労を軽減する効果がある」


 トレーニングは真剣に。故に真顔で「ハッピーベイビー」とかいうポーズを取っているトレイナ。

 これが、ヴイアールの世界でよかった。どうなったとしても、それは全て夢での話。

 俺は自分の唇を噛み切るほど食いしばりながら耐えていた……


「高難度のポーズ。マジカル・魔聖者のポーズ!」


 もう、どうなってんだよ!

 四つん這いになって、左足を左肩に掛けて膝を真っすぐ伸ばす。

 右足を後ろに真っすぐ伸ばしたまま浮かせ、全身を両手のみで支えて姿勢を維持……なんつー柔らかい体……すごい……のに、ダメだ! 


「上腕三頭筋、腹筋、股関節、体幹を鍛え、集中力やバランス感覚の強化にも繋がる」


 もういいよ。もう、いいから……だ、め……



「そして、これが貴様の大好きな大魔螺旋を……両手に具現化する……『大魔双螺旋デビルスパイラルブレイクストリーム』!!!!」


「あ……」


 

 そしてお約束のこの状況。

 今まで見たことない、両手に大魔螺旋。渦巻く二つの螺旋が巨大な渦巻きを生み出して、ヴイアール世界に天変地異が起こる。

 声に出して笑わなかったのに、微笑むトレイナは大変ご立腹の様子。

 笑わなかったじゃん……耐えたじゃん……許してよ……






 ……そして、目が覚める。


「はあ、はあ……あ~……寝汗がすげえ……」


 教会で宛がわれた俺の部屋。

 ベッドから体を起こした俺の寝巻は汗でビショビショだった。

 トレーニング終わりにちゃんと風呂には入ったってのに……


「ふぅ……夢とはいえ、やっぱり殺されるのは心が疲れるぜ……寝覚めも悪い……」

『自業自得だ……何度も何度も余を笑いおって……』

「だっ、だってよぉ……」


 俺を夢の世界で惨殺したトレイナが、俺の枕もとでお怒り状態だった。

 

『よいか? あのヨーガは単純に魔呼吸を身に付けるためだけのものではないのだぞ? 集中力、瞑想……それらは、必ずや貴様に『もう一つ』の力を授けてくれるだろう』

「押忍……」


 いや、俺だって分かってる。真剣に。そしてトレイナも真剣であると。

 でもさ、真剣であればあるほど、衝撃はデカかったりする。

 特に、あのハッピーベイビーはヤバかった。

 トレイナが真剣な面でハッピーベイビー。

 ハッピー……


「ぶふぉっ!」

『ぬおっ!? き、貴様あああああああああああああああ!!』

「うわっ、す、すまん! お、思い出しちゃって……」

『ええい、貴様という奴は! もういい! 夜明けには少し早いが、ロードワークにでも行ってこんかー!』

「あ~、ったく……まぁ、別にいいけどよ……」


 もう、このままノンビリ二度寝は許さない。

 罰として走って来いと枕元で叫ぶトレイナにベッドから出される。

 

「まっ、朝の散歩みたいなもんか」

『いいや、ダッシュもさせるぞ』

「げっ!?」

『さっさと行かんかー!』

「はいはい……わーったよ、師匠」

『ふん、都合のいい時だけ師匠呼ばわりしても、もう誤魔化されんぞ!』

 

 外はまだ薄暗く、朝日も昇ってない。

 シスターたちも当然まだ誰も起きていない。

 窓から外を見ても、誰も街を歩いていない。


『ロードワーク。ヨーガ。縄跳び。シャドー。筋トレ。そしてヴイアールでのスパー。大体こんなところだろうな、この三カ月のメニューは。そして、この三カ月で貴様を……今より数倍強くしてやる……だから、死ぬ気で走って来いッ!! 下半身の強化だ!』

「お、押忍!!」

『さっさと行かんかー!』


 穏やかな空気漂う中、それでも大魔王の熱血の活が入って、軽い柔軟だけすまして俺はすぐに外に出されて走らされる。

 薄暗い街中だが、新鮮な空気がしみ込んできて、清々しい気持ちだった。


「は~、しっかし、変な気分だぜ」

『何がだ?』

「ほら、家出してからは移動がほとんどで、どこかに腰を下ろして……なんてできなかっただろう?」

『ん?』

「だからよ……アカデミーにも行かず、授業も受けず、これから毎日一日中トレーニングに専念できるってのがよ……楽しみなんだか、地獄なんだか……」


 何にも縛られることなく、ただ純粋に強くなるためだけに時間を費やせる。

 新たな、魔呼吸というものの習得という課題もあるし、これからどれだけ強くなれるかが楽しみだった。

 だが……


『ほ~、まだまだ心に余裕があるようだな……頼もしいではないか』

「まぁな」


 俺はこの時はまだ気づいていなかった。


 爽やかに、純粋に強さだけを求められる日々が始まる。そう思っていた。

 しかし、それは俺がまだ、ヤミディレの目的や真意が何も分かっていなかったからだ。


 ヤミディレが何を企んでいるのか? そのヒントが、こんな朝早くに偶然、そして唐突に訪れることになる。


「ん?」

『……む?』


 誰も居ない街の通りを走り抜けて、浜辺へとたどり着いた俺とトレイナはハッとした。

 街には誰も居なかったので、砂浜にも誰も居ないだろうと思っていたが、そうではなかった。


「……誰か居るな?」

『うむ』


 浜辺に人影があった。

 別に不思議なことではない。

 俺がこうして外を走っているように、早く目を覚ました人が浜辺で散歩していてもおかしくはない。

 まぁ、早朝の散歩と言うには時間が早すぎるものだが。

 ただ、走ってその人物に近づくにつれて、俺たちは目を疑った。


「な……角……?」

『魔族……か?』


 その人物の頭部から、大きな角が伸びていた。

 魔人族? ブロのようなハーフ?

 そして……


「……歌?」


 優しくて、穏やかで、まるで子守歌のようにゆったりとした歌が聞こえてきた。

 少し幼さの感じる女の声。

 一体誰が……



「~~~~♪ っ……あら?」


「ッ!?」


『……ッッ!!??』



 そして、向こうも俺に気づいた。

 まだ薄暗い浜辺に立つ謎の女。 

 小柄で、若く、恐らく年齢は俺と同じか少し下ぐらいか?

 そして、その姿は…… 



「ん~……こういう場合は……うん、とってもおはようございます?」


「……え?」


「はい! おはようございますを言うにしてはまだ早いので、とってもをつけてみましたが……正しいでしょうか?」


「……?」



 穢れの無い白くそして細い手足に、真っ白いドレスにヒラヒラの少し短めのスカート。

 ふわふわの白く長い髪をした、美人……というより、かわいい? そんな少女?

 ただ、少女が人間でないことは明らか。

 そして気になるのは、その頭部から伸びている角だ。

 さらに、その角の形が……


『……同じ? トレイナの角と……それに……何だろう……この感じ……』

『………………………こやつ………』


 魔族の角。そんな少女に目を奪われて呆然としてしまった。


「あ……あんたは一体……」

「あら? あなたは私のことをご存知ないのですか?」

「え……あ、ああ……」

「まぁ! それはそれは、では、初めましてなのですね!」

「あ~、ども、初めまして……」


 まるで裏を感じさせない、純粋なニッコリとした微笑み。


「ふふふふ、知らない人と二人きりで話をするのは初めてです。緊張しますね」


 何者かは分からない。

 ただ、人間ではないことと……何だろう……溢れるオーラっていうのか……只者じゃないのは確かだ。

 すると……


「そうだ、せっかくですので確かめさせてくださいね?」

「いや、え? 何を……」

「では、失礼しますね」

「は?」

「ぱんぱんっと」

「ッ!?」


 次の瞬間、俺は何をされたのか一瞬分からなかった。


「ちょ、ん、な、は!? お、おい、あんた、何を!?」


 目の前の穢れをまるで感じさせない少女が、微笑んだまま俺の股間を手でパンパンと『ナニ』かを確認するかのように触ってきたのだ。


「私のお股に無いものがあります……なるほど……分かりました! あなたは男の子なのですね!」

「見りゃ分かるだろうが!?」

「え? ……そうなのですか? 私、普段は教会の女の子以外の人とは会わないので、男の人ともたまにしか会えないので分からないのです」

「な、なにい?」


 魔族とか人間とか関係なく、あまりにも非常識なことを口にする少女に、俺は開いた口が塞がらなかった。

 一体どこの箱入りお嬢様だ?

 ただ、とりあえず……


「とにかく、初対面の男の股間にいきなり触るんじゃねえ!」

「え!? でも……相手が男の人かどうかを確かめるにはこれが一番確実だと……私のお世話をしてくれるカルイがそう教えてくれたのですが……」


 とりあえず、教会帰ったらカルイの頭を一発叩いてやろう。

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